「社会課題解決の民主化」を目指す。社会起業家の小松航大が考える、人生で大切なこととは

スラム街世界一周から帰国した後、ソーシャルビジネスの概念と出会う

ーバックパッカー経験があったのですね。

はい。それから、お金を貯めては東南アジアを中心にバックパッカーを繰り返していました。それから、帰国して周りが就職活動の時期になっても、自分が卒業後何をしたいかが分からないままでした。

また、今自分が知っている選択肢はごく一部だけなのではという思いがあって。

自分が全力で生きられる道を探すために、まずは今自分が興味を持っている貧困問題について、もっと自分の目で見ることが必要だと思い、バイトで稼いだお金をはたいて、世界中のスラム街と言われる地域を巡る世界一周をしようと大学休学を決めました。

東南アジアや中東、アフリカ、南米など、 バックパッカーで旅した国々は26カ国です。

その途中で、合計7ヶ月ほどかけてアフリカを縦断したのですが、実はもともとアフリカに長くいようと決めていたわけではなくて、旅の途中でドイツにワーキングホリデーで行こうかなと思っていたんですよね。

でも、旅を続けていたある日、中東のバーレーンの空港で忘れられない出来事が起こったんです。

空港で仲良くなったアフリカ系の女の子がいて。話の途中で時折、暗い顔で遠くの男性に目をやることが多かったので、どうしたのかと聞くと衝撃の答えが返ってきました。

「私は中東に出稼ぎに来ていて、彼は私のボスなんだ。パスポートも現金も彼に没収されて、今から自分が乗る飛行機の行先も分からない。奴隷のように働かされている。私はこんなことをするために生まれてきたわけではないのに」と言われて。

返す言葉も見つからなくなってしまいました。この子を支えるためにはなにもできないと思い、その時持っていた食料と水をすべて彼女に渡すことが精いっぱいでした。

本当に自分はドイツに行っていいのか、何か自分にもできることを見つけたいと思い、ドイツの空港に降り立った時に「やっぱり違う」と思い、急遽ワーキングホリデーの予定をキャンセルして、最短で1番安くアフリカに行ける航空券を取りました。

ー海外に目を向けて、衝撃を受けることがたくさんあったのですね。

出稼ぎの女の子の話を聞いたときは精神的に辛くなりました。肉体的に辛かったことは、エチオピアの暗い夜道を当時出会った日本人観光客の男性と歩いていたとき、突然首を絞められ、6人くらいの男からボコボコに殴られたことです。

その時は、現金やパスポートまで全て奪われてしまって。死の危険を感じ、もちろん怒りの感情も芽生えました。

でも2〜3日ほど経つと、確かに彼らの立場になれば襲いたくなる気持ちも分かるかもしれないと思えてきて。襲ってきた人たちだけの問題というよりも、現地の環境や、そう行動させてしまった社会の構造に問題があったのかもしれないと思うようになりました。

それから紆余曲折あり、一文無しになってしまった僕を見かねて、現地でレストランを営んでいるエチオピアの家族が助けてくださいました。当たり前ですが、エチオピアにも助けてくれるいい人もいるのだと感じて、やはり目の前の人たちを憎んでも何も解決しないと痛感しました。

ー世界一周中は、日本語教師としても活動されていたのですか。

「自分にも今できることをしたい」と現地の中学校や高校に飛び込んで、日本の文化や語学を教える活動をアフリカや南米各地で行っていました。

ただ、当時は自分もお金がなかったので、働く代わりに家に泊めてもらったり、ご飯をもらったりして、自分の方が助けられることが多かったので感謝しています。

また、旅先で出会う世界各国の学生たちは、僕よりも社会の物事や政治について深く考えていて衝撃を受けました。

「自国の政治情勢や問題についてどう思う?」と現地の学生から聞かれたときに、僕は日本語でさえ自分の意見がまともに言えなくて。

「こういう現状を変えたいから、勉強して議員になりたいんだ」「自国の教育に貢献するために教師になるんだ」と真っ直ぐな目で言われると、夜な夜な一人で「自分には何ができるのか」と考えることも多くなりました。

ー帰国後は実際にどんなことをされていたのですか?

休学して1年後に帰国して、社会課題を解決したいという思いをまだ抱えていました。インドへ一緒に行った友人と「社会課題解決のためにはお金が必要になるから、ひとまずなんでもいいからお金を稼ごう」と起業することに。

ファミレスやカフェで見よう見まねで事業計画の資料を作って、投資家に話をもちかけたり、オフィスもないので渋谷の路上で電話営業をかけたりなど活動していましたが、ビジネススキルも社会人としての基礎も無かったことから、実力不足で、起業には失敗してしまいました。

また、日々数字を追うなかで、何のためにやっているのかが分からなくなり、「自分たちはお金稼ぎだけには興味がない」とも気づきました。

その後、自分には何ができるんだろうと悩み、毎日あてもなく歩いたり、早朝から日が暮れるまで、羽田空港でただ飛行機の離着陸を見ていたりしました(笑)。

その時期に、たまたまソーシャルビジネスの概念に触れて、衝撃を受けたんです。「まさに自分がやりたいのはこれだ!」と思いました。

考えた結果、自分が見た中で、課題も可能性もたくさんあるアフリカでソーシャルビジネスをやりたい思いはあったものの、自分にはまだまだスキルがなくて。そこで、アフリカで電力量売りサービスを展開するWASSHAという日系ベンチャー企業でまずはインターンをしようと決めました。

僕自身「どんな立場の人でも、どんな状況の人でも、対等に接したい」というモットーを持っていて。

「助ける側」「助けられる側」というように、誰かとの間に上下関係ができてしまうことには違和感を感じてしまうのですが、ビジネスであれば、互いに対等な立場として一緒に課題解決へ向かえることに魅力を感じたんです。

その後、WASSHAでの長期インターンを終え、世界中でお世話になった方に恩返しをするには、まだまだ自分の実力では限られているなと思い、社会起業家が集まるボーダレス・ジャパンにジョインして社会起業について学びながらインパクトを出そうと入社を決めました。