20代は若さを武器にチャレンジ。PRフリーランスとして幅広く活躍する大鋸佳輝

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第801回目となる今回は、PRフリーランスとして幅広い業務をこなす大鋸 佳輝(おおが・よしき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

学生や会社員時代の経験を糧に、目標に向かって着実にスキルを磨いている大鋸さん。なぜ25歳という若さでフリーランスとして働くことを選んだのか、20代だからこそ大切にしている考え方についても詳しくお聞きしました。

大学受験の失敗が転機に!金沢の学生団体の活動が行動力を磨く

ー現在、フリーランスとして活動されている大鋸さんですが、まず自己紹介をお願いします。

大鋸佳輝です。現在25歳で、フリーランスとして主にPR関連の仕事をしています。具体的には、InstagramやLINE公式アカウントなどのSNSマーケティングをメインにメディアのディレクションやライティング、広報支援など多岐にわたります。

本格的にフリーランスとして活動を始めたのは2022年1月からで、10ヵ月ほどが経過しました。現在、13社のクライアント様から業務委託でお仕事をいただいており、仕事好きな性格が講じて仕事漬けの毎日を送っている状況です。

ーありがとうございます。25歳という若さで独立し、フリーランスとして活動されている大鋸さんですが、まずは学生時代に遡りお伺いしたいと思います。高校、大学生活がひとつのターニングポイントとなったそうですが、どのような学生生活を送られていたのか教えてください。

僕は、今でこそ活発にいろいろな仕事にチャレンジしていますが、もともとは大人しい学生でした。というのも、小学校からずっと野球をしていたのですが、進学した高校が甲子園にも出場経験のある強豪校で、周りとの意識の差を痛感しました。高校1年生で部活は断念し、受験一本に絞ることにしました。でも、自分の中では早々に部活を諦めてしまったことに心残りや劣等感があり、華々しいとはいえない高校生活でしたね。

さらに、志望していた国立大学の受験は失敗してしまい、金沢にある私立大学に進学することになります。

ー大学受験では満足のいく結果を得られなかったんですね。大学進学後はどのような心境で過ごされていたのでしょうか。

自分なりに受験勉強を頑張ったので、入学前はその結果を受け入れていました。しかし、いざ授業が始まると、僕が想定していたような大学の環境ではなかったんです。学生が授業中に平気で喋っていたり、寝ていたりと信じられない光景でした。

そのとき僕は、この大学で過ごすにあたり、自分に危機感を覚えました。自ら行動しないと何も学ばずに卒業を迎えてしまうぞと。そこで、学外に出会いや学びを求め金沢にある学生団体に所属しました。

金沢では精力的に目的意識をもって活動する学生団体がいくつもあります。僕が所属したのは営業やデザインの仕事を実践的に学べる環境でした。ここでの経験が僕にとって現状から一歩踏み出すきっかけになったと思います。

ーなるほど。現状から踏み出すきっかけとは、具体的にどのような経験を得たのでしょうか。また、学生団体の活動内容についても教えてください。

活動内容としては、能登の魅力を紹介するフリーペーパーの作成や紙面に載せる広告の営業です。僕はもともと読書や文章を書くことに関心があり、能登の自然あふれた環境や魅力を発信することにやりがいを感じました。

自分が好きな作業で心が動くままに行動できるという環境が、自分の性に合っていたのでしょうね。「今やりたいことを即実践できる」という居心地のよさが、僕の一歩を後押ししたのだと思います。

少人数の学生団体だからこそ、様々な業務を並行して経験できたのも強みの一つです。そして、自分の作った商品に対して愛着と自信をもって、相手にアピールする力が身についた。ーそんな経験が、現在のフリーランスの活動にも役立っているなと感じます。

ー学外に飛び出したからこそ、今につながる貴重な経験を得られたのですね。

そうですね。大学時代の学びは本当に自分を大きく飛躍させるものでした。大学3年生では長期インターンシップでは、新規事業の開拓を行い、営業200件とマーケティングの実績を積み、学生ながらビジネスの基礎を学ばせていただきましたね。

また、同年に海外渡航にも参加し、自分の可能性をさらに広げる努力をしました。普通、新しい挑戦をするときは、少なからず躊躇いが生じると思います。でも、当時の僕は就職活動が本格化する前に、もう一段階変化する機会を得たかった。そんな前向き思考になれたのは、大学受験に失敗したことをきっかけに早くに危機感を覚え、行動に移せたからだと考えています。