クラファンを達成し、蒸留所立上げ。大島草太を支える「挑戦」への考え方

今回は、株式会社Kokageの代表取締役を務め、キッチンカー事業、地域メディア型お茶ブランド、蒸留酒事業を行う大島 草太さんをお招きしました。

これまでのキャリアの歩み、380人から約642万円を集めて128%達成を実現したクラウドファンディングについて伺います。

 

福島県の里山地域で新しい蒸留所を立ち上げ

–自己紹介をお願いします。

2023年2月から福島県川内村で蒸留所の立ち上げに取り組んでいます。蒸留所では、 ジンを中心にフルーツやハーブの蒸溜酒を作ろうと考えています。

–なぜ川内村で蒸留所を作ろうと思ったのですか。

川内村は里山エリアと呼ばれ、自然と人が一体となり、混じり合って過ごしています。人が暮らす場所のそばに良い水、良いボタニカル(※)が豊富にあります。一方で、原発事故以降は世間や海外から良いイメージが無いことも事実です。そんな地域だからこそ作れるお酒、ここから発信できることがあると感じて決意しました。

私たちが作るお酒は自然の魅力を詰め込むコンセプトを持って、自生の植物・フルーツを使用します。キーボタニカルには県内で取れる材料を使用します。最終的には、どこの国の人が飲んでもすごく美味しくて、「え…これ、福島で作られてるの?信じられない…」と感動させられるようなものを目指しています。

(※)ボタニカルとは、ジンを製造する材料となるものを指す。複数の材料を使用する際、主となる材料のことをキーボタニカルと呼ぶ。

–立ち上げ中の心境を教えてください。

どういう設備にするか?どの蒸留器にするか?どこの水を使うか?どんな建物にするか?

全てがゼロからのスタートであり、全て自分達で決められる状況です。大変なこともありますが、飲んでくださる方々のことをイメージしながら一つひとつ作り上げています。

例えば、建物は川内村でもともと薬屋の倉庫として使われていたものを買い取って利用することになりました。立ち寄って下さった方には蒸留酒の文化、土地の雰囲気を感じながら楽しんでいただけたら…と考えています。

 

建築が好きだった幼少期。夢の変化の変遷

–幼少期はどのような子どもでしたか。

生まれは神奈川県の平塚で、幼少期に栃木県の宇都宮へ移りました。大学進学から福島へ引っ越した経緯です。

キャンプや川遊び、山歩きによく連れ出してくれた両親のもとで育ちました。僕の名前が「草太」と言いますが、妹の名前にも自然を連想させる言葉が入っていて、その辺りにも両親が自然好きだったことが表れています。

早起きが苦手な子どもでしたが、釣りに行く時だけはいつも気持ちよく起きて行っていました(笑)最初は両親に教わり、その後は友人とも釣りに出かけるようになりました。

釣りといえば、自然の中で自分の感覚を研ぎ澄ませるような瞬間が好きなんです。例えば、バスフィッシングは五感を使ってタイミングを合わせます。もちろん釣れた時は嬉しいですし、タイミングを探りながら待っている時間も好きです。テレビゲームをする以上に楽しいと感じていました。

–進路選択の際は、どのようなことを考え、決断しましたか。

もともとは建築が好きでした。友人の親が建築士で、サッカー少年団の練習の送り迎えの際に「これは自分が作ったんだよ」と言って見せてもらった建物がかっこよくて…。「自分が作ったものが数十年も残り続けるってすごいな」と思いました。

一方で、それは教育でもできることだと考えました。自分がみてきたこと、感じてきたことを伝え、子供たちの中に残していけると思ったんです。また、自分が行ったことのある国、好きな地域の話をするときに熱心になる(高校の時の)地理の先生が好きで、自分が知らないことを面白く伝えてくれる姿が印象に残っていました。最終的には福島大学に入学し、教員養成課程に進みました。

–在学中に熱心に取り組んだことはありましたか。

大学1年生の頃からお金を貯めて海外へ出向くようになりました。大学2年生の頃にはバックパッカースタイルで海外へ行くようになり、深く現地のことを知れるのが楽しかったのを覚えています。大学3年生の頃には休学をして、ワーキングホリデー制度を利用し、カナダへ行きました。

これまでに行った国と地域の中で印象に残っているのは、中米です。現地でしか食べられないメキシコ料理がたくさんあり、そのどれもが美味しくて驚きました。日本でも馴染みのあるタコスも、現地で食べると一層美味しいですよ。屋台で食べる朝ご飯も好きでした。

メキシコ人は温和で、人懐っこい人が多いので、一人で旅行に行っても現地で仲良くなれると思います。機会があれば、ぜひ行ってみてください。

 

川内村で蒸留所を立ち上げると決意した経緯

–就活、就職とはどのように向き合いましたか。

海外に出向いてみて、日本との違いを感じました。海外では、(同僚のことを)役職ではなく名前で呼びます。「人と人」として、お互いリスペクトしあいながら関わっていることが印象的でした。

カナダでは、アーティストをしながら副業をしている人も多く、視野が広がりました。堂々としている姿をみて、「やりたいことをやっていると自分に自信が持てるんだ」と感じ、職業自体にこだわりすぎないようにしようと思うようになりました。

そうしたことを感じながら、当初は教職採用試験を受けようとしていた自分の意志も「教師にならなくても他の方法で目的を達成できそうだ」と変化し始めました。

その時、自分の決断に一番大きな影響を与えてくれたのが川内村でした。大学1〜2年生の頃に川内村を知り、現地で地域資源を活用した活動を始めました。大学3年生の頃には個人事業主として現地で開業し、蕎麦粉を使ったワッフルの移動販売を行うようになりました。翌年には地域おこし協力隊として 地域の活性化に取り組みました。

その後、 地域おこし協力隊の活動の中で立ち上げに関わっていたクラフトビール会社に個人事業主としての事業を続けながら入社することになり、ビール醸造、営業等の仕事を経験しました。こうした経緯の中で、一般的な就職だけが(卒業後の)選択肢では無いのでは無いかと思うようにもなりました。

–新卒で就職以外の選択肢を選ぶことに関して、周囲はどのような反応でしたか。

当初、母親は心配していました。学生時代の活動に対して、「学生にうちだけに留めておき、最後は就活をしなさい」と言われていました。自分の活動が新聞に載ったり周囲の方から評価をいただけるようになったりしてからは安心し、応援してくれています。

–ビール会社に勤め、個人事業主としての事業もあるなかで、自身の手で蒸留所を立ち上げようと決めた時の心境・経緯を教えてください。

「いつか自分で何かをやってみたい」という気持ちはありました。これまでに福島のフルーツを使用した ハーブティーの製造販売を行う中で、自然の香りを飲み物に移す面白さに気づき、蒸留にも興味が沸きました。また、海外に出向いた際、海外から福島へのイメージが良くなかったことがあり、「福島から海外に届けられるものを作りたい」と考えました。

クラフトビールも検討しましたが、運搬・保管の面でデリケートな事情があり、輸出向けの商材としては難しいと判断しました。ジンはアルコール度数が高く、保存期間も長く、小規模の製造者であっても輸出に適応できる商材でした。ダイレクトに香りを付けることができる製法のため、福島らしさを表現するにあたっても良いという点も後押ししました。

 蒸溜所の立ち上げ経験のある方の助言も受けながら検討した結果、一緒に事業を立ち上げる様々な分野のプロの方々が徐々に集まってきたこともあり、立ち上げようと決意しました。

 

「まずは、小さく始めてみよう」

–380人から約642万円を集めて128%達成を実現したクラウドファンディング…達成おめでとうございます。

おかげさまで無事にスタートをきることができ、まずはよかったです。支援してくださった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。県外の個人の方、BAR関係者の方、ビール業界の方など、さまざまな方の支援の結果、目標を超える達成率となりました。

 

クラウドファンディングページ

 

もともとは、蒸留所を作る過程を一緒に楽しみ、完成した際の喜びを共有できる繋がりが生まれれば…と思い、立ち上げたプロジェクトでした。クラファン期間中には改修中の蒸留所を見学できる会を行いました。

慣れない作業や大変な業務をしていると疲れてしまうこともありますが、今回のクラファンを通して繋がった方々の応援や現地に来てくださる方々からのメッセージのおかげで「楽しみにしてくださる方が沢山いる」と思えて、力が湧いてきます。

蒸留所は今年の秋に完成予定です。

■蒸留所のSNSアカウント

https://www.instagram.com/naturadistill/

–読者の学生や若手社会人へメッセージをお願いします。

「まずは、小さく始めてみよう」と、一言お伝えしたいです。

自分自身もまだ道半ばですが、最初は何かをしながらちょっと一歩踏み出してみることから始めました。それでやってみて違うなと思えば、早めに止めればいいと思っています。一方で、一歩踏み出してみると景色が変わり、もっとやってみたいという気持ちが湧いてくることもあります。

その上で、仕事と人生の垣根がなく、楽しめることを見つけられたら一番良いのではないかと思います。今の自分にとって、BARに行くこと、山に入ること、人と話すこと…その全てが日常であり、 仕事につながることになっており、忙しい中でも毎日幸せを感じられています。

 挑戦しようとしている方の背中を押せる言葉になれれば嬉しいです。

取材・執筆=山崎 貴大