価値観にとらわれずチャレンジし続ける!九州男児な不動産屋さん平岡司の人生観

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第747回目となる今回は、株式会社Seven Rich Development社員・平岡 司(ひらおおか・つかさ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

九州から上京して未経験の不動産業界に飛び込んだ平岡さん。現在までの考え方や価値観の変化についてお話を伺ってきました。

自主性の大切さを学んだ中学時代

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

平岡 司(ひらおおか・つかさ)と申します。会計事務所を始めとするSeven Richグループの子会社で、完全紹介制の不動産賃貸やオフィス仲介などを行っている会社で働いています。

ーお仕事をする中で印象に残った出来事はありますか?

当社は完全紹介制のため、自分でお客様を見つけてヒアリングから契約まで行います。最初に担当したお客様の契約が終わった瞬間は、大きな感動と達成感がありました。

また、私を含めて社員が2人という状況で上司が病気で倒れてしまい、私1人で仕事をこなしたことがありました。抱えきれないほどの案件が入ってきましたが、最近ようやく落ち着いて良い流れが生まれてきており、これからさらに良くなるのではないかとワクワクしています。

ーここからは平岡さんの幼少期を振り返ってお伺いしていきたいと思います。幼少期はどのような性格でしたか?

かなり目立ちたがり屋で非常にフレンドリーな性格だったと思っております。父に連れられて行った飲み会ではいろいろな人にビールを注いだり、公園ではすぐに友達を作ったりするような子どもでした。

自分が目立ちたい気持ちが強く、リーダーをしたがる性格でもありました(笑)。

理想を強く持っており、リーダーになれば自分が主導権を握れて意見も通しやすくなるのを知っていたため、できるだけチームの中心にいるようにしていました。

ー小学生からサッカーをされていたそうですが、中学校でクラブチームを選んだのはなぜでしょうか?

小学生の頃は弱小チームに所属しており非常に悔しい思いをしたため、大好きなサッカーをどう続けるか悩んでいました。そんな中で地元に新しくクラブチームができたのを知り、セレクションを受けたのです。

しかし、部活動やJリーグ下部組織の求める選手がクラブチームに入団することもあるため、クラブチームは嫌われる存在で、創立2年だった当時のチームは周囲からの反発も大きかったです。

周囲から認められるチームになるために規律や挨拶を意識したり、自分たちで練習メニューを作ったり、休みの日に集まって練習をしたりしていました。自分たちで作り上げたからこそ、自主性・主体性のあるチームになり楽しかったです。

クラブチームでの経験はチーム作りや主体的に動くことの大切さ、どのような取り組みが周りに認めてもらえるかなどを学ぶよいきっかけになりました。

ーどのようにチームをまとめましたか?

例えば、他のクラブチームでは練習中に殴り合いの喧嘩をしていても練習後はハイタッチで終わるようにしているという話を聞けば、すぐに自分たちのチームで実践していました(笑)。

数人がチームをもっとよくしたいと熱を持って伝え続ければ、チーム全体に広がるのを強く感じました。同じ熱量で共通認識を持っていたため、個人ではなくチームで戦えていたと思います。

ー当時のクラブチームはどのような考えを持っていたと感じますか?

チームが勝ったり所属選手がプロになったりするよりも、どちらかというと人間的な成長を求めるチームでした。監督やコーチはサッカーでなくても誇れる人間になってほしいという理念を持っている方たちでした。感謝の心やルールを守ること、礼儀正しさなど人としての土台を鍛えていただいたと思っています。

自主的に動きたい選手が多かったため、ある程度は選手のやりたいことを尊重してくれて、のびのびとやらせてくれていた印象がありますね。

ークラブチームでの経験は現在にどのような形で生きていますか?

クラブチームでは自主的に行動することで学びの質がまったく違うことを学びました。クラブチームの練習は小学生のときにやらされていた練習よりも熱中できますし、上達も早く、コミュニケーションの密度も高くなったと思います。

現在も自主性を尊重する場所に自分から飛び込んで行ったり、受け身にならないように意識して取り組んだりしています。

留学して価値観が変わる

ーその後、大学時代にセブ島へ留学したとのことですが、留学のきっかけを教えてください。

上京してすぐは運悪くサークルに入れず、バイトと大学の行き来で日常に代わり映えがありませんでした。せっかく東京に来たのにこのままだと普通の社会人になってしまうという危機感があり、思い切って海外に行こうと決意しました。

「何か新しいきっかけになるかな、英語を話せるようになったらかっこいいな」と単純な思いつきで申し込みました(笑)。

ー留学でどのような変化がありましたか?

様々な文化に触れて、自分の中で考え方や価値観などが変わりました。

セブ島は発展途上国のため貧富の差が激しく、貧しい地域の子ども達を見て「この子たちはやりたいと思ったことをどの程度できているのだろう?選択肢自体も小さくなっているのでは?」と勝手に想像を膨らませました。

貧しい地域と日本を比べると日本はある程度お金も情報も集められますし、自分がしたいことは本気を出せば何でもできますよね。中途半端に遊んで適当にやっている自分が情けない・もったいないと思うようになりました。それからは想像したことを形にできるビジネスを学びたいと考えるようになり、セブ島にいるにもかかわらず、日本のニュースや本を読んで勉強していました。

ー留学後の1年はどのような年でしたか?

留学でのできごとが大きく影響して、日本に戻ってからは様々な人に会いに行ったり、インターンに参加したり、様々なバイトを経験したりしました。

1番おもしろかったのは、成人式のためにオーダースーツを作りたいと相談していたら、実際にオーダースーツを作っている方の営業代行をさせていただいたことです。営業をして売れた利益を使って、私は無料でオーダースーツを作ってもらいました。

ー素敵な経験ですね。営業をするときに大切にしていたことはありますか?

人を喜ばせるのが好きなため、押し売りはまったくせず、相手を喜ばせることを大切にしていました。

ー大学生活では何を意識していましたか?

できるだけ自分がやったことのないこと・知らないこと・怖いと思うことにチャレンジしたり、人に会ったりすることを意識していました。九州から東京に出てきた私にとって、情報の格差や人から学べるもの・得られるものは非常に多いと感じていたからです。

自分からアクションを起こさないと刺激や学びを得られないし、チャレンジしないと新しい世界が見えてこないと知っていたため、挑戦することと人に触れることを大切にしていました。

ーやりたくないと感じたときに自分を奮い立たせるものはありますか?

自分の弱さを知らずに生きるのは怖いことだと気づいて、自分の中の固定観念を壊すためにもできるだけ挑戦するようにしています。

できないと思うことでも感想を言うのは挑戦した後だと考えているため、失敗もたくさん経験してきました。

ー失敗して落ち込んだときはどのように気持ちを立て直していますか?

どうしても立ち直れないときは、私の大切にしている人たちに電話をかけて相談しています。将来的に九州で会社を立ち上げて地元に還元したい思いがあり、地元の友だちと話すことで自分のモチベーションはここだと再認識できて、気持ちを切り替えられますね。