人はつながりの中で生きている。困ったら助け合い、人間の可能性を諦めない。理学療法士 川邊祐詩

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第996回目となる今回は、理学療法士の川邊祐詩さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

血縁関係のない認知症のおじいちゃんとルームシェアをしていた川邊さん。理学療法士になりたいと思ったきっかけや、現在されているユニークな活動についても教えていただきました。

ケガをしたことで、理学療法士に出会う

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

初めまして。川邊祐詩(かわべ・ゆうし)と申します。1997年生まれで、今年26歳になります。

もともと人と関わるのが大好きで、理学療法士の資格を取りました。現在は神奈川県の藤沢市で、コンセプトの「地域を一つの大きな家族に」を大事にしながら、医療や介護の枠を超えたまちづくりを行う、「株式会社ぐるんとびー」で活動しています。

ーここからは、川邊さんの過去を振り返ってお伺いします。どのような幼少期を過ごされたのでしょうか?

小学生のころは、寂しがり屋でしたね。学校から帰ってきたら友達に電話をして、遊べる子を探していました。すぐに遊べる子がいなければ、近所のおじいちゃんやおばあちゃんのお家におじゃまして、お菓子をもらって帰ってくるみたいな幼少期を過ごしていました。

みんなが家族のように、声をかけてくれる暖かい地域でしたね。

当時は、小中高とずっとサッカーに夢中になっていて、週5〜6日はほぼサッカーをしていました。サッカーをやり始めたのは、ふたりの兄の影響です。

サッカーの技術だけではなく、人間関係や人と関わる上で大事なことも、サッカーのコーチたちやチームから教わっていたと思います。

ー当時から介護や福祉、人を助けるなどのキーワードは、川邊さんの中にあったのでしょうか?

当時は全くなかったですね。むしろ自己中心的な性格でした。人をどうにかしたいとは、思ったことがなかったんじゃないかな?

中学生のときにケガをしたことがきっかけで、理学療法士に憧れるようになりました。オスグッドによって歩くことがままならなくなり、10年続けていたサッカーができなくなってしまったんです。

オスグットは、身長が急激に伸びる時期に、骨や筋肉、腱などが成長するバランスが合わなくなってしまい、炎症や痛みがおこる成長痛です。ひどいときは、少し歩くだけでも膝が痛すぎて、脚を引きずりながら歩いていました。

半年〜1年ぐらいは、ボールも蹴れなかったですね。痛いこともつらかったですが、練習もままならないので、レギュラーを外れて試合に出られないことが特につらかったです。

病院でリハビリをすることになり、そこで理学療法士と出会いました。リハビリではトレーニングもするし、しんどい思いもしますが、僕はその理学療法士と話に行くのがすごく好きで、会いに行くのが楽しみだったんですよね。

気分が落ち込んでいる状態で行くのに、めちゃくちゃ笑わしてくれるんですよね。もうちょっとがんばってみようと前向きになれました。

こんなに人を笑顔にできるし、やりたいことを支援できる仕事があることに気付いたきっかけです。かっこいいし、こんな人になりたいなあと、夢を見つけました。

「楽しい」が人の可能性を広げる

ーケガを経て、18歳のタイミングでライフログの満足度が1番上がっていますが、どのような出来事があったのか教えてください。

高校3年生の夏、体育祭のときの出来事です。僕の高校には1200人が通っていて、全校生徒を4つのグループに分けて、4団対抗で体育会をしました。

300人を率いる団長をやらせてもらい、僕のリーダー像や、人との接し方などの基礎が、実体験として積み上げられた時期です。

もともと発案者やリーダーになることが多かったのですが、300人の青春を預かるのは初めてのことで、大役だなと思っていました。

ー実際に団長をやってみて、気付いたことはありますか?

人は正しさより、楽しさのほうが大事なんだなと気が付きました。

チームの中で、「これをしてほしい」「ここを目指すためにこれが必要だよね」と、最初は具体的な言い方をしていました。本当はみんなに楽しんでほしいのに、自分が想像しているチーム像には全然ならない。どうしたらいいんだろうと、すごく悩みましたね。

それから僕は、どんな人に憧れてきたんだろうと振り返ってみました。そのときに、人の主体的な部分を引き出せる人や、人を笑顔にしているような人たちに憧れているなと思って。

それなら、一人ひとりのやりたいことや楽しいことを引き出して、みんなのいいところの総和や掛け算が、チーム全体に影響力を及ぼすのではないかと思い、実践してみました。

どうせやるなら楽しもうと、チームはどんどん変わっていきました。応援練習に集まるときも、心が動かないと体も動かない。練習時間をどれだけ楽しくできるか考えて行動していたら、高校で1番になれました。大きな成功体験ですね。

ー仕事にも直結しそうなお話ですね。そこからは進路選択の時期になると思うのですが、どのように決めていったのか教えてください。

中学生のころから、理学療法士になると決めていたので、迷いなく進んでいました。

大学に入学して、理学療法士になる勉強をしていましたが、1度挫折をして、理学療法士になりたくないと思ったことがあります。実習先で出会った理学療法士の先生たちが、すごくつまらなそうに働いていたんです。

それまで理学療法士は、その人のやりたいことを叶える素敵な仕事だと思っていました。なりたいと思って入ったはずなのに、理学療法士の理想と現実とのギャップにやられてしまいました。

そんなことを考えながら病院実習をするなかで、あるおばあちゃんに出会います。

病気をもったおばあちゃんの希望を叶えたかったけれど、先生たちに「それは無理だよ」と言われて。

やりたいことを叶えるのではなく、いかにリスクが少ない人生を生きてもらうかに重きを置いて、患者さんと関わっている姿を間近で見て、僕はこんなふうにはなりたくないなと思いました。

その実習で、「理学療法士は人の夢を叶えられない」ことを経験しました。