葛藤・無気力を超えて起業した髙橋奎。自分オリジナルな納得できる生き方を手に入れられる社会を創るために生きる理由とは?

ユニークなキャリアを歩むU-29世代をお呼びし、これまでの人生の転機についてお話を伺うユニークキャリアラウンジ。

今回は、2020年にNO WALLs 株式会社を創業し、代表取締役を務める髙橋 奎さんをお招きしました。社名である「NO WALLs 」には、一人一人の未来への壁と、人と人の関係性の壁を超えていきたいという意味を込めている。

「自分オリジナルな納得できる生き方を手に入れられる社会を創りたい」この想いを持ち、セルフマネジメントコーチング事業や人的資本経営支援、ビジネスプロデュース事業を展開。

創業経緯やご自身の学生時代〜これまでを振り返り、実際に経験してきたさまざまな成功/失敗経験を伺いました。

 

サッカー部生活で挫折を経験し、無気力な学生に

–ご出身はどちらですか。

東京出身で、小学3年生までは東京で暮らしていました。その後引っ越し、大学卒業時までは神奈川県で暮らし、また東京に戻ってきています。

–小学校時代はどんな生徒でしたか。

幼い頃から体操教室に通っていて、運動は得意でした。小学生の頃、サッカースタジアムに行ってプロサッカーチーム・FC東京の試合を見てサッカーを始めました。小学校1年生からFC東京が運営する小学生クラスのサッカースクールに入会したことで、サッカーにのめり込んでいきました。

当時は、友達と一緒に取り組めることやチームとして一体感を味わえることが楽しいと感じて、サッカーを続けていました。小学校6年生の時には地域の少年サッカーチームのキャプテンに就任し、中学受験期に入る前に引き継ぎました。最後の区大会決勝では、現在町田ゼルビアで活躍する柴戸海選手のマンマークをしていたのもいい思い出です。

–中学校時代はどんな生徒でしたか。

中学受験を経て、中高一貫校の男子校に進学しました。

進学後、すぐにサッカー部に入部。監督から打診され、学年全員で180人いる生徒の中から30人が入部した中学1年生の代をまとめる学年別キャプテンを務めることになりました。学年キャプテンとは、学年が同じ部員に対してリーダーシップを発揮し、まとめることを求められる役割です。全体における調整役をしたりゲームキャプテンを務めたりします。いま振り返ると、この経験は大きな挫折経験でもあり、深い学びのある体験の1つでした。

当時、(私は)「物事はきちんとやった方がいい」と考えていました。例えば、遅刻をしないようにする、練習や準備は真剣に行う、ということ。一方で、チームを見渡せば、遅刻しがちなメンバーがいたり準備がおろそかなメンバーがいたりもします。そのほかにも、人によって価値観は異なり、考え方も違います。多様なメンバーがいる中で信頼関係を作り、それぞれの個性を活かしたチームづくりをしようと努めたんですが、うまくいかなくて…。少し恥ずかしいですが、その時の心境としては「自分は全体のことをこれだけ考えているのに、なんでまとまらないんだろう…」とモヤモヤしていました。OBと会った際には「高校生になったら、(お前は)キャプテンにはならないよ」と言われたこともあり、これはショックでしたね。「自分ではしっかりやっているのに、なんでそこを見てくれないんだろう。自分は、どうすればいいんだ」と悩みました。

この時気づいてはいたんですよね。全体のことばかりで、一人一人の気持ちを気にしてなんていないと。でも目の前の人に向き合うのが怖くて逃げ続けていました。だから、起こったことやうまくいかないことを他人、環境のせいにして、自分自身と向き合って改善することができなかったうまくできることを周囲に求める前に、人として友達として、信頼関係を築くことがとても大切だと学んだ経験でした。

–高校時代のことで覚えていることはありますか。

高校に入ってからはサッカーはやめてしまい、無気力に過ごしていました。音楽をやる、と言ってサッカーをやめたものの心の中ではサッカーをしたいと思っていて、複雑な心境でした…。

家系的には医者になることを期待されて育ちますが、高校1年生の頃に参加した進路講演会で自分の未来に向き合う中で、学校の先生になろうと考えるようになりました。

受験学校だった私は、高校生が授業に期待していることって、受験に繋がる学びや対策だと考えていました。一方で、先生によってはそれらに触れない人もいて、自分が先生になったら「生徒の期待に応えられる先生」になりたいと思ったんです。

とはいえ、熱心に勉強に向き合えず…。現役時代に受けた志望校には受かることができず、浪人。その後、心を入れ替えて勉強に励みました。

 

大学4年生で内定辞退。葛藤を超えて、会社創業へ

–大学入学後は、どんな生活を送っていましたか。

最初は“普通”の大学生で、在学中に教員免許を取ることを目指していました。大学1年生の夏を迎えると、「このままでいいのかな」と焦りはじめました。打ち込めるもの、熱中できることを見つけたいと思うようになりました。

塾でチューターとして働きながら、高校生と関われる仕事場を探して検索していると「NPOカタリバ」に行きつきました。NPOカタリバは、意欲と創造性を10代に届けるというミッションの元、カタリ場事業というものが当時あり、高校生に本音を話せる場所を届ける事業をしていました。まさに自分が欲しかったもの。ノールックで飛び込みました。

–「カタリバ」で働く日々を通してどのようなものを得られましたか。

大学在学中は、ずっとカタリバで働いていました。週5で授業などの予定があるなかでもなんとか必死に両立していました。

得られたものは本当にたくさんあって…。まず、カタリバは私の仕事のベースを作ってくれた環境でした。職員の方々が優秀で、私自身の特性に合わせた仕事の進め方を教えてくれました。次に、メタ認知を通して「自分が何者であるか」と探究する機会に多く恵まれました。自分自身で考えるだけではなく、自分以外の人の人生について話を聞いて自分自身でもまた考えが深まるということを繰り返していました。最後に、鳥の目で見て考える機会を通して「自分が社会にどう関わりたいか」という視点で考えが深まりました。その結果、元々目指していた教員というキャリアにも方向転換がありました。

–卒業後の進路について教えてください。

大学3年時から就活に取り組んでいましたが、方向性が定まらず、苦労しました。カタリバで得たやりがい以上のものを見つけられなかったんです。

内定を頂いたものの、大学4年生の1月に辞退…。同級生が入社式に出席している頃、私は自宅のベッドにいました。自分は何をしているのだろう。そんな喪失感も感じつつ、前に向かうしかないと思いポジティブに未来を見据えていましたね。

その後改めて、HR業界のある会社に出会いました。長期インターン生として入社したのですが、その期間中に大型のコンサルティング案件を受注するなどの成果を残すことができ、ここで頑張ってみようと決意。入社しました。営業や企画など、受注した案件のほぼ全ての工程に関わり、多くのビジネス経験を積むことができました.

–起業の経緯を教えてください。

優秀なメンバーも多く、なんでもできるため成長機会はあったものの、改めて今後の自分のキャリアについて考え、退社を決めました。その後、半年が経ってから会社を設立しました。社名は「NO WALLs 」。「人の関係性と未来への希望に対して壁はない」という意味が込められています。

カタリバでは、理想に対して対話、ワーク、研修、コミュニティ等、多様な手段を時間軸別に設計、実装するということを繰り返し行っていました。その経験をもとに、広義の意味の「場」や「コミュニティ」を作る会社として設立しました。

 

一人ひとりにセルフマネジメントスキルを

–昨年立ち上げた新規事業があると伺いました。どのような事業ですか。

自分の特徴に合わせた生き方をまとめ上げられる「セルフマネジメントコーチング」事業です。
キャリアコーチングを中心として、生き方について考えられる事業が増えてきていますが、私たちは、キャリアコーチングが道筋を描くものであれば、その道をどうやって進めばいいのか?という自分の運転方法を手に入れられるのが「セルフマネジメントコーチング」です。

パーソナルコーチが付き添い、「生命科学・心理学」に基づいた「体系だったセルフマネジメント」を学び、実践、習得をしていくセルフマネジメントスキル習得プログラム「Beat -self-」です。

–なぜこの事業を立ち上げようと思ったのでしょうか?

場やコミュニティづくり、組織支援をしていると、関係性を改善することの限界を感じることが多くありました。一人ひとりが個人として余裕がなく、他の人から奪おうとしてしまうシーン、自分だけよければいいという姿勢が見えるシーンなど。特に会社組織において、一定の自律性を持ったメンバーを育成しないと、組織開発や対話の場を設けるだけでは、難しいと感じるシーンが多かったのです。

この疑問に向き合ったときに、自分自身は一人一人の方が自分の納得できる人生を歩んでほしい、そのために人と人の関係性がよくなることで社会に寄与したいと考えていましたが、一人一人が自分自身の操縦方法を教わる機会がないことに課題意識を持ちはじめました。
実際にセルフマネジメントに困っている方も多いと思います。なぜか知らないけれど、モチベーションが上がらない、なんかわからないけれどイライラする、もっと頑張りたいのに頑張りきれないなど、トップのビジネスパーソンでも原因不明と思っている方も多くいるのが実情です。

–どのような機会があれば原因不明な部分を解消できるのでしょうか?

大抵の、特にハードワークなビジネスパーソンに起きているのは、過度なプレッシャーであるケースが多いです。ノルアドレナリン等のストレスホルモンが出ていることによる反応だと思います。

このように、なぜそうなっているのか?メタ認知できることを増やしていくことがまずはとても大切です。そして自分の特徴を知り、自分の特徴に合わせた生活の仕方を作り上げることができてくると、生活をしながら、「今自分はこういう状態で、こういう風にしたほうがいいな」と判断できるようになっていきます。特にセルフマネジメントの問題は、1つのことが問題になっているケースは少なく、仕事や人間関係、身体的健康、睡眠の時間や質、食生活など、あらゆることが起因しています。だからこそ、複合的に自分で判断できるようなセンサーを持つことが大切です.

私たちだと、CDSモデルというもので自分のモードをメタ認知できるようなフレームを持っていたり、Beat scoreというセルフマネジメント診断ツールで、自分のセルフマネジメントの特徴を知ることができます。また、BIORADIOという生命科学からメタ認知を促す、「COTENRADIOの生命科学ver.」のようなものもしてます。学術的な視点を起点に、自分自身の特徴や状態をメタ認知することができるような学びや実践をすることを強くお勧めします。

–今後実現したいことはありますか。

会社としては、頑張りたい人の壁を一緒に乗り越えていく事業を作っていきたいと思っています。直近は、「自分オリジナルな納得できる生き方を手に入れられる社会を創りたい」とVisionに向かって、セルフマネジメントコーチングプログラム「Beat」を通して、個人が抱えるセルフマネジメントの課題を解決していきたいと考えています。

30万円かけて自動車教習所に行くのは当たり前ですが、24時間365日いつも一緒の自分の運転方法を習得することにお金をかけることは当たり前になっていません。
一方でトップのビジネスパーソンですら、自分のパフォーマンス発揮に悩んでいます。これは個人の問題ではなく、社会としてそういう場がないことに問題だと思うのです。だからこそ、セルフマネジメントを学べる機会を当たり前にする。この想いで突き進んでいきます。

–読者の10代、20代の方へメッセージをお願いします。

まずはここまでお読みいただきありがとうございます。自分が大切だと思うことは、人生でどれだけのドラマを刻めたかだと思っています。そのドラマが自分の血肉となり、未来に繋がっていく。そして最後死ぬ時に、たくさんのドラマが走馬灯のように広がっていくのだと思うのです。

たくさん失敗してたくさん迷惑かけていいじゃないですか。そうやって私も学んできましたし、これからもそうやって学んでいくのだと思います。

ルフィがたくさんの人に迷惑をかけても愛されるように、私もたくさんのチャレンジをしながらも人に感謝しながら生きていきたいと思っています。一緒に頑張っていきましょう。

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取材・執筆=山崎 貴大