様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第284回目となる今回は、株式会社バードマン リレーション第二本部 部長 二神雄揮さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
子供の時から今までたくさんのことに興味を持ち、挑戦を繰り返す二神さん。そんな二神さんの半生と二神さんにとっての「挑戦」について詳しくお伺いしました。
勉学と習い事で忙しかった子供時代
ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。
株式会社バードマンの二神雄揮です。プロデュースカンパニーを名乗っていて、いわゆる広告的なTVCMやプロモーション企画の実行の他、0→1フェーズの事業や1→100フェーズの事業問わずマーケティングパートナーとして寄りそって、一緒に事業を作っていくような業務もしています。
今働いている会社が3社目で、事業開発に関わることが好きで大きい事業に関わりながらも、手触り感のある事業がしたいこともあり副業にも力を入れてます。
ー部長として、具体的にはお仕事はどういうことをされてるんですか?
現在営業部は2つの部署に分かれていて、エンタープライズ担当の部署とSMBや新規の案件を受け持つ部署があり、僕の部署は後者です。
既存のクライアント様の事業をしっかりと伸ばすことに貢献しながら、我々にお支払いいただく予算もしっかり拡張させていただくという業務になります。担当業務としては案件のフロント業務から進行、時にはマーケティングアドバイザリーやコンサルティング的な領域も担当することがあります。
組織には新卒や営業未経験の若手が多いので、育成業務も担当しています。
ー多岐にわたるお仕事をされているのですね。先ほど副業についてもお話がでましたが、副業は現在どのようなことをされているのでしょうか?
現在は、今の会社が忙しいので停滞気味ではあるのですが、愛犬に出演してもらってInstagramやYouTube運用したり、アーティストさんの作品の売り上げ上昇のためのアドバイザーのような副業をしています。
また、 NoCode(ノーコード)というプログラミングを使わなくても、ある程度LPやアプリ、自動化のツールなどが作れるツールを紹介するサイトを作っていますね。
ーそれではここからはライフログに沿ってお話をお伺いしたいと思います。小学校時代のお話からお伺いできますか?
小学校の時は勉強ばかりやっていました。塾に週3、4回通い、習い事もバスケット、水泳、英語、サッカー、野球などを掛け持ちしていて、バスケ行った後に塾に行くことやスイミングスクール行った後に英語教室行くことなどしていました。
家庭内で習い事させられていたわけではなく、自分自身が興味範囲の広かったのでとりあえずやってみたいから始めてみることが多かったです。僕の家庭は、1度自分で決めてやり始めたものは目標を決めて目標をやり切るまでは続けるといった教育方針だったので、自分の興味のあるものを始めていくうちにハードなスケジュールになりましたね。
当時の教育方針が今の仕事にも生きていると思います。
ー努力の甲斐あって四国の進学校に進学されるようですが、学校選びの経緯をお伺いできますか?
当時、周りの友達の目指す学校が同じ偏差値周辺の学校だったので、自然にそういった進学校を目指していました。
ー進学されてからの学生生活についてお伺いできますか?
医師を志望している同級生が多く、学校でも勉強にかなり力を入れていました。
入学当時から中学校2年生までは、上位6位から上位8位ぐらいキープしていたのですが、小学校からずっとあんまり遊んでいなかったこともあり、勉強に飽きてしまいました。また、自分が医師になりたかったわけではなかったので、「医者になるために勉強している」という周りの雰囲気に乗ることができず、勉強のモチベーションが下がってしまい、成績がどんどん悪くなってしまったんです。
中学校2年生から大学受験まで、あまり勉強をしなくなったのですが、数学はずっと好きで大学の受験も数学で受験をしました。
パルクールに熱中、さまざまな会社のインターン参加した大学時代
ー中学校2年生から大学受験までの期間で他にされていたことはありましたか?
中学校1年生からサッカーをずっとしていました。しかし、高校生に入ってちょっとした疾患が見つかり、今は完治しているのですが当時はドクターストップで、集団スポーツを控える必要がありました。自分はスポーツが好きだったので、1人でできるスポーツを探し、パルクールやフリーランニングに出会いました。
パルクールであれば集団スポーツではないので、自分にもできると思い、高1から始めました。当時はYouTubeにも動画をアップしたり、SNSで全国各地のパルクールをしてる人たちと繋がって、練習、オフ会で遠征して練習したりしていました。
1人でやるからこそ、ほかの人と繋がって情報収集や友達を作ることでパルクールを続けるためのモチベーションにしていました。
ー本当にこの時期から色々なことをされていたのですね。その後大学は早稲田の商学部に行かれると思うのですが、早稲田大学を選んだ理由などはありますか?
東京大学の文科一類を目指していて落ちてしまったのですが、早稲田大学は親族が3人いたので、私立に行くのであれば早稲田かなと思っていました。
当時は起業にとにかく興味があり政治経済学部か商学部に入りたいと思っていて、結果的に商学部に入ることになりました。
ただ、なんちゃって意識高い系と言いますか、当時は大学ではなく入って何をやるかを重要視しており、そんなに大学にこだわりはなかったです。
ー起業という言葉も出てきましたが、大学に入ってからの生活はいかがでしたか?
大学での勉強に対するモチベーションはあまり高くなかったのですが、事業開発や起業に対する意識は高かったです。東京に行ったら将来起業するための準備をしたり、当時の言葉で言うとなり上がるための最短の道を歩みたいと思っていました。
まず、東京に来て1番にしたことが新宿の歌舞伎町のバーで働き始めたことです。その理由が、バーは経営者がいっぱい来るはずだと思っていて、バーに来た経営者の人と話して、人脈が広がれば大きいことできるんじゃないかと思っていました。
実際に働いていたバーで色々な経営者の方とお話する機会があり、将来に役に立つアルバイトをおすすめされ始めたり、インターンに行ったりもしていました。
具体的にインターン先でしたことは、中高生向けのプログラミングスクールをやってるベンチャー企業で、iPhoneアプリの作り方を学んで、それを中高生に教えていました。その後、色々な企業のインターンに参加し、できるだけ幅広く色々なことを学びたいと思っており、営業技術やスタートアップで使えるような技術を培っていきました。
ーたくさん足を運んで色々な経験を積んでいたのですね。幅広く色々なことをしたいと思ったきっかけはありますか?
まず、「将来どういうビジネスに関わりたいか」の点で、僕は矛盾する2つの思いを抱えていて、1つ目がユーザーに大きな行動変容を生む可能性のあるような、作り上げる世界観に熱狂できるプロダクト作りをしたいって考えています。世界に影響を与えるようなプロダクト作りってのに関わりたいなと思ってるんです。
一方で手触り感のあるスモールビジネスもやりたいと思っています。具体的には仲間内でちょっとした事業を立ち上げたり、あまり収益にはならないが面白そうなビジネスなどです。また、自分していた愛犬のInstagramも戦略から行動まで自分で対応できるので、自分だけの実験場みたいなものを、もっておきたいと考えています。
しかし、その2つを同じ会社で求めることなかなか難しいと思います。そこで、大きい会社にサラリーマンとして軸足を置きながら、副業で自分の好きなことを実現させていく方法を考えました。
2つのことを実現させるために必要なスキルが事業開発のような幅広いスキルだと思い、幅広く色々なことに挑戦しました。
僕が考える事業開発スキルとは、どんな事業においてもインパクトの大きい成長促進のアクセルの役割を担えるスキルです。営業やマーケッター、エンジニア、デザインなどの実務スキルと大きい組織でのマネージャースキルや多くの階層のマネジメント、戦略策定とかファイナンスの両方を取っていくようなものが事業開発スキルだと考えます。
もちろんしっかり実務スキルもないといけないですし、その組織やその事業の成長促進のアクセルになる部分をしっかり把握して、実践に落とし込むるスキルも大事だと思います。両取りをしていくことを意識しながら、事業開発スキルを追い求めてます。
「まずはやってみる」成果がでないことは無駄ではない
ー色々なことを経験された後、サンフランシスコに留学されるんですよね。
元々留学はしてみたいと思っていました。
当時は、ベンチャーやスタートアップの企業を学んでいたので、シリコンバレーにはずっと興味がありました。職場見学とか、もしかしたらインターンさせてくれるかもしれないと思い、サンフランシスコに留学しました。
実際に海外の企業の面接を受けてインターンをさせてもらえないかお願いして実際に働かせてもらったりしてました。現地の企業は実力社会で僕が留学したの23歳の頃だったのですが、10代や20代前半のCEOが多くいて、日本じゃ聞かない額の投資を受けたとか、すごい数のMAUを抱えているとか話していることに驚きましたね。20歳前半ですでに有名大学の教授の資格を持っているというような人もいました。
ー留学したことで、就活への影響はありましたか?
留学で影響を受けた点は、就活をする時の会社を選ぶ基準ですね。
いかに早く基礎スキルを学ばせてもらい、基礎スキルを学びつつ成果を上げたら、新規事業任せてもらえる可能性が高い会社を軸に職場を選びました。事業とか領域とかの好みはあまり考えずに、就職先を決めました。
その結果、1社目はあまり興味がなかった介護・医療業界の会社の営業部門に就職しました。
ー1社目は介護・医療業界の営業をされてたそうですが、実際はどういったお仕事をされてたのですか?
最初は既存事業の営業から始まりました。介護職のヘルパーさんやケアマネージャーさんなどの転職のウェブサービスの営業から始まりました。
2年目に僕がずっとやりたいと言ってた新規事業の立ち上げに関わらせていただき、営業や仕組み作り、どんなツールを使うかなど、予算の部分も請負わせていただきました。
ー3年半くらいで転職されるようですが、転職のきっかけをお伺いできますか?
同じ会社で働いていた人から声をかけていただいたのがきっかけでした。
当時働いていた会社が大きな会社だったので、ある程度お金も事業運営のリソースもある中の事業開発だったのですが、同じ領域でいくつも事業を展開していたので、既存事業とのカニばりなど、なかなか自由に動くことができない状態でした。
2社目では小さい会社で事業運営のためのリソースや資金や人などを集めたり、自分の裁量が大きく関わってくる泥臭いところから新規事業を携わりたいと思っていました。また新規事業を始める時に、自分の興味がある事業を始めたいと思いました。
ー自分の興味のある分野に転職されたのですね。2社目に転職するタイミングでこ副業を始められたそうですが、きっかけはあったのでしょうか?
ちょうど転職にタイミングで愛犬を飼い始めたのがきっかけですね。飼い始めの小さい頃もとても可愛くて写真に収めておきたいと思い、Instagramを始めました。
ペット系のSNSアカウントは需要が高く、戦略を組まなくても流行るアカウントが多かったので、戦略的に運営をしたら勝てるのではないかと思ったことが始めたきっかけですね。
ー興味関心があることを、ある程度スキルとして確立するまでに何か気をつけていることはありますか?
「まずやってみる」ことを大切にしています。
結果、意味がなかったことや成果が出なかったとしても、最悪今回のようなインタビューだったり
飲み会の場で話せるネタになるので無駄なこととは思わないです。
例えば、YouTubeの運営はインスタグラムほどうまく行かなかったですが、自分で実行したり動画の編集技術を身につけたことにより、営業先の方が「YouTubeの運用始めたいんです」となった時に自分がやっていた時のノウハウが生きて、アドバイスさせていただいたり、時にはそれが仕事に繋がることもありました。なにかをすることで無駄になることは1つもないんですよね。
あとは始めた後、どうやってモチベーションを維持するかですが、僕の場合は始めると決めた段階で、機材や設備など形から入ります。逃げ道をなくすみたいな感じですね。
「投資金額を取り戻すためにはどこまで続けないといけないか」を決めることでモチベーションを維持しています。
また、時には引き際も大切な時があるので、モチベーション高く熱していく時と、冷めていく時を、しっかり自分でメリハリつけるようにしてます。
ー二神さんの今後の展望をお伺いできますか?
そろそろ、継続的に成長させていけるような手触り感のあるスモールビジネスを動き出したいと思っています。
まだ、何を事業として運営するかなど詳細は決まっていないので、しっかり決めて検証をしていきたいと考えています。
5年後には立ち上げたスモールビジネスで、しっかり収益をあげられるようにしていきたいと思っています。
ー本当に今日はあっという間でした!素敵なお話ありがとうございました。今後の二神さんのご活躍楽しみにしています。