人はつながりの中で生きている。困ったら助け合い、人間の可能性を諦めない。理学療法士 川邊祐詩

こういうふうに死にたいって、こういうふうに生きたいと同義

ー理想と現実のギャップを感じてしまった時期から、再び理学療法士になりたいと思うまで、どのような経緯があったのでしょうか?

なりたいのは理学療法士ではないのかもと思ったので、他の職業を見に行きました。

プログラミングや経営、コミュニティ作りなどを見に行ったのですが、結局「リハビリテーションをしたい」に戻ってきてしまい、僕は理学療法よりリハビリテーションをしたいんだなと思いました。

理学療法の上に、リハビリテーションの概念があります。リハビリって、「再び適応する」という意味です。

ケガをして、やりたいのにできない。それでも生きていれば、やりたいことをやる権利がある。再び人に取り戻していくことが、リハビリテーションという行為です。自分らしく生きていく、人間らしい権利の回復を理学療法でやっています。

そこから国家試験を受けて、理学療法士の資格を取得しました。

ー改めて、川邊さんが現在のキャリアを選んだ理由を教えてください。

理学療法士って、9.5割ぐらいが病院に就職するんですが、僕は在宅支援の分野で働いています。

どんな病気や障害をもっていても、自分の住みたいところで生きていく。実習で出会った、やりたいことのできない80代のおばあちゃんがきっかけになり、在宅支援に行きたいと思いました。

実際に働いてみて、めちゃくちゃおもしろいですね。

ー何が川邊さんを、そんなにワクワクさせているんですか?

人間の可能性みたいなものが見られるし、人とのつながりが大事だよねってよく言うけれど、つながりが人生の最後にどんな意味を持つのか、そういうものが見えるんですよね。

死ぬって生きることだなと思います。こういうふうに死にたいって、こういうふうに生きたいと同義だと思うんですよね。

例えば友達に囲まれて死にたいなら、どう生きるか。どう死にたいかがイメージできたら、どう生きたいかを明確にイメージできるんですよね。

それを間近で感じるので、死を間近にした人たちの生きる力やエネルギーみたいなものは、何物にも代えがたい。

ただ高齢者ってできることが減っていくので、周りの環境や価値観次第で、その人の可能性を狭めることもできれば、広げることもできるんですよね。

これは高齢者にとってよくあることですが、立つと危ないから座っていてって言われるんです。それって、その人が自由に動く権利や失敗する権利を奪うことになります。

やりたいことがあっても、「危ないからやめておきなよ」と言われることがほとんどですが、どうやってやりたいことを叶えていくか、可能性を広げていくことが本当におもしろいですね。

ーサムネイル画像になっている、おじいちゃんとの出会いもあったそうですね。

大学時代の経験から、「医療者が輝けばその先にいる人が輝く」という思いで、初めは医療者のキャリア支援をするスタートアップに入社しました。

医療学生のキャリア支援やシェアハウスなどの運営をする中で、現在の会社に入るきっかけになる、80代の重度な認知症の方とルームシェアをすることになります。

医療者と患者という、する側とされる側の関係ではなく、共に暮らして、1人の人として関わることを大切にしているところにひかれました。

約1年間ルームシェアをして、お看取りまでしたのですが、その方との関わりが、僕の中で1番大きなものになっています。人はどう生きて、どう死んでいくのか、本当に考えさせられた方ですね。彼との日々は、noteにまとめています。

元々アグレッシブな方で、病気の影響もあり、自分のペースで物事が進まないと怒ってしまうので、病院や老人ホームから出禁にされていて、家族も一緒に住めない状態になっていました。

高齢で病気を持っている方に貸してくれる家もないので、現在の上司にルームシェアを提案されて始まりました。

2世帯住宅みたいに、玄関から部屋が左右に分かれていたので、僕が左側に住んで彼が右側に住んでいました。朝起きて身支度を整えるところから寝るところまで、僕だけではなく、会社のスタッフも関わりながら、おじいちゃんを支えていく生活です。

ーアグレッシブなおじいさんだったと伺ったのですが、コミュニケーションをどうやって取って、生活していたのですか?

言葉でのやり取りが、通じるときと通じないときがありました。

言葉でのコミュニケーションが難しいときもありますが、「この人は自分に危害を加えない人」「安心できる人」を認識することはできるので、信頼関係をしっかりと結ぶことができれば、彼がよりアグレッシブになることは、ほとんどなかったですね。

彼には持病もあり、生死を彷徨ったり、体調不良になったりすることが定期的にあるのですが、なんだかんだ回復して戻ってきていたんですよね。今回も帰ってくるかなと思っていましたが、そのまま亡くなりました。

覚悟しているつもりだったのですが、人はいつ死ぬかわからないって、そのときに実体験として深く感じましたね。

あの時こうしていれば、彼のやりたいことをもっと聞いていれば良かったって。どれだけやっていたとしても、亡くなったときに周りは何かを後悔するんだなと思いますね。それでも僕と彼の関係や、彼と他の人の関係やつながりをどれだけ大事にできたのかも残る。

人が亡くなったときって、悲しいことや辛いことだけではなく、そのつながりの中にあったうれしいことや楽しかったこと、幸せなことも残っている。彼が亡くなったときは、もう会話ができない寂しさと感謝の気持ち、いろいろな感情が混ざり合っていましたね。