「嫌われたって、人の痛みに寄り添いたい」不条理と戦い続けるノンフィクションライター・ヒオカの信念

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第383回目のゲストはノンフィクションライターのヒオカさんです。

「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーに、貧困問題や格差に関しての執筆活動を行うヒオカさん。ご自身も貧困家庭で育ち、「新品の制服が買えない」「大学の奨学金が実家の生活費に使われてしまう」などの経験をしながらも、大人になるまで自分が貧困であるということに気付かなかったと言います。「自分にとっては当たり前だった」と語る体験を赤裸々に描写したnote「私が”普通”と違った50のこと〜貧困とは、選択肢が持てないということ〜」は、SNSで拡散され、たくさんの反響を呼びました。現在、本業である動画編集の傍ら、貧困をはじめとした社会問題に関しての取材・執筆活動を重ね、隠されてしまいがちな人の痛みにスポットライトを当て続けています。

SNSをきっかけとして出会いを広げ、人生を変えてきたヒオカさんの、活動に対する信念を伺いました。

「自分にとっては当たり前の日常」がバズり、人生が変化 

ー本日はよろしくお願いします。ヒオカさんのことをnoteをきっかけに知ったという方は多いかと思います。現在のご活動を教えてください。

現在、25歳で、ライターとしての活動は2年目となりました。本業を持ちながら、エージェントと契約して執筆活動を行っています。これまで、現代ビジネスやビジネスインサイダージャパンに寄稿しています。

noteで記事を公開するようになってから、いろいろなチャンスに恵まれました。わたしにとって当たり前だった貧困家庭体験は、4,200以上のいいねがつき、コメントもたくさんいただきましたね。

 

ーライターとしてお仕事をするようになったきっかけを教えてください。

noteで公開していた「生まれつき白メッシュの私が受けた、黒髪信仰の圧力」という記事を転載という形で寄稿したのが、初めてメディアに自分の文章が載った体験です。その転載を提案してくれたのが、ライターの師匠でした。

もともと「憧れの人に会いたい」という気持ちが強く、TwitterのDMを利用して連絡をとり、いろんな方と出会っていました。そんななか、愛読していたメディアの元副編集長の方とも知り合うことができたんです。23歳のときでした。

とても親身になってくれて、散歩したりランチをしたりしながら話をじっくりきいてくれました。そこから親交が始まり、「noteであなたの体験を書いてみたら」とすすめられたんです。まさか自分の体験に価値があると思っていませんでしたし、そもそも貧困状態だったという認識もありませんでした。「自分の家であったことを100個書き出してみて」とアドバイスを受け、普通と違った部分を振り返るようになりました。

ちょうどその頃、新型コロナウイルスの感染が拡大し、給付金についての案が政府で議論されていました。10万円の一律給付は、発案された当初、対象を低所得者のみとする方向だったんです。そのことに、SNS上では批判の声があがっていました。「納税者を差し置いて、低所得者が税金を奪いやがる」「働かないから自業自得」。

「成人式では、振袖を借りることができなかった」と語る。

わたしの父は障がいがあり、定職に就けず、家庭は貧乏でした。働きたくても働けない人はいますし、望んで貧困になっているわけではありません。そういう人たちのことは無いものにされてしまっているんだ、という現状を知り、自分の体験を書こうと決めました。

そして公開したのが、「私が”普通”と違った50のこと〜貧困とは、選択肢が持てないということ〜」という記事です。

 

ー反響はいかがでしたか。

さまざまな声をいただきました。同じように貧困家庭で育った人からの共感もありましたし、「何十年も生きてきて、貧困の現実を初めて知りました」という人にも届けることができました。当事者に直接聞きづらい話題ですから、知ることがなかったのでしょう。

また、拡散されたおかげで、自分がいままで憧れてきた人にも読んでもらうことができたんです。高校生の頃、塾にも行けず、中古の参考書で、環境が悪い中でも頑張って受験勉強をしていたわたしを励ましてくれた一冊の本がありました。その本の著者は、貧困家庭に育ちながら猛勉強をし、東大合格を成し遂げていたんです。その人が記事を読んでくれて、さらにシェアしてくれたとき、通知を見て驚きました。すぐに連絡をして、電話でお話させていただき、現在所属しているエージェントも紹介してもらったんです。

 

ー自分の経験、想いを言葉にしながら、チャンスを手にしてきたんですね。書くということの原体験はどこにあるのでしょうか。

中学生の時に参加した弁論大会で、言葉のもつ力を実感しました。

わたしはもともと活発な性格で、小学校のときはクラスの中心にいるようなタイプだったんです。しかし、中学1年生のときにいじめに遭い、5月にはもう学校へ通えなくなってしまっていました。

中学3年生のときに、学校の課題で提出した作文が弁論大会に出場する作品として選ばれたんです。不登校のわたしは、家では父親に学校に行かないことを責められ、怒鳴られ、ずっと息を潜めて暮らしていました。家庭でも、学校でも、透明人間であろうとしたんです。常にそんな状態だったのに、県の弁論大会の会場は500人は収容できる大きなホール。聴衆に向かって、それまで抑圧してきた自分の感情をぶつけました。

作文のテーマは「不登校のわたしの想い」で、いじめられて正気が保てなくなり、どんどん落ちていく過程を書いていました。それまでのたくさんの気持ちが乗っかていたんです。そのとき、「わたし、生きてる!」と感じることができました。さらに、わたしの言葉で涙を流してくださる方もいたり、感想を伝えてくださる方がいたりして、言葉のもつ力を実感しました。人が表現する意味を知り、「わたしの生きる場所はここだ」と思ったんです。

 

出会いが人間不信を変えてくれた

ーいじめを経験されて、価値観にも大きな影響を残したかと思いますが、いまはヒオカさんから積極的に人とのつながりを作っていますね。

確かに、いじめによって人間不信に陥ってしまったときもありました。結局、中学3年間をとおして不登校のままだったので、地域の支援センターが運営しているフリースクールに通っていました。わたしと同じように不登校の子たちが集まっていたんですね。みんな、とても優しかったんです。それぞれ人に傷つけられた経験を持っているから、優しくあろうとしていたんだと思います。そこで自分を認めてくれる存在と出会うこともできました。

その後、進学した先の高校、中学では友人に恵まれましたし、SNSを通じて出会った方々にもまるで家族のように接してもらっています。不信を払拭してくれるだけの出会いがあったんだと思います。

 

ー学生時代は、将来の姿はどのように思い描いていましたか。

発展途上国に興味があり、大学も国際系も学べる学科に進学しました。将来はNPO法人で働くことを検討していました。社会を変えたいという気持ちがずっとあったからですね。

現在、活動を言論の場においていて、NPOと違って直接的ではありませんが、わたしにとって最適な形がライターだったな、と感じています。日の当たらないところにいる人たち、現場で活動している人たちにスポットを当てていきたいです。

 

提供するのは知る機会

ーヒオカさんのモットー、活動の先にある問題意識について聞かせてください。

「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーに、痛みや弱者性を可視化することを信念としています。コロナ禍において、自己責任論で切り捨てられる人たちが増加しました。ひとりの人の人生が、無いもののように扱われてしまう。その問題を解決したいです。

生まれながらにベースをもった無自覚の特権層の人々がいます。そういった方たちは、不可視化された人たちに目を向けない限り、自分たちが特権をもっていることに気付かないんです。そして、時に努力不足という一言で人を切り捨ててしまいます。そこに分断を感じるんです。

知ることで、想像ができます。想像力があれば、寄り添えます。出発点となる知る機会を提供することが、わたしの活動のテーマです。社会の隅に追いやられている人、怒りを抱えた人、その人たちの声なき声を拾い上げ、可視化する。痛みを社会に反映させるライターでありたいと思っています。

 

ー声を拾い上げながら、ご自身の体験も書き続けていらっしゃいます。自分のことをさらけ出すことに抵抗はありませんでしたか。

「国公立の大学に行けばいい」「就職して働けばお金が手に入る」そうすれば、貧困から脱することができると思われ、アドバイスを受けることがあるんです。それぞれの家庭の事情がありますが、多くの貧困や虐待家庭では、文化的資本も金銭も乏しく、そもそも選択肢がないんです。さらに、生活力や学習意欲など目に見えない負債も大きい。見えない貧困は、本当に見えないまま。じゃあもう、わたしが書いていくしかありません。知ってもらえるのであれば、いくらでも言葉にします。

無自覚の特権層から見ると、後天的な努力でカバーできると思えるのでしょう。しかし、地続きのどうしようもない、目を向けるだけでやる気が削られてしまうような生活がそこにはあります。特権をもつ人は、経験を積めば積むほど、掛け算で大きなものを得られるでしょう。しかし、わたしたちは違います。マイナスからのスタートなので、まずそれをゼロに戻さなくちゃいけない。やっとゼロになって、積み重ねても、なかなか大きな数にならないから、ひとつマイナスの出来事があるだけで一気に元の生活へ落ちてしまう…。

リアルを知ってもらわないと、自己責任論者は減りません。これまでも貧困をテーマにした記事は公開されてきたと思います。しかし、メディアという特性もあり、センセーショナルさが前面に出たエンタメ化されたコンテンツが多かったように思います。画にはならないけど、もがいている、生きた人たちのストーリーがある。エンタメ化された貧困へも、カウンターを撃ちたいです。

 

嫌われてでも社会を変えるため声を上げる

ーヒオカさんが始動した「Spot Rightsプロジェクト」について教えてください。

本来、人がもっている権利に光を当てるためのプロジェクトです。「光を当てる」という意味と、「権利(right)」を掛けたプロジェクト名にしました。具体的には、痛みや弱者性を可視化するプラットフォームになります。Instagram上でいろいろな人の体験談をシェアするところからスタートする予定です。

SNSでは、強い人の積み上げてきたものや、キラキラした生活が好まれます。そういうものではなく、背負ってきた痛みや社会への怒りを可視化する場が欲しいと思ったことが始動のきっかけです。個人で声をあげていくのは、すごく難しい。わたしが誹謗中傷を受けているからこそ、困難さがわかります。プラットフォームが緩衝材となり、ひとりで衝撃を受けることがないようになればと考えています。また、言葉にすることでその人の傷を癒す手助けになれば嬉しいです。

 

ー誹謗中傷を受けることもあるということですが、そのような意見にどう向き合っていますか。

炎上している問題について自分なりの考えを発信すると、敵も増えます。誹謗中傷もあります。でも、わたしの性格ゆえ、「おかしい」と思ったものには立ち向かわないと気が済まないんです。それに、誰かが「おかしい」と声を上げない限り、いつまでも社会は良い方向へ変りませんよね。

今後も敵は増えるし、傷つくこともあると思います。それでも不条理と戦い続け、社会へ問いを立て続けます。そうやって、痛みを抱え、不可視化されている人たちに寄り添いたい。そのために、身を切ることが必要なんです。たとえ嫌われ役を買ってでも、声を上げ続ける人でいます。

ー戦いながら書き続けるヒオカさんの姿に胸を打たれました。ありがとうございました。

ヒオカさん(Twitter/note

取材:山崎貴大(Twitter
執筆:野里のどか(Twitter/ブログ
デザイン:五十嵐有沙(Twitter