違和感を大切に、心の赴くままに歩む。岡山大学大学院 保健学研究科看護学分野助産学コース、佐藤芙優子

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第981回目となる今回は、岡山大学大学院保健学研究科看護学分野助産学コース、佐藤芙優子さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大学院で助産師の勉強をしながら、性教育の講演活動やイベント運営に意欲的な佐藤さん。助産師になろうと思ったきっかけや、佐藤さんの根底にある思いについて教えていただきました。

女性の意見や権利を代弁して、擁護できる人でありたい

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

佐藤芙優子(さとう・ふうこ)と申します。 私は岡山大学の大学院に進学して、助産師になるために勉強しています。大阪出身です。

活動しているテーマは大きく2つです。中学校や高校に出向き、性教育講演や参加者と性についてオープンに語り合えるイベントの運営に携わっています。

それからライフワークとして、ハンセン病当事者の方に聞き取り活動をしてブログで発信したり、ハンセン病問題の啓発活動を通して人権について考える、スタディツアーなどの「聞きつなぐ」活動をしたりしています。よろしくお願いします。

ーここからは、佐藤さんの過去を振り返ってお伺いします。どのような幼少期を過ごされたのでしょうか?

母は公立学校の小学校の先生でした。公立学校のやり方に違和感があり、大阪で仲間と一緒に、学校を創る活動をしています。

私は2歳くらいのときから、学校を創る会の会議に一緒について行っていました。小さなときから、自分のしたいことややりたいこと、実現したい社会に向けて行動している大人の姿を目の当たりにすることがたくさんありました。

母の姿をそばで見てきていたので、自分のワクワクすることや、やりたいことに挑戦することに低抗感のない、そんな幼少期を過ごしていましたね。

私も初めは、保育園の友達がいるという理由で公立の小学校に通っていました。私は数学がすごく苦手なんですが、人によって得意・不得意があるなかで、全員同じペースで進めないといけない。「なんでなんだろう?」と違和感をもっていました。

母がオルタナティブスクールを運営していたこともあり、自分の好きなことを自分の好きなペースで進められるカリキュラムがあることを知っていたので、小学校4年生のころに転入しました。

今日は何ページまで勉強するか、何を勉強するかも全部自分のペースで決める。選択科目みたいな授業もありますが、音楽に行きたくない人は音楽を取らなくてもいい。英語も取らなくてもいい。自分で自由に、興味のある分野の授業が取れるシステムがありました。

先生という概念もありません。 生徒と先生みたいな上下関係があるわけではなく、対等で。関わっているなかで、お互いに成長していける関係です。 スタッフのことも、スタッフが呼んでほしい名前で呼んでいましたね。

ー公立の小学校に違和感を覚えてオルタナティブスクールに移った後、中学校はどう選択されたんでしょうか?

当時のオルタナティブスクールは、小学部までしかなかったので、中学はどこに行こうかなと考えたときに、公立以外の選択肢の1つがコリア国際学園でした。

見学に行かせてもらったときに、 たまたま当時の校長先生と事務局長さんとお話をさせてもらえる機会がありました。

私はコリアにルーツがあるわけではなかったので、「在日コリアンの方が受けてこられた差別や偏見を、理解できるのかすごく不安です」と相談をしたときに、当時の事務局長さんが、「理解しようとしなくていいから、ただ彼らのそばにいてほしい」とお話してくれて。

この言葉が、今も私の根底にあります。社会で起きていることって、理解したくてもできないことのほうが多いと思っています。

分からないから理解しなくていいやと思うのではなく、それでも知りたいし、関わっていきたい。そばにいられる人でありたいなと思い、コリア国際学園に進学しました。

友達が小学校のときに受けた差別や偏見の話を間近で聞いて、「同じ人間なのに、在日コリアンってだけで、なんで差別の言葉を受けないといけないんだろう」と、疑問がずっとありました。

中高の6年間をコリア国際学園で過ごして、在日コリアンの〇〇ちゃんみたいに、人を捉えなくなったなと思います。

在日コリアンは、その人の一部だけれど全部ではないから、 6年間を一緒に過ごすなかで、その子の他の部分も含めてその子なんだなと考えられるようになりましたね。

ー15歳のときに、現在の活動の原動力になっている出来事があったそうですね?

高校1年生のときに、交換留学でフィジー共和国に1年間留学をしました。もともと父の影響で幼少期から海外への興味があり、15歳のタイミングでフィジー留学が計画されていたので、行ってみようかなと思ったんです。

私は現地の高校に通っていたのですが、 そこで出会った仲のいい友だちが、10代で妊娠・出産をして高校を退学する出来事がありました。

将来の夢や好きな人の話、高校のことを話していたごく普通の女の子が、急にお母さんになって、なりたかった先生の夢を諦めざるを得ない状況になって。 妊娠・出産が、女性のキャリア形成に大きく影響してくることを、そのとき初めて自分事として感じました。

その出来事があり、妊娠・出産をサポートできる助産師になって、女性のアドボケーターというか、女性の意見や権利を代弁して、擁護できる人でありたいなと思いました。

フィジーに実際に行ってみると、きれいな海は観光地だけで、貧富の格差も目の当たりにしました。友だちと話していると、「日本ってどんな国なの?」「日本のアニメ好きなんだよね」と言ってくれるんですが、日本に行くお金はない。

交換留学を使って私はフィジーに来ていて、1年間も暮らしていることに対して違和感が生まれました。