弁護士として異例の「三足のわらじ」という働き方。数々の意思決定と今までの挑戦

弁護士として、スマートニュース株式会社、法律事務所ZeLo、NPO法人Mielka代表を務める徐東輝さん。

一般的な弁護士の働き方を超え、熱いビジョナリー精神で「幸福な情報空間」を目指しています。

「三足のわらじ」を履く彼は、スマートニュースに入社するまで、様々な意思決定をしてきました。

弁護士を目指したきっかけから、弁護士として描く今後のビジョンまでお伺いしてきました。

弁護士を目指したきっかけは、ある弁護士の言葉にあった

ー弁護士を目指したきっかけを聞こうかなと。いつ頃からなろうと決心したんですか?

徐東輝(以下、徐):「将来は弁護士になろう」と思い始めたのは、小学校高学年くらいでした。

実は、僕の両親は韓国籍です。両親の世代って、日韓問題の問題意識がすごい強い世代でした。

傍から見ていると、日本人は韓国人のことを嫌っているし、韓国人は日本人のこと嫌っていて。「何で、どっちの属性も持つ僕がこんな風に生きていかなきゃいけないんだ」とずっと思っていました。自分のアイデンティティがすごく嫌いだったんです。

ーなるほど。辛かったですね。

徐:両親によく、戦後賠償問題に関するシンポジウムなどにも連れられて。「韓国人が傷の舐め合いをしているような場所だな」と思っていたら、そこら中に日本人も居たんです。しかも、弁護団も日本人なんですよ

日本人弁護団が韓国人のために動いているというのを知って、僕は意地悪に、「日本人は韓国人のこと嫌いなのに、何で助けようとするの?」と代表弁護士の人に聞いたんです。

そうしたら、「国籍関係なく自分が正しいと思ったことができるのが弁護士っていう仕事だよ」って言われて。めちゃくちゃ刺さったんです。

ーなにそれ、しびれる。そこからずっと弁護士の夢は、変わらなかったんですか?

徐:ぼんやりと弁護士という進路を視野に入れていました。法学部を志望した理由も、ぼんやりと「弁護士になるなら法学部だろうな」ぐらいの感覚でした。

そして高3の1年間、むちゃくちゃ受験勉強頑張って、京都大学法学部に入学しました。

 

大学時代は、とにかく自分ができることに全力を尽くした

ーすごい。努力も実って現役で京大法学部へ。どんな学生時代を過ごしましたか?

徐:大学1年は、ザ・キャンパスライフでした。バイト三昧で授業はサボってばかりで。多分3回くらいしか授業を受けていなかったと思います。

そしてぼんやりと、留学に行きたいと思い、バイトで頑張ってお金を貯めて、ニュージーランドとカナダに、休学して1年間留学をしてきました。そこで、「僕はなにも世界を知らないんだ、空白なんだ」って思い知って。

その後は視野を広げるために、世界銀行のインターンに参加して「貧困」について考えたり、TEDにも関わったり。自分でやれることは、すべてやってきたって感じです。

ーかなりアグレッシブだったんだね。ivote関西(現:NPO法人Mielka)の活動は何がきっかけではじめたんですか?

徐:各国を周って日本に戻ってきてから、「日本の民主主義にコミットしたい」と思い始めました。数々の国を周って気づいたことは、政治に関心を持っている若者が多いのに、日本ではまだまだ意識が低いなって。そこから、今のMielkaへの活動に繋がりましたね。

日本の民主主義の課題は、大学院入った当初、政治参加の回路の少なさだと思いました。アクセスやアプローチ方法。それと意識ですね。投票意識が著しく低いので、選挙に同世代が全く行かない。

僕は在日だったので、投票権がないので、行きたくてもいけませんでした。

ーなるほど。

徐:当時、同世代に「どうして投票行かないんだろう?」と、すごい切ない思いをしました。この国やこの町の未来に意思決定ができるって素晴らしさを伝えたく、Mielkaの事業に携わっていましたね。

ですが、その後その問題意識は大きく変わることになります。2016年頃から、フェイクニュースやフィルターバブル、個人データの悪用などが民主主義の大きな脅威として認識され始め、僕自身も2016年大統領選挙のリサーチャーとして現地にいた際にその問題意識を強く持ちました。

それ以降は、とにかく「民主主義にとって最大の強みである自由な情報空間への介入によって、民主主義は最も脆弱なシステムに成り代わっている」と考え、良質な政治情報空間の設計を第一の課題として個人の思想も大きく変わっていきました。

 

ロースクール後はZeLoへ。就活時に大切にしていた3つの基準

ーロースクールを卒業後、ローファームに行きましたよね。ビックな企業などいろんな選択肢があった中で、ZeLoを選んだ理由は何でしたか?

徐:当時、企業選びの基準を自分の中で明確に決めていました。その中でも主に3つがピタッと当てはまったんです。

一つは「創業者がリスペクトフルなビジョナリーな人」。そもそもローファームでビジョナリーって、求められないんです。ただZeLoは変わっていて、印象的でした。そして二つ目は、「テクノロジーオリエンテッドなローファーム」でした。

そして最後は、「僕を暴れさせてくれる場所かどうか」です。

ーいきなり、面白い言葉がでてきましたね。カルチャーが合うかどうかでしょうか?

徐:そうですね… 。僕の体質的に、大手は合わないと思っていたんです。大きく裁量を認めてくれ、自由に案件に取り組むことができ、さらには組織設計にまで従事できるかなどが具体的な基準だったのですが、今までの条件が合う環境が、なかなか見つからなくて。そこで大手から独立して、しかもリーガルテックを推進する会社まで設立するというZeLoの話を聞いてみたら、「めちゃめちゃ面白いじゃん」ってなって。

駆け出しの事務所なので、当時まだメンバーは3人ほどしかいませんでしたが、創業2年半で20人を超える事務所に成長しています。

ー暴れ放題ってわけですね(笑)

徐:しかも、めちゃくちゃビジョナリーでしたし、独立する上司たちも圧倒的に優秀に感じたので、もうここしかないなと思って。就活を辞めて、ZeLoを選びました。

 

鈴木健との出会いとスマートニュース入社理由

ーZeLoにはどれくらいいたんですか?

徐:1年9ヶ月です。今も所属はしていて、プロジェクト単位で関わっています。

ーそこから、直近の意思決定に繋がると思うのですが、スマートニュースに入った経緯をお聞きしたく。鈴木健さんとの出会いが大きかったんですよね?

徐:そうですね。「スマートニュースの鈴木健」は、一方的に存じ上げていました。著書『なめらかな社会とその敵』を学生時代に読んで、「こんな風に社会を捉えられる人間がいるのか」と嫉妬していたので。実際に健さんと知り合ったのは、2016年の大統領選挙の時でしたね。

突然、Facebookから友達でもないのに、メッセージが届いたんです。「スマートニュースの鈴木健と申します。お会いできませんか」と。

ー唐突ですね。

徐:「え、あの?」ってフリーズしました(笑)で、実際にお会いしたんです。最初はスマートニュースの話はそんなになく、どちらかと言えば根底にある「なめらかな社会」をどう創るかをお互いで話し、意気投合しました。その後は弁護士になった時に、ランチに誘ってくださったり。

弁護士になった後も、ちょくちょく会って。健さんと会い話していくにつれ、一緒に働きたい想い、ここでなら自分が創りたい未来が創れるのではないかという想いが強まり、面談を受けることにしました。

ー実際に面談を受けてみてどうでしたか?

徐:先ほど、就活の3つの基準をお伝えしましたが、スマートニュースにも当てはまっていて。特に、ビジョナリーでリスペクトフルな人たちが、僕の中で圧倒的で。テックオリエンテッドも完璧だし、裁量権も持たせてくれる。行くしかないなって。

行くなら、顧問ではなく、フルコミットで入りたいというのもお伝えしました。

ー元々関係性もあったし、自分の基準が重なったんですね。

徐:そうですね。「何をするか」も大切ですが、僕にとっては「誰とやるか」が重要でした。他にも、上司で尊敬できる方が元々何人かいて、「この人達と世界を良くしていけるんだったら、行くしかないだろう」という想いです。

 

今後の目標は、幸福な情報空間を創っていくこと

ーでは最後に、今後チャレンジしたいことを教えてください。

徐:個人としては繰り返しになるのですが、脆弱になっている情報空間を適正なものにしていき、皆さんの幸福な情報空間を創っていきたいです。

しんどくなくて、鬱陶しくもない。でも、みんなに必要な情報が届く世界が理想ですね。身体的、精神的、社会的に良好な「ウェルビーイング」な状態の情報空間を創りたいです。

ーウェルビーイング、すてきですね。

徐:情報の格差や非対称性の不幸せを無くしていきたいし、お互いにとって素晴らしい世界ってもっと創れると思っています。スマートニュースが僕のやっていきたいことを現にやっているので、メンバーの一員として「幸福な情報空間」を一緒に創っていきたいと思います。

 

取材・編集:西村創一朗
執筆:ヌイ
撮影・デザイン:矢野拓実