COLORFUL U 代表・張孜翔が「やりたくない」に気づき、コーチングに出会うまで

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第930回目となる今回は、株式会社COLORFUL U 代表取締役の張 孜翔(ちょう・つうしゃん)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

現在はプロコーチ、コーチング学習サービス『Colorful U』のサービス運営など、幅広く活躍されている張さん。これまでの人生の選択を振り返ると、最初に「やりたくない」が出てきたそうです 。やりたくないことに気づき、心からやりたいコーチングを仕事として扱うまでの半生を話していただきました。

遠山正瑛との出会いが、キャリアの軸をつくる

ー自己紹介をお願いします。

株式会社COLORFUL U 代表取締役の張孜翔と申します。中国で生まれ、12歳で日本に来ました。就職するまでは名古屋で過ごしていました。

仕事はWebディレクターとして2社勤め、その後コーチングと出会い、フリーランスのコーチになりました。さらにコーチングを広めたい思いから、株式会社COLORFUL Uを設立しました。

現在はプロコーチやコーチング学習サービス『Colorful U』のサービス運営の仕事をメインに行っています。本日はよろしくお願いします。

さまざまな仕事をされていますね!張さんが仕事をする上で、大切にしている考えはありますか?

社会に対するインパクトを出しつつ、持続可能な形でビジネスを展開することです。遠山正瑛さんとの出会いで、大切にしたい仕事の軸が決まりました。

ー遠山さんはどのような方ですか?

遠山さんは中国の砂漠の緑化をやり遂げた日本人です。 砂漠での住民の生活は、遠山さんの活動のおかげで大きく変化しました。

遠山さんの存在は、たまたま見ていたテレビ番組で知りました。 命懸けで砂漠の緑化に向き合う遠山さんの姿勢に、とても感銘を受けました。

人々の生活を変え、日中関係をさらに良くする。「自分のやりたいことはこういうことかもしれない」と気づいたら号泣していました。

ー遠山さんとの出会いをきっかけに、変わったことはありますか?

日本の経営者の方々がどんな思想や理念を持ち、ビジネスに取り組んでいるのかすごく興味を持ちました。いろいろな事例を調べたり、関連する本を読んだりしました。

ーさまざまな事例を調べるなかで、中国と日本の経営者に違いはありましたか?

中国の人は単純にお金が好きなんです。お金をたくさん稼げれば、仕事のやり方にこだわらない方々が圧倒的に多いと感じます。もちろんそうでない方もいらっしゃいます。

一方で日本には世の中に対する目的意識を持ち、事業をされている方が多いです。「世の中をもっと良くしていきたい」と僕は志を持っている方がかっこいいなと思います。

志を高く持ったビジネス展開の素晴らしさを中国に伝える人になりたいです。その一つのロールモデルになるために、まず自分の事業を成功させたいですね。

日本で過ごしはじめ、「勉強」以外の選択肢を知る

ー幼少期の張さんについて伺います。中国から日本に来たきっかけを教えてください。

父の仕事関係です。父は単身赴任のような形で、日本の飲食店で働いていました。父が日本で働きはじめて約5年経ったタイミングで、母と一緒に日本に来ました。

ー日本に住むようになって、衝撃を受けたことはありますか?

みんな全然勉強してなかったことです。部活を仲間と楽しんだり、放課後に公園で遊んだりする時間を日本に来るまで知りませんでした。

ー中国ではどのような学校生活を送っていたのですか?

勉強ばかりの毎日で、朝の7時から夜の18時ぐらいまで学校にいました。放課後は山のようにある宿題に取り組んでいました。中国にいた頃は「勉強する」以外の選択肢がありませんでした。

ーその後、日本ではどのように過ごされたのですか?

日本の環境は天国だと思い、勉強をやめました(笑)。授業はしっかり受けて、放課後はみんなと遊ぶスタンスになりましたね。もしかすると、小学生の頃から「やりたくないこと」を避けていたのかもしれません。

両親の敷いたレールではないキャリアを選択する

ー続いて大学時代について伺います。まず大学はどのように決められましたか?

両親の意向で愛知県内の大学に進学しました。ほかにも条件を指定されるぐらい、両親はとても厳しかったです。日本で育ててくれた恩義を感じていたので、なかなか反抗はできませんでした。

ー両親に反発できない思いは、現在も抱いているのですか?

今はないです。大学卒業のタイミングで親離れができたように思います。両親は愛知県内での就職を望んでいましたが、最終的に東京にあるIT企業へ就職を決めました。当時県内で入りたいIT企業が全然なかったからです。

もちろん両親は大反対でした。両親が考えた「この大学に入りこんな企業に就職すれば、お金はこのぐらい稼げる」というレールから、大きく外れる選択だったからです。

ですが自分の人生は自分に決定権があると思い、自分の意思を貫きました。

ーなぜ自分の意思を貫けるようになったのですか?

大学生活の影響が大きいですね。周りの友人は自由に自分の道を決めてるのに、両親が望む選択ばかりしている状況に違和感を覚えたからです。

大学にはいろんな人が集まり、さまざまな価値観で溢れていて、意思決定もすごく自由に感じていました。「両親に反発してもいいんだ」と考え方が柔軟になっていきました。