自分で自分を好きになること。Crankle西村薫が考える「等身大の教育」とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第853回目となる今回のゲストは、『等身大の教育』を掲げて活動する、千葉大学4年生の西村 薫(にしむら かおる)さんです。

現在はフリースクールのスタッフ、子どもたちの居場所の運営、引きこもりや不登校の子どもたちの家庭教師など、教育に関わる様々な活動を展開している西村さん。教育に興味をもち始め、『等身大の教育』を掲げるに至った経緯を伺いました。

先生の指示にきちんと従う優等生タイプの子

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

現在教育学部の4年生で、学校で勉強をしつつ、家庭教師や学生プレーワーカーとして様々な活動をしています。

家庭教師は個人事業主としてやっていて、不登校や引きこもりの子たちのお家へ行って一緒にマンガを読んだり遊んだりしています。楽しい時間を誰かと共有することで、社会とのつながりを作れるよう意識しているのです。

学生プレーワーカーとしては、遊び場であるプレーパークにいるスタッフとして、子どもたちと一緒に日々遊びまわっています。本日はよろしくお願いします。

ー本日は西村さんが様々な教育活動に関わることになった経緯を、幼少期からさかのぼって伺えればと思います。幼い頃はどんな子どもでしたか?

小学生の頃はいわゆる優等生タイプで、先生によく褒められる子でした。指示に従えない子や、先に動いてしまう子はよく怒られていた一方で、先生が言ったことに対して忠実に従っていた私は評価を得ていたので、当時は自己肯定感がとても高かったです。

前に出たり、自分から何かをするのはあまり得意ではなかったのですが、小学6年生のときに担任の先生から「薫はもっと前に出た方がいいよ」と急に言われて。それで学級委員長を突然やることになりました。同時期にソフトボール部のキャプテンにもなり、急に自分に自信が出てきました。

ー自己肯定感の高さや、自信は中学入学後も続きましたか?

はい。中学でもソフトボール部に入り、中3で選抜チームに入って全国大会へ出場したり、市選抜のチームのキャプテンになったりして、自己肯定感は高いままでしたね。今までコツコツやってきたことが実を結んだ感覚を得ました。

自己肯定感の崩壊。主体性を求められるのが怖くなる

ー高校入学後のお話についてお聞かせください。

小学校・中学校と順調に来ていましたが、高校入学後は自己肯定感が崩壊しました。

日本一を目指すソフトボール部がある高校へ入学すると、「結果がすべて。どんなに努力しても結果が出なければまったく意味がない」と言われて。

私は今まで努力して頑張ってきたタイプだったけれど、努力というものが評価の対象にならなくなったのです。さらに強豪校では自分よりできる人ばかりで歯が立たない。ずっと褒められてきたのに誰からも認めてもらえなくなり、落ち込んでいました。

ー誰からも認めてもらえないというのは?

ひとつは、どんなに努力していてもそのプロセスは見てもらえないということ。また、部活動では指示が出る前に動くことを強いられていたのですが、上手くできませんでした。

小中学校のときは指示をちゃんとこなせれば一定の評価がもらえたのに、高校で「指示が出る前にやれ」と急に言われて、何をしたら良いのかわからなくなりました。指示待ち人間だと、3年間ずっと怒られ続けましたね。主体性を求められる環境がとにかく怖かったです。

ーそのつらい環境をどのように乗り越えたのでしょうか。

どれだけ怒られても、チームを良くしたいとかもっと自分から動けるようになりたいという向上心があったので、耐えられたのだと思います。