自分の経験を活かせる場所へ。事業開発フリーランス・中村元哉の自分主導の人生とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第714回目となる今回は、事業開発フリーランス・中村元哉さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

幼少期をアメリカで過ごしたのちに、日本に帰国。現在は会社から独立して事業開発フリーランスをしている中村さん。中村さんの過去を振り返って、なぜフリーランスという働き方を選択されたのかをお伺いしました。

アメリカに住んでいた幼少期。誰とでもコミュニケーションを取れる力を身につける

ーまずはじめに自己紹介をお願いします。

中村元哉(なかむらもとや)と申します。現在は事業開発フリーランスとしてセールスやカスタマーサクセスなどのマーケティング関連の業務に携わっています。京都出身で、幼少期はアメリカで過ごし、大学は東京の大学に通っていました。

会社員になってからは金融の会社で4年働いたのちに、IT業界に転職して1年働き、現在はフリーランスをしています。

ーフリーランスになられたのは、昨年(2021年9月)からとお伺いしました。フリーランスの働き方はいかがですか。

いろいろな経験が積める上に、自分の時間軸で行動ができるので、選択肢が広がっていると感じています。

仕事のお声がけをいただいたときや、自分がおもしろそうだと思った仕事があったときに、会社勤めだと踏ん切りがつかないことが多いです。しかし、フリーランスであれば、気軽に話を聞くことができるので、職業選択の幅が広がると思っています。

ー中村さんはいくつか仕事を掛け持っている状態なのでしょうか?

そうですね。私の場合、ひとつの軸となる仕事があって、それ以外は興味のあることやお誘いいただいたお仕事をしています。現在はメイン1社、サブ1社、スポット1社の合計3社と取引しています。

ー中村さんが、その3社を選ぶ基準や軸を教えてください。

1つがビジョン・ミッション・事業内容に関して、自分が納得した上で楽しそうだと思えることです。もう1つが、チームメンバーに尊敬できる人や自分が勉強になると思える人がいるかどうかです。

ー事業開発フリーランスとして、具体的にどのようなことをされているのでしょうか?

私がジョインしている会社は、新規事業かつアーリーフェーズのベンチャー企業が多いため、セールスからクライアントになったあとのフォローまでを担当しています。また、セールス先とクライアントに対して、どんな情報を提供するかといったマーケティング周りも担当しています。

戦略を作るフェーズと実行フェーズの両方を担当しているため、簡単に説明するとお客様対応をすべて担っているというイメージです。

ーフリーランスという働き方の良い面と悪い面はどんなものがありますか?

良い面は、自分の関心のある領域にフットワーク軽く行ける点です。職種にもよりますが、場所や時間をある程度自分でコントロールできるので、自分の生活スタイルに応じて働き方を変えられる点も良いなと思っています。

また、大手にいたときは「大手という看板で見られているな」と感じていましたが、個人として仕事を請けている現在は「自分という看板で勝負している」感覚があります(笑)。

悪い面は、フリーランスは自分ですべてコントロールしないといけない点です。自分ですべてコントロールするのが苦手な人だと苦労すると思います。他にも、結果を出さないとクライアントに迷惑をかけますし、契約を切られる可能性がある点がデメリットとして挙げられますね。

ーここからは中村さんの幼少期を振り返ってお伺いしていきます。幼少期にアメリカに移住されたとお伺いしました。なぜアメリカに移住されたのでしょうか?

親の仕事の都合でアメリカのワシントン州に引っ越したんです。そこから5年間、現地の学校に行きながら、日本人学校にも行きました。

日本人は現地の学校には私のみで、日本人学校にも10人ほどしかいませんでした。

ーアメリカ生活で印象に残っていることはありますか?

6歳のときの登校初日がとても印象に残っています。YESとNOしか言えないなかでバスに乗って登校し、学校ではトイレに行きたくても言葉が分からず、漏らした記憶があります(笑)。

ーそんな状況から6年間アメリカにいらっしゃったわけですが、アメリカにいたときの経験が今に活きていると感じる瞬間や気づきを教えてください。

ひとつは、世の中には、いろいろな人がいると気づけたことです。日本には、日本人しかいないため、どうしても似たような人が周りにいる環境になりますが、アメリカは人種や生活水準などすべてが違いました。

もうひとつは誰とでもコミュニケーションが取れるようになっていたことです。アメリカでは、人種や生活水準に限らず誰とでも話していたため、初めて会うタイプの人でも、怖いと思うことはありません。

ー中村さんは幼少期のころはどのようなお子さんでしたか?

友達と外に遊びにいくこともあれば、親戚に送ってもらった日本のアニメを家で見ることもあったので、活発な面とおとなしい面がありました。

また、アメリカは夏休みが6月から8月まである上に祝日も多いので、個として生きる時間が長く、いろいろチャレンジするような子どもでもあったと思います。

日本に帰国。徐々に日本の文化や環境に適応していく

ー次の転機は、日本に帰国して中高一貫校に入学されたときとお伺いしました。どんなことがあったのか教えてください。

小学5年生のときに帰国したのですが、日本の算数はアメリカに比べると、はるかにレベルが高かったため、最初は何もわからない状態でした(笑)。その状態から2年間勉強して中学受験に受かったことで、環境に適応できたという成功体験として記憶に残っています。

ー中学受験は中村さん自身で決められたのでしょうか?

どちらかというと、親の影響と周りの環境が大きかったと思います。小学校も私立の学校に通っていたので、周りが中学受験する環境でした。

ーアメリカとまったく違う環境のなかで、日本はどんな印象だったのか教えてください。

日本の学校はいじめが多いなという印象でした。アメリカでは色んな子供がいて、それぞれが自由に過ごしていたので、いじめみたいに他の子供に無理やり干渉することはほとんどなかったです。

感情表現も豊かだったので、日本の子供は自分の感情を正しい形で表現するのが下手だなと感じました。

ー希望した中高一貫校に入学してみていかがでしたか?

良い意味で変な人が多く、男子校だったので、小学校とは違う文化圏という印象でした。

ーそこから次の転機として、大学受験のエピソードを挙げていただいていますが、どのようなことがあったのか教えてください。

関西でレベルが高く、おもしろそうな大学に絞った結果、京都大学を現役で受験しました。しかし、落ちてしまい浪人することになりました。

私が浪人した理由としては、なぜか私の通っていた高校は「滑り止めは受けない」という謎の文化があって滑り止めを受けなかったからです。

そして、1年後にもう一度京都大学を受験したのですが、2回目も落ちてしまいました。2回目の浪人はさすがに嫌だったので、滑り止めで受かっていた中から東京にある慶応義塾大学を選びました。

ー上京されていかがでしたか?

「自分は関西人なんや」という謎のアイデンティティが生まれました(笑)。その他にも、京都に比べて大きな町が多いなという印象を受けました。

ー大学時代に熱中していたことはありますか?

体育会系のテニスサークルで、練習をすることに熱中していました。縦の繋がりがしっかりしており、イベントも開催するような真面目なサークルでした。

新卒で大手の金融企業に就職するも、一生続けるのは無理だと思い、転職。思い立ったらすぐに決断できるように

ーそこから社会人になっていかれたと思いますが、新卒として社会になる際にフリーランスという働き方は頭の中にあったのでしょうか?

まったくありませんでした。大手で年収が高いという軸で会社を選んでいました。

ー社会人1年目はいかがでしたか?

会社自体は志望していた大手の金融会社だったため問題ありませんでしたが、配属された先が私にとって不一致でした。その理由としては、年齢がひと回り上の先輩とコミュニケーションをうまく取れなかったことと、配属された先が忙しい部署で、何も分からないなかで自分で何でもしなければならなかったことが挙げられます。

ーそのときはどんな心境だったか教えてください。

目標は与えられていたので、がんばって仕事をしなければならないと思っていました。しかし、仕事を教わろうという自分本意な考え方だったため「まったく何も教えてくれないじゃん。どうしたらいいの?」とも思っていました。このときを振り返ってみると、自分の至らなさが出ていた時期でしたね。

ーそこからはどのように社会人生活を過ごされていたのか教えてください。

1年目は仕事を教わろうという態度でしたが、2年目は視野が広がったことにより、自分で仕事をこなせるようになりました。

また、周りの友達を見ていて、仕事はこれだけではないと思うようになったことで、気持ちに余裕が出てきました。

ー周りの友達には、現在の中村さんのフリーランスという生き方につながるような方がいらっしゃったのですか?

そのときはいなかったですね。仕事を転職するかしないかという話をするだけでした。

ー次の転機として、IT業界に転職されていますが、ここではどんな心境の変化があったのでしょうか?

転職しようと思ったのは、同じ会社の周りの人を見ていて「この仕事を一生するのは無理だ」と思ったことがきっかけです。

4年目に新卒の会社の同期がやっている会社に、新規事業の立ち上げメンバーとして加わりました。

ー転職する際は、今の会社にいるべきなのか、それとも次に行くべきなのかといった迷いはなかったのでしょうか?

給料は下がりましたが、30歳までに転職したほうが良いというイメージがあったため、いずれ転職するなら今しても良いだろうと思って転職しました。

ー実際に転職されてみていかがでしたか?

大きく環境が変わりましたが、自分で考えて自分で行動することができたので、とても良い経験をさせていただいたと思っています。ルールに厳しくない会社だったため、解放された感覚でした(笑)。