ありがとう人口を最大化させる。大きな夢を叶えるために大切なこととは。Gab代表・山内萌斗

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第795回目となる今回は、株式会社Gab代表取締役CEO・山内 萌斗(やまうち・もえと)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

大学時代に評価された自身のサービスはアメリカでは通用しないと知り挫折するも、挫折を乗り越えmust haveな事業を目指して起業した山内さん。起業した経緯と大きな夢を叶えるために大切にしていることをお伺いしてきました。

初めてコミュニティに必要とされる経験をする

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

株式会社Gabで代表取締役CEOをしている山内萌斗と申します。「社会課題解決の敷居を極限まで下げる」というミッション達成に向けて事業を展開しております。

ー早速ですが、山内さんの転機となったできごとを振り返ってお伺いします。高校時代は野球部を辞めて空手部を再建したそうですね。

中学・高校では野球部に所属していましたが、特別優秀な選手ではありませんでした。日々無力感を感じていて、部内では野球が上手な人と上手ではない人の派閥があり、学校生活にも影響していて辛かったです。そんななかで部員と喧嘩して野球部を辞めました。

当時2人しかいなかった空手部の1人と仲が良く、野球部を辞めたと知って、本格的に空手をやろうと誘ってくれて。少人数だった空手部を盛り上げるために、友だちを誘って空手部を再スタートさせました。空手部に所属して初めて、自分がコミュニティに必要とされているのを感じました。

初めて必要とされている感覚を味わってからは、自分が人に貢献しているという貢献感が大事だと思うようになりました。世の中に貢献することで、身近な人、最終的には全人類から必要とされますよね。この「ありがとう人口」が最大化するような人生を、キャリアとして選択できれば幸せだと思うようになりました。

貢献感が大事だと思うようになってからはありがとう人口の最大化を追求しようと誓い、どのように実現するかを模索し始めました。

ー空手部を再建した高校2年のときにはすでに起業を考えていたのでしょうか?

まず思いついたのは、教育を変える・先生になることでした。中学・高校の学校生活では先生とうまくいかないことが多く、自分が先生になれば学校全体の雰囲気を変えられるのではないかと考えたからです。

起業家になると決意したのは、教育学部を目指して受験勉強をしていた高校3年生のときです。参考書を買うために本屋に行って、暇つぶしに様々な本を読んでいました。

そんなときに初めて自己啓発本を読み、起業という選択肢を知りました。もし自分が先生になって40年間働くとすれば、担任を持てるのは最大でも40の教室。40年間で救える生徒の数と、起業してサービスを作り全国の学校で使ってもらったときに救える生徒の数を比べると、圧倒的に起業したほうが救える人数は多いと気づきました。

自分が情熱を持っている教育分野で「ありがとう人口の最大化」を目指すのであれば、先生よりも起業家のほうがいいのではないかと。そう考えたときに自分のアイデアが一気に広がりました。

起業家になれば「先生」という枠組みに捉われず、自分が描いた通りに事業を展開して世界を変えられます。受験勉強そっちのけで、どうすれば教育を変えられるのかをひたすらノートに書き続ける生活に変わりました。

ーその後、ITを使って教育を変えたいという思いを持つ教授に出会ったそうですね。

父が地元の静岡大学大学院の社会人コースに通っていて、公開授業で教育と情報学の授業があると教えてもらいました。ITの力を組み合わせて学校教育を変えようという教授の授業でした。

現在一緒に会社をしている友だちと2人で、教授の公開授業を見に行きました。私のアイデアノートに書いてあるものと、教授が研究していたテクノロジーの共通点を多く発見し、この教授となら大学入学してすぐにサービスを形にできると思ったのです。

ーそのまま静岡大学に進学されたそうですが、すぐに教授にアプローチしたのでしょうか?

私はアイデアを大学入学までに固めて、資料も作っていたため、大学入学した4月に教授にプレゼンをしました。教授は私のプレゼンを聞いてすぐにやろうと言ってくださり、教授とチームを組むことになりました。

静岡大学には起業家育成プログラムがあり、東京大学・筑波大学・お茶の水女子大学と提携していて。教授の研究やテクノロジーを応用し、私がアイデアを考える形でプログラムに参加しました。大学1年次は週に1回東京大学に行き、自身のアイデアをブラッシュアップする生活をしていました。

ー東京大学にも通われていたのですね。

静岡大学の授業がない木曜の午後に通っていました。東京大学で発表を繰り返しながらアイデアを形にしていって。東京大学では人脈も広がりましたね。日本一優秀といわれる東京大学のコミュニティは質が高く、同年代の起業家たちとの出会って刺激を受けました。

シリコンバレーで得たものと挫折

ー当時はどのような教育サービスを作っていたのでしょうか?

日本の学校の授業は一方通行だと感じていたため、生徒が、より能動的になれるサービスを作りました。生徒たちから出た意見や生徒が作った資料をサイトにアップロードすると、生徒の代わりにロボットが資料をプレゼンする動画コンテンツになるサービスです。

授業で気づいた感覚や解決策・アイデアをコンテンツ化し、学年や学校を超えて共有できるプラットフォームを作ろうと。アクティブラーニング教材でありながら、生徒視点のコンテンツをみんなでシェアして、いつでもどこでも学びあえるサービスです。

ーサービスが評価され、シリコンバレーに研修に行ったそうですね。

地元の4つの高校でサービスの実証実験をさせていただき、生徒の満足度は95%、先生たちからも高く評価してもらって。実証実験の成果が東京大学のプログラムに認められ、最終選考を通過してシリコンバレーに行きました。

シリコンバレーでは、現地の2つの大学で起業家プログラムを受けました。両方の大学で最終日に行われるプレゼンに向けて、アメリカ式のプレゼンの仕方や現地で重視されている考え方をインプットし、ブラッシュアップするのを繰り返す毎日でした。

シリコンバレーで共通していたのは「人類の存続に必要不可欠なmust haveな事業を作る」という価値観でした。must haveの価値観を持つシリコンバレーの人たちは、夢のスケールが大きくてかっこいいなと憧れを抱いて。必ず「must have」を軸に会社を立ち上げようと決意しました。

ーシリコンバレーでプレゼンしてみていかがでしたか?

プレゼンをしてからフィードバックをいただきました。しかし、アメリカの教育はアクティブラーニングで専門的なSTEM教育を取り入れている学校が多く、私のサービスは日本でしか通用しないのだと自信を失って。

自分自身の視野の狭さを感じ、must haveという軸に立ち返り、教育を超えた領域で知識を増やして起業しようと思いました。

ーその後、ビジネスコンテストで優勝されたそうですが、どのようなサービスを考えたのでしょうか?

「東京の課題を解決しよう」というビジネスコンテストがあり、渋谷のポイ捨て問題に着目しました。街中にゴミ箱を置くための最適な場所を分析するサービスを作り、ゴミ箱を増やしてゴミ箱の側面に広告を貼りつけられるサービスを企業様に販売。収益化して清掃スタッフを雇い、ポイ捨てをなくすサービスを考えました。

2月にシリコンバレーに行き、その年の9月にビジネスコンテストで優勝、12月には起業することができました。

ー起業してから変化したことはありますか?

起業を決意してからは不安が1番大きかったのですが、挑戦に不安を感じるよりも、どんどん挑戦していこうというマインドセットになったのが1番大きな変化だと思います。やり続ければ方法がわかるし、行動する前の不安の大半は回避できるものだと思うようになって。

不安や恐れを解決しようという志を持ち続ければ、不安よりも希望のほうが大きくなります。希望が大きくなればなるほど不安は小さくなり、モチベーション高く行動できるのです。このことを起業してから現在までの3年で気づくことができました。

ー起業するために大切なことは何だと思いますか?

強い志や情熱が大事だと世間的にも言われておりますが、私の体験だけで言うと、自分が逃げられない環境を作るほうが大事だと思います。辞めたいと思ってもやり続けようと思えたのはいろいろな人に起業することを伝えていたからです。

行動してやらなければならない環境を作ることが非常に大切なのです。must haveな事業を作って必要とされたいという強い志と情熱を根底に持っていれば、行動しながら考えたほうがいいと思います。