失敗の数だけ人生は面白い!ジム経営者・湯浅陸に聞く、挑戦の大切さとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第762回目となる今回は、湯浅 陸(ゆあさ・りく)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

SURL株式会社の代表取締役を勤め、パーソナルジムを経営している湯浅さん。大学生時代のエピソードや、就職後のキャリア、今後の目標などをお話していただきました。

学生時代は、挑戦できない自分が嫌いだった

ー簡単に自己紹介をお願いいたします。

SURL株式会社の代表取締役として、パーソナルトレーニングジムを経営する湯浅 陸(ゆあさ りく)です。池尻大橋で女性専用・子連れOKのパーソナルジム『#サラトレ』、中目黒でトレーニングから施術まで行う『SPICE GYM』を展開しています。

ーなぜターゲットを絞ったジムを展開しているのでしょうか?

ジムを展開していくには、他社との差別化が必要と感じたからです。例えば「#サラトレ」は、子連れOKのジムが少ないことからヒントを得ました。

日本の現状として、20〜30代の子育て世代にあたる女性は、運動習慣がある人が少ない傾向にあります。この世代にアプローチできれば、ただジムを経営するだけではなく、社会的な意義もあるのではないかと考えました。

ー​​学生時代からさかのぼってお伺いします。高校生のときはどう過ごされていましたか?

当時は徳島県の高校に通っていました。高校3年生のとき、思い悩む時期があって。なぜ高校に通っているのか、なにがしたいのか、自分自身の存在意義が分からなくなりました。

中学時代は地元の学校で、野球のピッチャーをしていました。高校は自宅から自転車で50分くらい離れたところに進み、また野球部を選んだのですが、周りからの目が気になり「ピッチャーをやりたい」と言い出せなかったんです。自分の野球スキルに自信がなくて、言い出せない自分に情けなさを感じましたね。

当時は自分に全く自信がなくて。女性と話すのもかなり億劫で、友達も多いわけでもなく、基本的には野球部の仲間たちだけと過ごしていました。そのうち、テストで0点をとったりと、進学校なのに勉強もついていけなくなってしまったんです。

ーつらい時期だったんですね。

高校3年の夏には、両親に「高校をやめたい、勉強が将来にどうつながるかわからない」と話しました。そのとき「本気で勉強したことがないのに勉強の意味なんてわかるわけないだろ?」と返されて、確かに高校に入ってから真剣に勉強に取り組んだことがないな、と気付いたんです。

そこで、本気で勉強に向き合ってみようと決めて、朝の6時から朝の3時まで必死に勉強しました。当時は、両親からも納得してもらって東京の大学に進学できるよう頑張っていましたね。

東京に行きたかったのは、本当に誰一人として知らない土地で、色んな価値観が交差する場所で、新しい価値観に触れて自分を変えてみたかったからです。あとはAKBが大好きだったので、劇場に行ってみたかったというのも本音としてあります(笑)。昔からスポーツに触れていたこともあり、唯一興味が沸いたスポーツ系の学部で知名度がある六大学に進学しようと決めて、受験に没頭し合格を掴み取って進学を決めました

Mr. JAPANの日本大会へ出場。挑戦の楽しさを知る

大学生活はどのように過ごされていましたか?

大学ではダンスサークルに所属して、人前に立つことに慣れました。

4年生に上がる前には休学して、海外でのバックパッカー旅にも挑戦しました。アメリカをNYからLAまでヒッチハイクで横断をしたり、カウチサーフィンというサイトを利用して、現地の人の家に泊めさせてもらったりしながら、積極的に現地の方とコミュニケーションを図って日本とは異なる価値観に触れながら過ごしました。

ー​​さまざまなことに挑戦されたんですね。

大学受験のとき、目標の大学に合格できるよう努力できたことが自信になって、新しいことに挑戦できるようになったのだと思います。あとは地元と違い、東京にはある種、同質的な価値観で縛られづらい環境であったことですね。ことですね。人の目を気にしないで行動できるようになりました。

ー​​就職活動はどうでしたか?

就活時は自分のやりたいことがまだ見つからなくて。「この先の数年間は、ひとまず社会に出て、自分がやりたいことを見つける期間にしよう」と考えました。

自分のキャリアを探すきっかけとして、いろいろな業種の人と接点を持ちやすい人材業界への入社を選びました。ここで働けば、自分がどんな業種に興味があるのか決められそうと感じたんです。もともと2年間くらいで辞めて、自分の関心が湧いた道に切り替えようと思っていました。

戦略的な就活だったんですね。

就職してからは、プライベートが充実しないなと思っていて。そんなとき、地元の高校の同級生が、美男コンテストの「Mr. JAPAN」に徳島県代表として出場するとのFacebook投稿を偶然見つけたんです。

別世界で輝いている友達のことを「すごいなぁ。こんな世界もあるんだ。」と思う一方で、くすぶっている自分との対比が悔しくなり、その場でMr. JAPANにエントリーしました。そうしたら、学生時代のバックパックなどのエピソードが功を奏してか、書類審査を通過しました。その後、面接で自己PRや大会に懸ける想い、ウォーキングなどの審査がありましたが、こちらも突破でき、運良く選ばれました。

ーたまたま見た投稿から日本大会に進まれるとは、すごいですね!

本当に偶然が重なった感じで今思えば一つのターニングポイントだったなと思います。日本大会はダンス審査→水着審査→スーツ審査→QA審査の順に、通過できる人数が絞られていきます。僕は学生時代にダンスサークルだったこともダンス審査は大丈夫だろうと自信がありましたが、その先の肉体美やステージングを審査される水着審査が一番不安でした。ライバルたちの中には身体が元々仕上がっているメンバーや大会での実績がある方もいて。肉体勝負は正直難しいので、ステージでの自信の部分は負けないようにしようと思い、己に自信をつけるための課題として、全身の筋トレはもちろんのこと、+αで「腹筋1000回」を毎日やると決めて、日本大会までの3ヶ月間毎日やり切ることで自信をつけて、日本大会に臨みました。

唯一、芸能や役者経験もない会社員として働きながらの参加とはなりましたが、結果的に日本大会の3位になれました。もちろん1位を目指していたので悔しさはありましたが、自分に与えた課題をやり切って日本大会に臨めたので当時はやり切ったという想いが強かったですね。自分を変えたかったので、意地でも妥協せずにやりきりたい気持ちがありました