様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第862回目となる今回は、ラジオパーソナリティの宮田 リコ(みやた・りこ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
上場企業で人事を務める傍ら、ラジオのパーソナリティをしている宮田リコさん。失敗も糧にしながら目標に向かって突き進む、宮田さんらしいポジティブな行動力についてお話いただきました。
校内のスピーチコンテストで優勝
ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。
皆さんこんにちは、宮田 リコ(みやた・りこ)と申します。現在は上場企業で人事を務めながら、副業としてラジオパーソナリティのお仕事や、音声配信プラットフォームVoicyで公式チャンネルのアナウンサーとしての活動などをしています。
本業と副業をうまく掛け合わせて、自分のやりたいことを全部実現したいと思い、パラレルキャリアを歩んでいるところです。どうぞよろしくお願いします。
ーここからは、宮田さんの過去を振り返ってお伺いします。どのような学生時代を過ごされたのでしょうか?
スピーチの勉強を始めたのは、14歳のときでした。きっかけになったのは、中学生のときに開催されたスピーチコンテストです。優勝者が学校の代表として、中国の紹興市に2週間派遣されるイベントがあったんです。
準備期間としては約1ヶ月しかなかったのですが、当時の国語の先生を捕まえて、原稿を何度も見てもらっていました。海外への興味もあり、何としてでも代表を勝ち取りたいという熱意で取り組んでいたら、運良く学校の代表に選んでいただくことができました。
その後各学校の代表が集まり、大きなホールでスピーチを聞いていただく機会もありました。学校代表のスピーチも一生懸命頑張って練習をしていたので、金賞をいただくことができました。
そのときに周りの方から「アナウンサーみたいだね」と声をかけてもらったんです。初めてアナウンサーみたいと言われて、「喋るのがうまいのかな」「それを仕事にしたいな」と思い始めました。
中国に行くつもりでスピーチの勉強を始めたことによって、将来やりたいことが決まってしまった出来事でしたね。
夏の甲子園を目指し放送部に入部
ー高校では、声のお仕事をしていくためにどのような行動に移されていたのでしょうか?
はい。中学のスピーチ大会をきっかけに、「どうやったら喋ることを仕事にできるんだろう」と考え始めました。まずは自分のスキルを高めたいなと思い、高校では放送部に入ることに決めました。
放送部に入り、様々なコンテストで上位入賞できるようになれば、自分のスキルも高まっていき、将来に繋がるだろうと考えました。
しかし、ここで大きな挫折を経験しました。放送部に入ったのは良いものの、当時は弱小チームで部員数も少なく、その上モチベーションが低かったんです。
私は声の仕事をすると決めていたので、モチベーションを高くもっていました。けれども先輩方は楽しみたい。モチベーションの違いによる衝突もありました。
当時は具体的な練習方法も確立されておらず、各々が適当に練習していました。
私は兵庫県出身なんですが、兵庫県って実は放送部が強い県だと言われているんです。なぜかというと、甲子園球場がある県が兵庫県なんですよね。
NHKが開催しているアナウンスコンテストの県大会で、ベスト4に入ることができたら、夏の高校野球の開会式か閉会式の司会ができる。それが兵庫県の放送部だけに与えられた特権だったんです。
私も夏の甲子園を目指して放送部に入りましたが、最初に出た大会では箸にも棒にも引っかからず、大きな挫折を経験しました。
ー同じモチベーションの方が少ない中で、コンテストで賞を取るために宮田さん自身はどうやって練習されていたのでしょうか?
NHKが開催しているアナウンスコンテストの上位入賞者のアナウンスが収録されたCDを買い、何度も聞きました。私はこれになるんだと、イメージトレーニングをたくさんしていました。
部内だけに閉じこもってしまうと知見が得られないので、部外にお手本を求めて練習をしていましたね。
それから大会のときは、他校が集団で発声練習をしているんですよ。普段だと見られないような各学校ごとのノウハウが大会の会場だと盗めるんです。強豪校の制服を見つけて、発声練習をしている横にそっと行って、情報を仕入れていました。
ー練習していくなかで、難しかったことはありますか?
もちろん練習を積めば積むほどうまくはなっていたのですが、専門的なアドバイスや指導は受けられませんでした。
そうなると、うまい人と自分の差分が何かというのを、自分で見つけないといけないんですよ。遠回りをしながら、試行錯誤して進めていきました。
夏の甲子園の司会をするためには、強豪校だと言われている兵庫県の出場者の中で、ベスト4に入らないといけない。正直自分でも無謀だなと思っていたんです。これができたら奇跡だなと思うくらい、ハードルの高い挑戦でした。
実際にチャレンジしてみて、ベスト4には惜しくもたどり着くことができなかったのですが、ベスト8に入ることができました。全国大会のひとつ下、県大会決勝の閉会式の司会を任せてもらえることになりました。
目標にしていた甲子園でアナウンスはできなかったのですが、それに準ずるような経験をすることができ、今でもすごく思い出に残っています。