失敗も、成功するまでやればいいだけ。ラジオパーソナリティ宮田リコのポジティブな行動力

親善大使やラジオパーソナリティに

ー大学ではどのような活動をされていたのですか?

甲子園に挑戦しているところを見て、高校のときから応援や仕事をくださる方がいらっしゃったので、大学ではこれを広げていくんだと思っていました。

4月に大学に入学して、5月には司会者の事務所を紹介してもらって入りました。それでも事務所に任せきりだとなかなかお仕事が回ってこないので、自分でやるしかないと気が付きました。

そんなときに地元のコミュニティFM局が、ラジオパーソナリティを募集していたんです。すぐに応募をしてオーディションを受けて、運よく拾ってもらうことができ、大学1年生のときに1時間番組を持たせていただけることになったのが、大きな転機になりました。

担当する1時間の番組を「そのまままるっとあげるから、君のやりたいように企画からキャスティングからミキシング、トークまで全部1人で好きなようにどうぞ」と任せてもらえる番組だったんですよね。

自由にやらせてもらえたので、私がずっと好きだったメジャーなアーティストさんにダメ元で声をかけて。「全然お金も出せないんですけど、あなたにどうしても出て欲しいです」とお話して、奇跡的に出てもらえました。

そういう経験を積んでいくうちに、「自分で好きにやっていいんだ」みたいな。何もなかったところから番組を企画して、形にするところまで通しでやらせてもらえたことが、すごく大きな経験になりました。

ラジオパーソナリティを大学1年生のときに始めて、上京する大学4年の3月まで続けさせてもらえました。

ーラジオパーソナリティの活動もされているなかで、自治体の親善大使もされていたということなのですが、こちらもオーディションだったのでしょうか?

大学3年生のときに地元兵庫県で、県公認の親善大使を募集していました。私はずっと兵庫に住んでいたので、その魅力を県の内外の人に伝えることをしたいなと思って応募しました。

実は大学2年生の時にも同じオーディションに応募して、書類で落ちているんですよ。県の親善大使以外にも伝える活動をしたいと思い、いろいろな親善大使などに応募して全部落ちてしまいました。

最終的に拾ってもらえたのが、県の親善大使でした。実は1個の成功を手にするまでに、ものすごい数の失敗をして、自己嫌悪に陥る時期もありましたね。

年間60回くらい出務というお仕事があり、忙しく過ごしていました。公式イベントの司会をする経験をたくさん積ませていただいたので、急に経験値がぐんと底上げされたような感じでしたね。

兵庫県の親善大使として、子供の頃から親しみのあった県のマスコットキャラクターと一緒にオープンカーに乗り、パレードに参加できたことは、人生の中でもトップに入るちょっと美味しい経験だったなと思います(笑)。

就職活動に失敗するが、スキルは活きる

ー就職活動は、やはりアナウンサーを受けたのですか?

そうですね。話す仕事がしたい、伝える仕事がしたいと思ったときに、当時の私が思いつくのものがアナウンサーだけだったんです。

絶対に声を仕事にするんだという強い思いで、人生をかけて取り組んできたチャレンジだったので、就活は他の人よりもすごい熱量で取り組んでいたと思います。アナウンサー1本で受けていました。

私を通して、いろいろな人に情報を伝えることを仕事にしたいと思っていたので、全国の放送局を50社受けました。

アナウンサーの就活には100万円かかるから、絶対に貯めておけとアドバイスをされたこともあり、必死にアルバイトをして自費で100万円を貯めて、50社の就活に全部つぎ込んだんです。

結果としては全部落ちて、人生をかけたチャレンジが見事に大失敗しました。

ーそこからどうやって立ち直ったのですか?

今だからネタにして喋っているんですが、学生時代の100万円って重いので、これだけ時間と手間とお金をかけて挑戦したのに、失敗しただけで何も手元に残らずに終わっちゃったと落ち込みました。

あまりにも落ち込んでいたので、友達が外の世界に連れ出してくれたり、支えたりしてくれました。最後はやはり、自分をいかに納得させるか、気持ちを切り替えるかは自分との戦いでしたね。

ー就職活動をするなかで、アナウンサー以外の候補はあったのですか?

ほぼ受けなかったんですよ。アナウンサー試験で気力を使い切っていたので、一般的な就活をする体力や気持ちの余裕がもう残っていませんでした。

放送局を受けたなかで、おすすめに出てきた広告系の代理店があったので、そこと銀行の二つだけ受けました。広告系のお仕事の方が、ずっと取り組みたかった伝える仕事に近いなと思い、広告系の代理店で就職を決めました。

ー実際に働いてみていかがでしたか?

伝える仕事をしたくて広告代理店に入ったのに、人事に配属されてしまい、大誤算でした。もう一つ驚きだったのが、新卒で人事に配属されたのが史上初だったらしいです。自分と同じようなロールモデルもいなかったので、思っていたものと違うと思っていました。

ですが、人事にも少し興味があったんです。きっかけは、高校時代の顧問の先生です。

ほかの学校の指導者は、どちらかというと「やり方を教える」指導でした。しかしその顧問の先生は、ご自身には放送の経験がないからと、教えるというよりは気づきを与えてくれる指導をしていただきました。

自分には見えていない課題やネクストアクション、そのために参考にすべき情報はどこにあるのかを自然に自分で気付けるように誘導してくださる。今思えば、メンタリングのような指導法だったんです。

圧倒的な技術を持った部員だけが集まったわけではないのに、私が入部して以降の放送部は急に全国大会の常連になるような強豪校になりました。強い組織に変わっていく転換点に居合わせていたので、組織作りってどうやっていくんだろうとそのとき興味を持ちました。

採用人事って、人前で喋ることがすごく多いんです。これまでに延べ3万人に対して会社説明をしてきましたし、約1000人の方に面接をさせていただくような機会に恵まれました。

人事の仕事でたくさん喋るなかで、自分がこれまで頑張って身につけてきたスキルって、こんなふうに活きるんだなと気付くことができました。