サッカー選手をあきらめた先に見た夢とは? シニアジョブ代表 中島康恵が語る起業ストーリー

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第377回目となる今回は、株式会社シニアジョブ 代表取締役の中島康恵さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

プロサッカー選手を諦めた先に見つけた起業家の夢

ーまずはじめに自己紹介をお願いします。

シニアに特化した人材派遣・人材紹介を主事業とするシニアジョブという会社を経営しています。

今後ますます日本の高齢化が進む中で、高齢者の方が働きたいと思えるときに、働き口を納得する形で見つけられる環境をつくることが我々の使命です。

設立8期目で、現在社員は40名ほど。ほかに40名ほどの派遣スタッフを受け入れています。

ー今でこそ、経営者としてご活躍されていますが、もともとはプロサッカー選手を目指されていたそうですね。生い立ちを教えていただけますか?

はい、小学1年生ぐらいから兄の影響でサッカーを始めました。最初に所属したのは地元のチームです。やるからにはプロにならなくては意味がないと決意を固めていましたね。

J1リーグチームのジュニアユースのセレクションにも参加し続け、小学5年生のときに柏レイソル(千葉県)のジュニアユースに入団することができました。

セレクションには、その地域で才能があると言われる選手が集まっていましたから、簡単だとは思っていなかったですし、受かった時は嬉しかったですね。

実家は茨城県の水戸市だったので、千葉県まで練習に通うのはなかなか大変で、中学校を選ぶ際も練習への通いやすさで決めたほどです。サッカー一色の生活を大学へ入るまで続けました。

ーそんな中で、プロサッカー選手への道を断念されたのはどういった理由があったのでしょうか。

スポーツ推薦で国士舘大学へ入学しサッカー部へ入ったのですが、そこで敵わないと思えるほどの選手たちに出会ってしまったんです。

彼らのボールコントロールがあまりに上手くて、どうやったらそこまでのプレイができるようになるか全く想像がつかなかった。自身も子供のころから朝から寝るぎりぎりまで練習をする生活を繰り返してきました。テレビだってサッカー以外のものなんか見なかった。物理的限界まで努力してきたという自負があったからこそ、その選手のすごさに気づき、自分には超えられない壁を感じてしまったんです。練習中だったのですが、思わず涙が出ましたね。

ーそこですっぱり身を引いたと。起業を考えるようになるまでにはどのような経緯があったのでしょうか?

サッカーを辞めた直後は虚無感にさいなまれましたね。自分は何者でもないんだと塞ぎこんだ時期もありました。なんとなくアルバイトをして大学生らしく遊び、一応教員免許を取ろうと勉強もがんばってはいました。

結果的には普通に就職を考えるようになるのですが、働きたいと思える会社に出会えなかったんです。だったら理想の会社を自分で作ってしまおうと思い立ったのが、今へつながるキャリアのスタートですね。

無いものをつくるのが起業家の仕事。泥臭く集めた仲間と資金

大学生のうちから起業を目指して活動を始められたんですね。どのように事業をおこしていったのでしょうか?

最初は事業のイメージなど全く無くて、とりあえず会社を作ってから決めようと考えました。考え出すと無用な心配をして動けなくなってしまうタイプなんです。

バイトで貯めたお金を元手に起業しましたが、1社目はうまく行かなかったんです。そこから学んだのは、ビジネスモデルが欠けていること、そして仲間がいないことでした。

ーどのようにして不足するものを補っていったのでしょうか?

まずは仲間集めに注力しましたね。知り合いに片っ端から声をかけました。ただ、当時の友人といえば、サッカーには詳しくてもITやビジネスに興味のある人は少なくて、自分よりも頭の良い人を探そうと、早稲田や慶応、東大などの有名大学へ足を運んだんです。

教室や食堂にもぐりこんでは、隣に座った人に話をもちかけるようなスタイルでしたね。当然、なかなか相手にはされないのですが、中には面白そうだと話を聞いてくれる人がいるんです。

最終的には、東京大学や立教大学といったところで、起業家思考のある3人の仲間と出会うことができました。

ーとても行動力にあふれたユニークな方法ですね!

起業家は無いものを作ることが仕事です。仲間がいないなら集めるし、お金が無いなら集める。手段がどうであろうと、あとから正しかったと言えれば良いと考えています。

―お金はどのように集めたのでしょうか?

キャッシュがあることが会社の存続を左右すると考えていたので、少ない貯金では不足すると考えました。ただ、投資家の方にお会いするのは簡単ではありません。大学生という立場を活かして就職活動を始めたんです。もちろん目的は内定をもらうことではなくて、最終面接で社長にお会いし、自分の会社への投資をもちかけることでした。

社長にお会いしてはビジネスプランを語り、「1000万くれれば1億返す、1億くれれば10億にして返す」と話していました。何を言っているんだと一蹴されることもあれば、事業や僕自身に興味をもっていろいろと聞いてくれる人もいたんです。昔あったリアリティー番組の『マネーの虎』を地で行くような感じでした。

何社も断れましたが、16社目にお会いした社長がもともとエンジェル投資家として活動されていて、私が当時考えていた事業構想にも賛同され1,000万円の投資を決め、さらに投資に賛同する知人の経営者を紹介してくれたんです。

合計2,000万の原資を自力で集めてきた事は、「自分が語るビジネスプランだけで2,000万円を集められるんだ」という自信になりました。仲間にとっても、この原資があるかないかで、僕と一緒にやろうと思えるかどうかが変わっていたと思います。

ー投資家の方が投資を決意されたのは、どういった点を評価してのことでしたか?

最終的には私の人間性を見てくれたのだと思います。今考えてみても当時のビジネスプランが優れていたとは思えません。社長にお会いすると、事業のことより自分がどういう人間かということを良く聞かれたんです。当時の僕には絶対に事業を起こすという決意があり、あきらめるようなことはなかった。そういった想いが伝わったのでしょう。

投資を受けてからも「事業は出ていくお金が少ないほど成功率が高まる」と考えて、3人の仲間とともに、渋谷の4畳半のアパートを事務所兼住所として寝食を共にしました。何もなかったですがベンチャーの勢いがあり人生で一番楽しかった時期かもしれません。隣にあったサイバーエージェントのビルを眺めながら、いつかあの会社を超えようと話し合いましたね。仲間同士ビジョンをすり合わせ、会社の土台を作っていったんです。

ーちなみに当時考えられていたビジネスプランはどのようなものだったのでしょうか?

税理士の業務をサポートするクラウドサービスを検討していました。税理士業界ではまだペーパーレス化が進んでいないだろうという仮説のもと進めていたのですが、市場調査をするほどにニーズが思ったよりも少なく、実現性が乏しいことがわかってきたんです。

具体的には、業務のデジタル化以前に人手が足りないことが業界の課題となっていました。中には「高齢者の方でも働いてもらいたい」と話す税理士の方は少なくなかったんです。

高齢者が活躍できる社会を目指して

ーそうした声が、現在の主事業であるシニア人材の派遣・紹介事業につながっていったんですね?

はい。高齢者が働くことが難しい世の中であるということを知識として知っている一方で、これほどシニア人材を求める現場があるというギャップに疑問を持ち始めたのがきっかけでした。

実際に高齢者側にニーズがあるかを探るために、巣鴨や三軒茶屋といった高齢者の集まる街へ仲間とくり出して街頭で話を聞いて回ったんです。

こんな若者に対してでも「仕事がしたいんだ」と真剣に話してくれる人がとても多かった。何なら履歴書を送るから会社の住所を教えてくれと前のめりな人もいました。皆さん仕事をしないことで、社会とのつながりが薄まっていくような恐れを持っていたのだと思います。

特に事業化する上でヒントになったのは、60代後半の方から聞いたお話です。当時は高齢者が働こうとすると、シルバー人材センターのような公の機関を通して探すしかありませんでした。それでは街中のゴミ拾いなどの仕事しか紹介されないというのです。自分のこれまでのキャリアを活かして再就職したいというのが高齢者の願いでした。

そんな話を聞いた僕らは「僕らがやろうとしていることが間違いではない」と確信しました。株主からの反対を押し切って、事業をシニア人材の派遣・紹介にピボットしようと腹を決めたのです。会社設立から2年目のことでした。

ーそこから現在の規模まで会社を成長させてこられたのですね。簡単にお話されていますが、難しいことばかりだったのではないかと思います。挫折することはなかったのでしょうか?

どんな苦境に陥ってもあまり重く受け止めないようにしているんです。起業しようとすると失敗したり誰からも相手にされなかったりといった瞬間があるでしょう。でも、それは自分の人生を台無しにすることのものでしょうか?僕自身、何千万という借金を背負ったこともあるけれどあきらめることはありませんでした。

ゲームと同じだと思うんですよね。ゲームでうまくいかないことがあっても、試行錯誤してその難関を突破する。ゲームをクリアした後にどこで苦労したかなんて特に考えないはずです。人生も一緒です。失敗したら学習して、ただコンティニューするだけなんです。

ーそのような挑戦を続けられる中島さんの夢とは何なのでしょうか?

高齢者の人が満足する形で職を得られる社会をつくっていくために、この会社を上場まで持っていって、よりパブリックな会社にすることです。

世界で一番高齢者比率の高いこの日本だからこそ、ステークホルダーの方から私たちにかけられる期待は大きなものだと思っています。その想いを背負って、シニアジョブを日本を代表するような会社にしていきたい。そして、私のような経歴でも、立派なIT起業を作れるというロールモデルになりたいと思っています。

ー本日はありがとうございました!中島さんのさらなる挑戦を応援しています!

取材者:山崎 貴大(Twitter
執筆者:海崎 泰宏
デザイナー:五十嵐有沙(Twitter