どん底を味わったからこそポジティブになった三浦翔平がオンライン人力車で届ける笑顔と夢

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第420回はオンライン人力車として活躍されている三浦翔平さんにお話をお伺いしました。ポジティブな考え方や行動力を身に付けたきっかけ、人力車との出会いやオンライン人力車の活動を始めた経緯をお話いただきました。

オンライン人力車でたくさんの人を元気にする

ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。

三浦翔平と申します。今年28歳で現在は浅草でオンライン人力車というサービスをしています。人力車の仕事自体は6年程しているのですが、昨年からオンライン人力車を始めました。オンライン人力車は世界中の人が家にいながらリアルタイムで人力車の乗車体験ができる、オンラインツアーです。たくさんの人を元気にしたいという思いで活動しています。

ーオンライン人力車を始められたのは三浦さんが初めてだったのでしょうか。

そうです!新型コロナウイルスが流行したことで人力車業界が壊滅的な状態になり、僕自身不安でいっぱいに。人と会話する機会が減り、笑う時間も減って気持ちが下に向いてしまったのですが、なぜネガティブになってしまうのかを考えた結果、それは日常から笑顔がなくなったからだ、という考えに至りました。であれば家にいながら世界中の人がお腹を抱えて笑えるようになったらめちゃくちゃ社会貢献できるのでは、と思ったんです。人力車にカメラをつけて走ったらスマホ一つで世界中の人を笑顔にできるのではないかと思いオンライン人力車を始めました。

消防士から海上保安庁勤務、そして人力車へ

ー人力車と出会うまでの経緯を教えてください。

高校卒業後2年間、消防士として働き、その後海上保安庁に転職。挫折を経験したことから1年半家に引きこもっていた時期がありました。

その時にたまたまYouTubeで「てっぺん」という居酒屋の創業者である大嶋啓介さんの講演が流れてきたんです。「鬱だった時期もあったけど今は居酒屋作って世界中の人を元気にしていて、仲間もいるから誰しも人生は変えられる!可能性は無限で人生は面白い!」という内容の講演だったのですが、それを聞いてこんな大人がいるのかと感動し、全身が震えました。そしてこれまたその時たまたまテレビで人力車が映り、直感で人力車を仕事にしたいと思い、その場でネットで検索してアルバイトの面接を予約したんです。翌日、生まれて初めて浅草に行き、生まれて初めて人力車を見ました。

ー引き寄せられて人力車を選んだとのことですが、そもそも消防署・海上保安庁で勤務されていた理由についてもお聞きしたいです。消防士になられたきっかけは何だったのでしょうか。

消防士になったきっかけは2つあります。

1つは母に「体を活かして人の役に立つ仕事をしなさい」と言われたことです。10年間野球をしており、ずっと体を動かしてきたので体力はありました。であれば母の言うように体を活かして人の役に立てる仕事に就こうと思ったんです。

2つ目は高校2年生の時に父が東日本大震災で被災したことがあります。2歳の時に両親が離婚したため父親とは別々に暮らしていたのですが、宮城にいた父が被災。東京の消防車が何十台も被災地に向かっている中、自分はテレビをみていることしかできず悔しい思いをしました。この時の出来事が自分の手で人を助けられる技術と知識を身につけたいと思うきっかけになりました。

ーその後、消防士から海上保安庁に転職を決意した理由は何だったのですか。

消防士の仕事はやりがいがあり、命の尊さを感じることができましたが、もっと自分の命をワールドワイドに使いたいと思い、海上保安庁に転職することを決めました。もともと海が好きでスキューバダイビングも趣味だったので海で仕事がしたいと思っていたんです。また、ダイビングをしにセブに行ったとき貧しい子供たちを見てこういう子供たちの役に立ちたつ仕事がしたい、国際支援に携わりたいと思いました。この3つの条件全てを唯一満たすのが海上保安庁でした。

どん底だった時、人生を変える出会いがあった

ー消防士から海上保安庁へ転職、辞められるまでを教えてください。

セブから帰国した次の日に消防士の退職願いを出したのですが、怒られてしまい、結果的には半年後に辞めました。勉強は嫌いでしたが1年半独学で必死に勉強をして挑戦するも2回落ちてしまい…3回目の試験面接では思わず面接官に「僕ほど本気な人いないですよ・落としたら後悔しちゃいますよ」と言ってしまいました。それが吉と出てたのか、全国の面接評価で1位を採り、採用となりました。

採用後は京都の舞鶴にある海上保安学校で船操縦拳銃の扱い、航海の仕方などを学びました。朝ラッパの音で目を覚まし、5分後には数百人が上半身裸で岸壁に整列し点呼。1分単位で管理される毎日でした。

そんな日々に、最初の2ヶ月はわくわくして楽しかったのですが、その後一気に熱が冷めてしまいました。つまらなさそうに機械的に仕事をしている人もやはりおり、自分の将来の姿はこれかと思うとこのままではつまらない人生になってしまうと思うようになりました。

ー海上保安庁をやめられたきっかけは何かあったのでしょうか。

入隊するための勉強期間、家族や地元の友達が応援してくれたので簡単には辞められないという気持ちがやはりありました。でも”つまらない””やめたい”などといった自分の感情をノートに書きなぐり、写真を撮って母に送るぐらい病んでしまっていました。トイレで泣きながら辞めたいと祖父に電話したこともありましたね。

ある日自分の限界の蓋が外れて上司に今日辞めます、と告げ次の日の朝新幹線で実家に帰りました。これといったきっかけといったのはなく、限界に達したという感じでした。今となっては良い経験でしたが、環境を自分が変えようと思わなかったことからも、入隊するまでが目的になってしまっていたのかもしれないなと今振り返って思います。

ー辞められた後はどのように過ごされていたのですか。

辞めた後は、家にお金を入れなければならないはずの長男なのに何をやってもダメな自分に絶望していました。泣きながら実家に帰ると、母親も泣いており…。世の中で一番大切な人を泣かしてしまったのがショックで、両親を悲しませるぐらいなら最初から夢や希望持たないほうがいいと思い込み、1年半部屋にひきこもりました。

ーそんなどん底からどのようにして這い上がられ、考え方を変えていかれたのでしょうか。

人生が変わる時は、衝撃的な経験または人との出会いのどちらかだと思っています。僕の場合は大嶋さんとの出会いでした。そして人との出会いでどのようにして人生が変わるのか深掘りしていくと、あこがれや尊敬の感情があると思いました。こんな素敵な人になりたい、と思うと同時にその人と比べると自分が違いすぎて悔しいと思った時に人は変われると思います。

ーどうすれば人生を変える人との出会いが見つけられると思いますか。

コロナで今は実際に出会うのは難しいですが、僕自身がそうだったように、YouTubeを活用することをおすすめします。僕には特に尊敬している方が3人いるのですが、3人に共通することはポジティブで明るく、志を持って生きていること、そして人に愛を持って向き合っているところです。

以前ある人に教えてもらったのですが、まず自分の尊敬する人3名を挙げ、その人達のいいところを挙げます。そしてその3人に共通している4つの言葉を文章にまとめます。そのまとめた文が自分のなりたいと思っている姿なのだそうです。尊敬する人のどこに惹かれているのかを知ることが大切だと思います。

 

うまくいかなくても、失敗しても、それはチャンス

ー三浦さんのこれまでの行動力はどこから来ているのでしょうか。

努力しているというよりは自分の好きなことをしていると思っています。ですが過去の経験や体験は少なからず影響していると思います。

一度底辺を味わった人は強いです。本当はなかった命で誰かに引っ張ってもらって今生きている。せっかく生かされているのであれば他の人の役に立とうと思うんです。とりあえず目の前のこと一生懸命に全力で取り組んでうまくいったら嬉しいし、うまくいかなかったらいかなかったで落ち込みますがそれがいい経験となり、大きい器になれると思います。

ー以前と比べて自分の中で精神的な変化がたくさんあったように感じられます。

落ち込まないようになりましたね。昔は人の目を気にするタイプで、おとなしかったのですが、かっこいい人の経験や体験を聞いてたくさんの言葉を浴びたことで自分の思考も変わりました。オンライン人力車を始めた後、昨年9月に同業者から叩かれてしまい、営業停止になってしまいました。予約も300件ほど入っていたのに…と10秒落ち込みましたが、11秒目にはアマゾンで電動キックボードを発注し、営業停止中は人力車ではなくキックボードで活動を続けました。誰かに叩かれるということは、これまで世の中になかったことをしようとしているのだからむしろこれはチャンス。失敗すればするだけ誰にも真似できないことが実現すると燃えましたね。

また、失敗をおそれなくなりました。以前、友人に「オンライン人力車100回やってダメだったらどうするの?」と聞かれたのですが、僕の答えは「興奮する」でした。「こんなに難しいから誰もやれないんだ!だからやれたら凄いぞ!」と。1000回失敗が続いたらもっと興奮します!「この先100年誰も成し遂げられない事をやってるんだ!」と更に火がつくんです。1万回失敗したら「人類史上誰もこの先できない事をやっているんだ」と興奮し過ぎて気絶します(笑) 要するに、失敗すれば失敗するほど、興奮するんです。だから、沢山失敗したいと思っています。失敗が大好きなのでお金を払ってでも失敗を買いたいです。なぜなら、今の僕があるのは、過去の恥ずかしい思いや惨めな思いやみんなから笑われた失敗談が糧になっているとわかっているからです。全力で走る人に、不安はついてこれないです!

ーお話を伺う限り、環境に大きく影響されているように感じますが自分を囲む環境は大事だと思われますか。

一番大事だと思います。特にその環境で浴びる言葉の影響は大きいです。例えばですが、高校生の時、部活の監督に怠け者とずっと言われ続けたことによって自分でも自分は怠け者なのだと思っていた時期がありました。逆に海上保安庁を辞めた後、笑顔が素敵だねと言われる環境に身を置いたことで自分の笑顔は素敵なのかも、と勘違いが始まっていつの間にかその言葉の通りの人になれたと思います。良い言葉をあびさせてくれる人がいる環境はに自分を置くことを大事にしたいです。

ー最後になりますが、今後の展望についてもお聞かせください。

僕の生き様で人に夢や希望を与える、そういう命の使い方をしたいです。その1つに人力車があります。オンライン人力車というサービスは、世界中の人に人力車で感動を与えられるチャンスだと思っています。こんな世界があるのか、こんな楽しんで仕事をしている人がいるのか、いつかこの世界に行ってみたいという夢を抱いてもらえるような人力車になりたいです。オンライン人力車を世界中に広めた暁には世界中の子供たちに講演をして、子供たちに夢を与えられる大人になりたいと思います。

そして浅草という町が人生を変えてくれた場所でもあるので、人力車を通して浅草に恩返しをしていきたいです!

 

インタビュー:新井麻希(Facebook )
執筆者:松本佳恋(ブログ/Twitter
デザイナー:高橋りえ(Twitter