悩んでも立ち止まらない。守屋柊杜に聞く、なりたい自分の見つけ方とは

運命を大きく変えた出会い

 

ー暗黒期から抜け出す希望の出会いは、どんな出会いだったのでしょうか。

生きる希望が見えた出会いでした。マイナビ採用担当の石井さんとの出会いが、僕の未来を切り開いた出来事でした。

大学3年生の当時は、プロサッカー選手への道は厳しい状況で、今後何をするか考えても特にやりたいことはなく、とりあえず東京に出ようと考えていました。

東京は、どの業界にも強者がいます。厳しい環境で揉まれることで、「自分自身が成長し、何か学べるものがあるだろう」と思っていました。

毎月1、2週間に一度上京していたのですが、偶然友達がリクルートでアルバイトをしていたんです。会話の中でマイナビの話をしてくれて、説明会へ行くことを決め、会場へ行くと受付に石井さんが立っていました。

石井さんの話を聞くにつれて、仕事への情熱や人と向き合う姿勢に惚れました。偶然にも、僕が通っていた大学が新潟で、石井さんは新潟担当でした。

僕は動くことはできても考える思考能力がなく、それでは駄目だとスパルタで教えてくれたのが石井さんでした。今でも感謝していますし、あの時期があったからこそ今の自分があると思っているので、石井さんとの出会いは大きかったですね。

就活は公務員、教員など他にも選択肢はありましたが、最終的にマイナビに決めました。

掴み取った栄光と挫折

ーマイナビでは天国と地獄を味わったそうですが、一体何があったのでしょうか。

入社2年目の9月末に全社員が集まる表彰イベントがありました。石井さんが現役プレーヤーのときは銀賞だったので「俺は絶対金賞を取る」と入社前から多くの人に話していました。1年目は取れませんでしたが、2年目に取ることができました。

僕の一番の欲求はお金よりも表彰され、目立つことでした。幕張メッセを貸し切り、全社員の前で金賞で表彰されたことで、気持ちは満たされました。

しかし、実は裏ではクレームが社内外でものすごく多かったんです。「お前とは一緒に働きたくない」と理想とは反する声が挙がっていました。

自分の事しか考えておらず、人間関係を疎かにして欲求を満たすことばかりで、結果として僕は周りから見たら嫌な人だったんです。金賞を取ったにも関わらず、心に穴が開いていました。

表彰された現実と、クレームの狭間で、状況が乖離していました。「このままでいいのか」と思い始めた24歳でした。

ー理想と現実のギャップがあったんですね。そこからどう打破していったのでしょうか。

おかしな話ですが、僕が本当に強いなと思うのは鈍感力です。悪いことはあまり気にしないという武器があるんですよ。

現状を打破すべく、社外に目を向け、経営者、今活躍している人、自分が良いなと思った人にとにかく会いに行きました。そこから入ってくる情報が大きく変わりましたね。

僕は足を動かすのがいつも先で、痛い目を見ていました。しかし、人に会う回数が増えることで思考が洗練され、動く前には知識が必要だと考えるようになりました。

ー当時聞いて新しかった感覚や印象に残ったエピソードはございますか。

本当に人間は慢心するんだなと思いました。一歩会社の外に出たらすごい人はたくさんいるのに、自分は未熟で調子に乗っていたことに気づいたのです。

自分の慢心に気づいてからは、人に会うときに「その人の価値観に触れること」を大事にするようになりました。今まで積み上げたことや過去に賞賛されたことは捨てて、新しい自分を作っていこうと決めました。

ー当時の守屋さんはすごい速度で成長しようと行動されていたのですね。

成長は、動いたからこそ掴めた結果です。人生で、成長に気づけないで終わるのは本当にもったいないことです。

決意を固めて日々を過ごし、成長に気づくと行動も徐々に変わるので、迷ったらまずやってみることを20代前半の方々に伝えたいですね。

リスクや不安があると日本人は悩む傾向があります。「そのままのほうが恐いと思うので、だったら動こうよ」と僕は考えています。

ー26歳で再び転機があったとお伺いしました。ご自身でどんな場所をつくり、どんなことをしたのか教えてください。

24歳の秋に朝活に参加したことがきっかけでした。これからの人生、どう生きるのか?自分と向き合い、やりたいことを考え、アウトプットする。

やったことはシンプルでしたが、僕はすぐにやりたいことを書けず、目先のことには足を動かしてきましたが、自分の将来を真剣に考えていなかったことに気づきました。

その体験から、朝活は自分の人生に必要で「周りにも必要な人はいる」と思い2週間後に自分で朝活を主催しはじめました。ゴールを決め、まずは立ち止まって自分を見つめることが大事なのだと考えています。

朝活の主催は4年目になりますが、僕が先陣を切り、それぞれのゴールに向かう、背中を押せるような存在になれるよう日々活動しています。

ーご自身での創業はいつだったのでしょうか?

マイナビ退職後は独立したのですが力不足を痛感し転職しました。自分自身の能力を磨きたいと思っていた最中、会社の代表の横領が発覚し、自分が信用していた人間に裏切られました。

この出来事が分岐点となり、当時一緒に働いていた上司2人と共に創業に至りました。そのタイミングで2人に声をかけていただけたことも大きかったです。

これまでの経験を振り返ってもマイナビという大企業に守られ、安心して働かせてもらっていたことを身に染みて感じました。それと同時にビジネスは本当に甘くなく、力がなければ生き残れないことを体感しました。

ー創業に携わった方々と守屋さんとの関係性はどんなものでしょうか。

マイナビ時代の出会いからの付き合いですね。メンバーとはコミュニティ作りや朝活を通じて知り合いました。ビジネスをやるうえでは、信頼関係が大切で、リーダーは人格と能力を兼ね備えています。

能力があるから人は集まりますし、人格が素晴らしいから人が居続ける状態になります。

僕は25、26歳から自分のコミュニティ作りを勉強しはじめて、朝活コミュニティやwell-beingを実現させるコミュニティの拡大に注力してきました。

ー共通点があり良い出会いだったのですね。営業の仕事では何を大事にされていますか。

「人を本気にさせること」を大事にしています。僕の原動力でもありますが、動くのはやはり自分です。人から言われて何かをやらされても、自分のためにならず、人のためにもなりません。

心から思うことは、人のためだけではなく、自分にも返ってきます。

人に言うからには当然、自分ができていないといけません。直接言われたことはありませんが、マイナビ時代、石井さんはこれを体現されており、そこから学びました。