悩んでも立ち止まらない。守屋柊杜に聞く、なりたい自分の見つけ方とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第683回目となる今回は、株式会社Origin.、そしてそれぞれのwell-beingを実現させることを目的とした朝活コミュニティ『朝活well-being』代表の守屋 柊杜(もりや・しゅうと)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

サッカーで全国の舞台に立ち、順風満帆だった高校時代から一変。苦しんだ大学時代を経て、ビジネスの世界へ踏み込んだ守屋さん。掴んだ栄光と挫折を通して、これからの若い世代へ伝えたいことを伺いました。

幸せや幸福感に向き合う

ーまずは自己紹介をお願いします。

株式会社Originでセールスマネージャーとして活動しています。「welll-being」「持続可能な幸福」をテーマにコミュニティ事業の営業、朝活well-beingの主催、運営を行なっています。

ー「well-being」は、守屋さんにとって重要なキーワードなのでしょうか。

かなり重要ですね。ただ、学生から社会人3年目までは「目の前のことを全力で楽しむ」という価値観が先行していました。

3、4年目以降、自分の人生について考えたときに目の前のことでだけでなく、「well-being」の概念でもある『持続可能な幸福』という概念がすごくしっくりきたこともあって、そのために自分のレベルを上げていくことの重要性を感じていました。

楽しむことしか考えていなかった学生時代、20代前半とは異なりいろいろな視点からみて楽しむ必要があると思いました。また、幸せは人それぞれ違うことにも気付きましたね。

20代前半のときは、自分の正解を他人にも当てはめる生活をしていたため、人間関係に苦労しました。現在は自分の幸せと他人の幸せに共通点を見出して向き合うようにしています。

学生時代はプロサッカー選手を目指し奮闘

ー高校では全国の舞台を踏まれたんですね。

全国高校サッカー選手権に出場でき、これが一番最初の大きな成功体験でした。セルフイメージが高くなったきっかけです。

プロサッカー選手になると決め、選手権出場を目標として掲げました。出場できたことは嬉しかったですし、よりプロを意識するようになりました。

夏のインターハイにも出場したことで進路が決まり、大きな自信がついたのです。目標を達成する喜びは、高校サッカーの体験が大きいです。

ー中学からすでに高校で全国の舞台を踏むことや、目標を決めていたのでしょうか。

中学ではクラブチームに所属し、高校で活躍することを前提に過ごしていました。父の影響もあり「負けず嫌いで、頑固で、わがまま」一度決めたことはやり切る人間でした。僕も父の理念を受け継いでいます。

長野県の実家に庭があり、芝生でサッカーができる環境で育ちました。「これでサッカーをやらなかったらまずいだろ」という環境でしたね。

ーそこから高校に進学して長野県大会に出場したとお聞きしました。長野県大会を勝ち抜くプロセスは楽ではなかったと思います。

当然楽ではなかったですが、今振り返ると目標設定を間違えていました。なぜかというと、県大会を勝ち抜き、全国大会に出ただけで満足していたからです。

勝つために適した環境選びが必要なのはもちろん、より上を目指すためにトレーニングの量と質、両方の基準を常に追い求めることも必要でした。

中学を含めると全国大会は3回出場しましたが、勝てなかったのは、どこか慢心する自分、さらに上を目指す姿勢の部分が欠けていたからではないかと思っています。

ー葛藤があった大学時代と伺っています。何があったのでしょうか。

高校3年生まで順風満帆でしたが、大学の4年間は暗黒期と表現しています。僕の唯一の取柄だった、サッカーの情熱を失ってしまったのです。推薦で入学したにも関わらず、トップチームでは4年間公式戦には一度も出場することができませんでした。

怪我でサッカーができない時期もありましたが、そんなことは言い訳で、実力の差を痛感する日々。通用しない自分に、高校までのサッカー人生で味わったことのない無力さを感じました。

その結果、目先の楽しみに目が移ってしまいます。授業をさぼり、ギャンブルに走った時期もあり、くだらない遊びをして親を悲しませました。

僕はこの時期を「人生の汚点」と呼んでいます。SNSを見れば今何をしているか分かりますし、親不孝でした。大切な大会の前日、練習に遅刻してしまい両親が長野県からわざわざ来てくれたのに試合に出られないこともありました。散々な大学時代でしたね。

今が楽しければ良いと、帰省をしても友達と遊んでばかりで、このままではやばいと感じたきっかけが就活でした。そこで危機感が生まれました。

ーやばいというのは具体的に、どのような危機感を抱いていたのでしょうか。

当時、漠然と思い描いていたのは、かっこいい大人です。かっこいい以外にも、影響力がある、人に慕われるなど思い浮かぶ言葉を言語化してみましたが全部自分に当てはまらず、理想とは真逆で、嫌気が差しました。