現状のコミュニティに安住するな。ラクロス元全日本代表・安藤圭祐に学ぶ“本気の総量”を増やす戦略

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第559回目となる今回は、ラクロス元全日本代表、主将として全国大学選手権制覇の経験をもち、現在独立を視野にサービス業界で新規事業立ち上げなど多岐にわたる経験をつまれている安藤 圭祐さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

アスリートとして個の力を磨き、大学時代は主将としても組織をまとめ活躍した後どのように社会人として成長してきたのか。ストイックに生きてきた安藤さんから本気で培われる経験とは何かを伺うインタビューです。

トップを経験したことのある自分を信じ、地道に努力を重ねた中高時代

ー簡単に自己紹介をお願いします。

高校から始めたラクロスで日本代表としてW杯2度出場、主将として大学選手権を制覇した経験があります。新卒ではリクルートに入社し、新卒採用を務めました。転職し、現在はブライダル業界の会社の社長室で働いています。将来の独立を前提に新規事業の担当など社長の鞄持ちをしてビジネスを勉強中です。

ー幼少期から転機を迎えられたという中学生時代まではどのように過ごしていましたか?

私は、これまでモチベーションがマイナスになったことがなく根明に生きてきました。人に恵まれ、面白い仲間と刺激し合いながら楽しく成長して来たと思います。

小学校では勉強もスポーツも一番でスターのような存在でした。親にすすめられて1年生から入塾した中学受験の塾でも、学校には居ないタイプの仲間と切磋琢磨し勉強することが楽しかったです。受験戦争に勝ち抜いたという感覚ではなく、楽しんでどんどん知識をつけて行った結果、受験も成功し慶應の付属中学に進学しました。

しかし、進学後は優秀な仲間に囲まれ勉強もスポーツも平凡な成績に……。個性がない自分に悩みましたね。幼稚園からサッカーを続けていたので、サッカー部に入部したのですが、なかなか試合に出れず挫折さえ経験できないほど活躍でませんでした(笑)。

ただ、精神的に追い詰められたのではなく、優秀で面白い同級生たちから多くの刺激をもらえたと思っています。

ー高校からラクロスをはじめたきっかけは何だったのですか?

慶應大学のラクロス部は優勝実績が多いので、7年後に大学一になることを目標にサッカーから転身しました。小学校で勉強もスポーツもトップを経験したことがあるので、また返り咲きたいという思いがあったのです。

高校のうちに技術を磨けばスタートが3年早い分、大学でアドバンテージになると考えていました。トップを経験したことがある自分ならば必ずできると自分を信じていましたし、やる気に満ちていました。

ー戦略的ですね。しかし、高校時代は幸福度が少し低かったようですがなぜですか?

中高大と持ち上がりの学校なので、基本同級生は部活を変えていませんでした。周りはラグビー・サッカー・野球と花形のスポーツで全国を目指していました。一方で、高校ラクロスは全国大会もなく表舞台に出られなかったので、マイナースポーツを選んだ自分に劣等感があり、幸福度が足りなかったです。

ートップを獲得するための準備期間だったのですね。

アスリートとして個の技術を磨き、主将としても成長した大学時代

ーその後は有言実行で大学日本一を獲得されて、全日本代表にも選抜された時は何を意識して過ごしていましたか?

自分の勝ち筋は個の技術を磨き上げることでした。最速で試合に出る・最速で全ての選抜で選ばれるために個人ありきの目標設定をして、ライバルに勝つために自分にしかできないことに特化し一点集中型で突破することを意識していました。

ーストイックですね。7年と長期間の計画でも自分を突き動かせた秘訣は何ですか?

まず、一貫してラクロスが楽しかったのでモチベーションが保てていました。5年目までは劣等感も原動力となり、かなりの練習を積みましたね。

また、タイトルを取り出し、選抜にも選ばれ結果が出始めたのです。承認されてきたことがわかってからは環境が整い、良い循環に入りました。技術の高い仲間と練習するのは楽しく、刺激されてどんどんうまくなりステージが上がっていく形でした。

幼少期から変わらず、新たな環境と面白い人に出会うことがモチベーションとなり、仲間と刺激し合いながら楽しく活動できたことが努力を続けられた要因だと思います。

ーアスリートとして結果を出されたあと、色々な選択肢がある中で、将来はどのように進もうと考えていましたか?

日本のラクロスはプロとして食べていけるスポーツではないので、就職の道を選びました。仕事とラクロスを本気で両立することを決めましたが、仕事の内容は全く考えられていませんでした。狭い価値観で行動した結果、就職活動は挫折を経験。

アスリートとして自分で掲げた目標を常に達成してきた自信があり、自分に満足していました。しかし、多くの体育会の先輩方がすすむ総合商社や総合不動産を希望していましたが、内定をもらえず、不本意な気持ちを抱えたままリクルートに入社しました。

ラクロスと仕事を本気で両立して迎えた現役引退

ー入社してからはどう過ごされましたか?

ラクロスはプロリーグや実業団はないので、週末に社会人リーグで活動していました。同僚には行き過ぎた趣味と捉えられていましたね(笑)。

仕事では、入社当初は出会ったことのないタイプの人と集い、自分の精神年齢が低くて違いを認められなかったり、衝突したりすることもありました。担当は新卒採用でしたが、数字を取りに行く営業ともまた違う難しさがありました。凝り固まった価値観を持ち、気が利かない自分に苛立ちも感じていましたね。

ーどのように自分をアップデートしていったのですか?

体育会根性で量でカバーする部分がありました。仕事で違和感を感じた際はひたすらメモを取り同僚や先輩に相談したのです。

環境にも恵まれ、同僚の方々が内省する時間をくださったので、価値観を磨くことができました。自分が気が利かない・違和感を感じる背景に何があるのか、自分がどんなスタンスで行動したいのかを問いかけてくれました。「こんな物の捉え方もあるのか。」と学びが多かったですね。

ー社会人生活と本気で両立していたラクロスを引退したきっかけは何でしたか?

大学4年で全日本代表に選ばれW杯に出場しましたが、もう一度代表に選出されW杯に出場すると目標を立て社会人になってからも練習に励んでいました。

社会人4年目、無事に選出されW杯には出場したのですが、試合では活躍できず。しかし、活躍しなくても悔しさを感じない自分がいて……。自然と引退が頭に浮かびました。

また、当時異業種の方と交流する機会を増やしていて、スポーツ以外でも上には上がいることに気づいたのです。今後も休日の全てをラクロスに費やすことに疑問が湧きました。26歳で引退を決めたのは、2つの要因が重なったからです。

出会いを増やし、なりたい社会人像をみつけ新たな道を切り開いた

ー引退直後に転職も決められたのはどうしてですか?

引退後1ヶ月後のことです。意図的に異業種の方と会うようにしていた中でお世話になっている方からご縁をいただき、現在の会社の社長に出会いました。これまでの経験とこれからどう歩んでいきたいのかを話したところ面白いと言ってもらえて。

自分の会社でいろいろな業務に携わり、好きなことを見つけて将来独立したらよいと特殊な形で採用いただけることになりました。現在はお客様と直接接点が持てるサービス業であるホテル・レストラン・ブライダル関係で勉強をしています。

ー社長の何に惹かれたのですか?

まだ遥か彼方に居らっしゃいますが、現状の自分の延長線上として目指したい方だと感じました。事業を成功させているだけではなく、懐が広く、周りの方に気が利いて、腰も低く男として憧れる存在です。

ーまさに男のロールモデルですね。今後チャレンジしたいことを教えてください。

体育会の主将時代は総勢130人のメンバーがいかに充実したシーズンを過ごせるかと意識していました。メンバーが幸せな部活とは何かを模索し、環境を整えた経験が自分を成長させてくれましたね。今後もおそらくかけがえのない仲間と組織を作って、世のため人のためになるような事業を興しビジネスとして成功させたいと考えています。

今は人生の手札を増やす時期だと考えていて。できるかどうかは置いておいて、まず選択肢を多く持てるように意識して生きています。

今後は増やした選択肢からちゃんと選択ができるように実力をつけていきたいです。自分のスキルをどこまで伸ばし、どれだけ稼げるのかも含め展望をクリアにしていくことに注力していきます。

ー最後に本気になるものを探している人にメッセージをください。

今所属するコミュニティに安住してしまうと成長が鈍ります。横軸を増やす意識で外部のコミュニティに触れ、面白いと琴線が触れたときに縦軸を伸ばすイメージで深く掘り下げるように過ごすと本気の総量が増えていくと思います。

私はタイトルを取れたか否かより、7年間本気でラクロスに取り組んだプロセスに価値があったと感じています。まずはなんでも良いから本気で取り組んでもらえたら嬉しいです。

ーありがとうございました!安藤さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:山崎貴大 (Twitter
執筆:竹内佳奈子(Twitter
デザイン:安田遥(Twitter