フリーランスの「信頼の象徴」に。穂刈正樹が見据える将来とは

自分は「天才」ではなく「相当な努力家」だった

ー第一志望の大学に進学されてから様々なことに挑戦されていたとか?

そうですね、資格を10個ほど取ってみたり、1年生の頃から大学の先輩の起業を手伝ったり、2年生の頃から20以上のインターンに参加したりしていました。

そのきっかけは、周りのレベルの高さです。それまで自分は天才だと思っていたのですが、実は自分が相当な努力家だったことに気づいたんですよね。よく考えれば勉強も運動も誰よりも頑張っていて、それこそ受験のときも予備校で一番早くから一番遅くまで勉強していたなと。

それに気づいたのが大学の最初のテストでした。自分が天才ではなかったことに焦り、その焦りを埋める方法だったのが資格試験やインターンなどですね。

勉強や仕事関連以外にも、バレーボールチームでの活動を頑張ってみたり、大学祭のオープニングで歌ってみたりと、4年間で本当にいろいろしました(笑)。

ー自分が努力家だと気付いたとき、どのような気持ちになりましたか?

正直認めたくありませんでした(笑)。生まれてはじめて努力しても人に勝てなかった経験だったので、かなり大きな挫折だったんですよね。

やはり「特別な人は天才」だと思うためすぐには受け入れられず、少し時間が経ってからようやく受け入れられるようになりました。

新卒2ヵ月で退職し、フリーランスの道へ

ー就職後すぐに退職したのはなぜでしょうか?

もともと大学卒業前から独立は頭にあったのですが、メンタルが不調になったため当初の想定(新卒1年目の12月)よりも早く退職しました。

就職先の金融機関は「転勤がない」「研修が整っている」という理由で選び、特に研修で学ぶことは独立時に役立つのではと考えていました。

しかし、仕事柄お客様に嫌われやすく、外部からのいたずらもひどかったためメンタルがやられてしまったんですよね……。また、ある程度会社が大きくなると自分自身は部品になるしかないんだなと。

通勤中の電車でも「何で乗っているんだろう」と思うことが多く、いつしか「お金を払ってでも会社を休みたい」と思うようになりました。

そして気づけばかなり精神的にまいってしまったため、2ヵ月で退職しました。

ーそうだったんですね……。少し話は戻りますが、もともと独立を考えられていた背景が気になります。

大きな理由は、大学時代までの頑張りがリセットされる感じが受け入れ難かったことです。

会社は良くも悪くもそれほど目立つことができませんよね。私自身、中高はずっと勉強や運動を頑張っていたので特別扱いされていましたし、大学進学後も、進学先についてすごいねと言ってもらえていました。

しかし、会社に入ればそのようなことはほぼなく、あっても最初に大学を褒められるくらいなので「今までのアドバンテージは何も使えないの?」と思ってしまいました。いざ入社すると差がない状態だったため、これまでの頑張りがリセットされる感じがして。今は理解できますが、当時の自分にはできませんでした。

ちなみに、勝算はなかったものの大学の友人と3人で起業を決め、大学4年生の3月にみんなでお金を出し合って熱海に戸建ての別荘兼事務所を購入していました。そのときに新卒1年目でボーナスを何回かもらったときに会社を辞めようと話していましたね。

ーフリーランスになってからどんな苦労がありましたか?

この時が人生で一番きつかったです。人生で初めてうまくいかない理由が分からない経験だったため、メンタルは完全に折れていました。ある程度サイトを作れるようになったものの、始めて2〜3年は頑張ってもうまくいかず、月収が4〜5桁の時期が長く続きました。

浪人もフリーランスも「レールを外れる」という点では同じですが、浪人時代は過去問を30〜40年分を解けば基本的にはできるようになったのに対して、フリーランスは過去問も教科書もないため、努力してもうまくいかないという……。

情報商材が過去問のような存在にみえますが、そこに「それっぽいこと」は書いてありますが、当然努力だけで何とかなるものではありません。

ただ、うまくいかない中でもある程度生活できるくらいは稼げるように頑張っていました。

ー立ち直りのきっかけが気になります。

26歳の誕生日のときに、静岡でフリーランス系の有名なコミュニティにスタッフとして参加したのですが、そのときに卒業生が全然稼げていない実態を目にしたことで、「優秀な人が多い東京で直接勝負するしかない」と思ったのがきっかけです。

何をしてもだめな状態で本当に気持ちが折れていたので「これが最後の勝負だ」と、残っていた気力を振り絞った挑戦でした。

その年の11月に福島さんと知り合って。たまたま拠点が一緒だったことと、当時彼女も困っていたことから意気投合しました。その頃から現在まで4、5年ほど右腕をしてくれています。

そして福島さんに出会った翌月に黒田さんと知り合い、フリーランス界の現状を話したところ「よかったら好きにやって」と言っていただき、一緒にイベントをしたりフリーランスコミュニティ「Freelance Now」の責任者を任せていただいたりしました。