フリーランスの「信頼の象徴」に。穂刈正樹が見据える将来とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第686回目となる今回は、フリーランス株式会社代表取締役の穂刈 正樹(ほかり まさき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

現在「フリーランス」のために複数のコミュニティを運営する穂刈さん。就職・起業・フリーランスを経て、なぜフリーランスをサポートするようになったのか。その決断の背景とともに穂刈さんの半生を紐解いていきます。

「フリーランスの活躍の場と機会を増やしたい」

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします!

フリーランス株式会社代表取締役の穂刈正樹と申します。現在は日本最大級フリーランスコミュニティ「Freelance Now」の運営をしたり、「大人が本気で遊ぶ会」の共同オーナーをしたりしています。

ーいつ頃からフリーランスコミュニティを運営されているのですか?

3年前に「フリーランス研究家」の黒田悠介さんと知り合い、イベントで意気投合したところコミュニティの運営を任せていただけることになりました。

現在では、8,000名以上の様々なジャンルのフリーランスが集結している日本最大級の実名制フリーランスコミュニティとなっています。「仕事とつながる、仲間とつながる」というビジョンを掲げ、フリーランスの活躍の場と機会を増やすことを目指しています。

ー素敵な取り組みですね!「大人が本気で遊ぶ会」はどのようなコミュニティでしょうか?

「遊びを通じてつながるコミュニティ」として、月に何回かテレビゲームやボードゲームなどで遊ぶイベントを開催しています。

もともと、フリーランス時代にイベントを開くたびに参加費をいただいていたのですが、毎回来てもらえるだけでうれしく、お金をいただくことに抵抗があって……。そこで、「月額1,000円でイベント参加し放題にすればいいのでは?」と思い、現在の形になりました。

また、遊びだけではなくフリーランス同士で仕事の受発注もあります。私たち自身も、遊びを通して会社に依頼がくることがありました。

企業とフリーランスが仕事のやりとりをする「Freelance Now」とは違い、このコミュニティはあくまでも「遊び」がメインで、仕事の機会やきっかけにもなるイメージですね。

何か「特別なもの」になりたかった

ー中学・高校時代はどう過ごされていましたか?

他の人と同じことを嫌がるタイプで、「目立ちたい」「特別扱いされたい」という気持ちが強かったです。幼いころからずっと褒められて育ってきたので、単純にちやほやされるのが好きだったんだと思います。

そのため勉強も運動も頑張り、特に運動は嫌いでしたが周りの目を気にして運動部に入っていました(笑)。ちなみに中学はバレーボール部、高校はワンダーフォーゲル(登山を中心としたアウトドア活動)部です。

当時は自分のいる環境の中で特別扱いされることを常に意識していましたし、何をするにしても、一生懸命すれば誰にも負けない自信がありました。

ー高校生のときにバレーボールチームを作り現在も活動を続けているとのことですが、チーム設立の経緯が気になります。

きっかけは高校の球技大会でした。各クラス対抗で、敵チームにはバレー部のキャプテン・セッター・エースがみんな集まっていたのですが、自分のクラスには誰もバレー経験者がおらず……。

「そのチームに勝って優勝したいよね」となったため、体育館を借りて毎日朝や夜に集まって練習に打ち込みました。手を挙げて始めたのは自分ですが、実際にクラスのみんなを巻き込んだのは、井口くんという身長190cmのカリスマ性がある人気者の子です。

私はとにかく井口くんを熱心に口説きました。今思うと、私は自分が動くよりもキーとなる人を見つけ、その人が中心となって動く体制を整えることが得意なタイプなんだなと。

長年の経験者たちに勝つために受験勉強や部活よりも優先度を上げ、さらに身長が高い人(井口くん)はAクイックのみ、スパイクを打つのは2人のみという風に勝算がある部分に特化した練習をした結果、見事そのバレー部軍団を撃破できました。

ただ、受験勉強を疎かにした結果、私を含めてほぼみんな大学受験に失敗してしまいましたね(笑)。

ーなるほど!ちなみに穂刈さん自身の大学受験はいかがでしたか?

大学も高校の中では一番いいところに行きたいと思っていて。私の高校では国公立大学の方が特別視されていたので、自然と国公立大学を志望しました。

ただ私の高校は、カリキュラム的に授業が最後の範囲まで終わらなかったり、やらない科目もあったりと受験勉強への熱が低いんですよね。それに加えて、夏前まで球技大会のバレーボールに打ち込んでいたため受験勉強の期間もかなり短い状況で。

結果的に、第一志望の大学には合格できず別の国公立大学に進学しましたが、諦めきれずに仮面浪人しました。また、進学した大学は学びたい学問を扱っていなかったため、すぐに休学するという……。その大学は募集枠が少なかったので休学や転学することに申し訳なさがありました。

ーそうだったんですね……。仮面浪人時代はどのような生活を送られていたのでしょう?

実家の神奈川から予備校のある町田まで、往復4時間以上かけて通っていました。暗記物はその移動時間でやると徹底してました。朝6時に起きて2時間かけて予備校に、そして夜は21時に予備校を出て23時に帰宅するという。誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰っていました。

一見大変そうですが、「第一志望に合格するために頑張るのは当たり前」と思っていたので自分にとっては大変ではなくて。

そしてこの生活を1年間続け、無事に第一志望の大学に合格できました。