価値観や選択肢を広げるには?地元・福島で多文化共生の教育事業に取り組む野地雄太

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第789回目となる今回は、「多文化共生の理解を通して、子どもたちに価値観や選択肢を広げる場を提供したい」と起業された、株式会社Beyond Lab代表取締役の野地 雄太(のじ・ゆうた)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

東日本大震災の経験や、学生時代の国際交流、アメリカ留学など、様々な出来事がきっかけで教育事業を立ち上げた野地さん。地元福島で多文化共生の理解を子どもたちに広げたい理由と、ご自身の選択において大切にしていることについて詳しくお伝えします。

東日本大震災の復興ボランティアが地域との関わりのきっかけに 

ーまずは、簡単に自己紹介をお願いいたします。

1995年、福島県生まれの野地 雄太(のじ・ゆうた)です。2022年2月に地元の福島県を拠点とした、株式会社Beyond Labを立ち上げ、留学体験プログラムを運営しています。子どもたちに様々な価値観や選択肢を広げてほしいという思いから地域の教育事業を行っております。

ーありがとうございます。地元福島で起業された野地さんですが、福島での学生時代の出来事が、現在の活動につながっているそうですね。まずはその当時のことについて教えてください。

地元福島で起業したきっかけのひとつには、やはり東日本大震災が大きく影響しています。当時、私は中学3年生で、震災が起こったのはちょうど卒業式を終えた日の午後でした。その後、私自身は地元の高校へ進学したものの、同級生の安否や被災地への思いが心の底にずっとあったのを覚えています。

私を含め、福島の多くの学生は地元への思い入れがとても大きかったでしょうね。高校時代の私は「被災地である福島にいるからこそ、できることを見つけたい」という思いから、復興ボランティアへ積極的に参加しました。

ボランティアでは、福島の特産品のイメージを向上するためのPR活動を行ったり、一次産業や行政に関わっている方々と地域の課題解決に向けた取り組みをしたりと、社会問題に触れる機会が数多くありました。

そんななかで、地域のために尽力する大人たちの姿に感銘を受け、「物が壊れても、人のつながりは残っている」と、感じたのが地域で起業したいと思ったひとつの理由です。その経験を通して、「地域の課題を解決できる事業をつくりたい」と考えるようになりました。

ー福島での復興ボランティアのなかで人の熱量を感じ、地域課題の解決の糸口を見つけたのですね。

学生時代の国際交流が選択肢を広げる転機に

ー野地さんの事業では、学生に多文化共生の学びの場を提供されています。多文化共生について関心を持った具体的なエピソードを教えてください。

高校時代に参加した国際交流プログラムでの出会いが、多文化共生に関心を持ったきっかけですね。留学生や海外の研究者、留学している日本人学生と話をしたことで、自分が知らない価値観を学べ、その後の進路に大きく影響しました。

国際交流のなかで、特にアメリカの大学には世界中から留学生が集まってきて多文化に触れる機会が多いこと。リベラルアーツという専攻以外のさまざまな学問を同時に学べるフレキシブルな制度があることを知りました。

そんな刺激的で日本にはない学びの場を求めて、高校卒業後はアメリカの4年制大学に進学しました。

ーそれはとても思い切った選択でしたね。国際交流プログラムへの参加が新たな価値観を見い出したんですね。

そうですね(笑)。僕はもともとは決してアクティブな性格ではなかったのですが、知らない世界への好奇心が刺激され、自分のコンフォートゾーンから脱するきっかけになったと思います。

先ほどお話した被災地のボランティアの経験も影響していますが、「今やりたいと思ったことは妥協せずに、すぐに実行する」というモチベーションが高校時代の経験を通して培われました。

ーアメリカに留学されて、価値観はどのように変わりましたか?留学生活の感想などもお聞きしたいです。

やはり、アメリカでは人種や価値観の多様性を実感しましたね。当たり前のように、様々な文化・宗教・価値観を持っている人が同じ空間で共存していることに、想像以上の衝撃を受けました。

一方で大統領選挙の際は、激しい意見の対立を目の当たりにして、多文化共生における課題にも直面しました。私は大学で社会学を専攻していたこともあり、相手の話を一意見として受け入れるのかどうか、多様性の認め方について考えさせられましたね。

また、世界各国から留学生を受け入れている大学だったので、学内の宗教団体同士の対立も珍しくはなかったんです。学内が緊迫した状態になるようなハードな社会問題を見聞きした経験は、一層多文化共生への関心を深めるきっかけになりました。

ーアメリカに留学したからこそ、多文化共生における課題をまざまざと実感されたのですね。では、日本で多文化共生について、課題に感じることはありますか?

はい。これも学生時代の体験から、日本は多文化共生への理解がまだまだ不足していると実感しています。

私は、コロナウイルスの流行をきっかけに大学4年生で日本に帰国したんです。海外旅行が制限されるなか、気分だけでも味わえる場を提供したいと、友人とともに国内で国際色豊かな場所への観光ツアーを開催しました。

そのとき、外国人が多く住んでいる地域にも足を運び、ミャンマーやインドの方と話す機会がありました。日本では外国の文化や価値観への理解が進んでおらず、日本在住の外国人が窮屈に感じているのだそうです。

というのも、日本は外国人と接する機会といえば学生時代のALTの授業に限られており、本人が機会を作らなければ国際交流は進みません。また、ALTもネイティブの方が多く、例えばアフリカやアジア諸国の方との交流は滅多にありませんよね。

しかし、今後ますます外国人労働者をはじめ、外国人の受け入れが進むなかで多文化共生の理解が追い付いていないのは、とても大きな問題となります。だからこそ、若いうちからの国際交流の場をもっと増やしていく必要があると考えているのです。

ーなるほど。国内でも根強い多文化理解への課題を抱えているのですね。