会社存続の危機と直面。渦中に藤林郁三を突き動かしたベンチャーマインドのルーツ

今回は、株式会社カンリーのカスタマーサクセスチームで部長を務める藤林郁三さんをお招きしました。

これまでのキャリアの歩み、働く上での価値観について伺います。

 

日本が誇るサービス品質を守るためにサービスを提供

–お勤めの会社について教えてください。

当社では、主に店舗アカウントの一括管理・分析SaaS「カンリー」、マップで近隣のクーポンを探せる福利厚生サービス「フクリー」の開発・提供を行っています。

「カンリー」は管理・運用コストを削減し、集客効果をあげることができるツールです。現在、約7.5万店舗にご導入いただきました。

全体人口、生産年齢人口が減っていく中で、少しの改善・調整だけでは日本が誇るサービス品質、おもてなしのクオリティを維持できなくなっています。テクノロジーを導入することで、人が集中すべきところにフォーカスできる環境を作っていきたいと思っています。

▽株式会社カンリー HP
https://biz.can-ly.com/

–仕事内容について教えてください。

私は約20名のメンバーが所属するカスタマーサクセスチームの統括責任者を担っています。4チームのリーダーとコミュニケーションをとりながらマネジメントを行い、部署売上目標の達成を目指して働いています。

自分自身も一部のクライアント企業にはカスタマーサクセス担当として関わりつつ、新しい商材の提案営業も担うことがあります。

–働きがいを感じる場面を教えてください。

顧客が成果を実感してくださり、満足の声を聞けた時ですね。例えば、美容業界の企業からご相談を頂き、「ポータルサイトに年間を通して多くの予算をかけている。この状況を改善したい」という悩みを打ち明けてくださいました。

当社サービスを導入後、ポータルサイトに頼らず自社による集客力を向上できた結果、集客コストの削減を実現できました。社長直々にお礼を言ってくださり、嬉しかったのを覚えています。

また、チームメンバーと共に部署目標を達成できた瞬間も働きがいを感じます。これまでに部活動を通してチームスポーツに打ち込んできたことがあり、チームとして成果を出すことに喜びを感じることが多いです。

 

ボトムアップ式の環境下で身についた力と姿勢

–子供時代のご自身のことで覚えていることはありますか。

小学生の頃にプロサッカーチームのスタジアムがある地域へ引っ越し、近所に住んでいた友達に誘われたことがきっかけでサッカーチームに入りました。その後、中学受験を経て、中等部が新設された中学校に入学しました。自分達の学年より先輩にあたる学年はなく、入部したサッカー部でも同じ環境でした。

何もないゼロの状態から始まったため、生徒が自ら「練習場所をどう確保するか」「練習メニューをどうするか」を考えながら部活動を推進していました。高等部の先輩方は全国大会出場歴を持っていて、高等部のチームを見る監督から戦術をインプットできる環境は大きな助けになりました。

–進学先はどのように選びましたか。

一人暮らしができること、スポーツが強いこと、文系でかつ入学後に進路を選択できることを軸に進学先を検討し、筑波大学へ進学しました。

入学後、大学でも本気で部活動に取り組みたいと思い、ラクロス部に入部。ほとんどが大学から始めるカレッジスポーツで、努力次第では日本代表も目指せる環境で、キャプテンや先輩メンバーが魅力的な人だったことなどが決め手でした。

–ラクロス部で活動していた頃のことを教えてください。

1〜3部で構成されるリーグ戦の中で、2部から1部に昇格することが当時の目標。監督はおらず、練習をはじめ、部の運営に関わる全てのことを学生が運営していました。

メンバーはラクロス未経験の人ばかりで、ポジションごとのリーダーと幹部を中心として毎年戦術を変えながらチーム力を鍛えていきました。また、運営費用の調達も学生が主体となって取り組まなければいけない状況で、スポーツメーカーや地域企業に対するスポンサー営業も行っていました。

こうした環境の中で、ボトムアップで組織を運営していく経験を経て、0→1を生み出す力が身についた機会になったと思います。

–当時のスポーツ、部活への打ち込み方や姿勢について教えてください。

サッカー部の頃は、レギュラーの席を勝ち取るために必死でした。約70人もいる中でスタメンの11人に入るために、「どうやって自分の実力や個性を出し、差別化するか。どうしたら選ばれるか」と考え、強みを尖らせていく思考で取り組んでいました。

ラクロス部では、ポジションメンバーをまとめるリーダーとなり、キャプテンと連携しながら部の運営に携わりました。技術に関することだけではなく、体づくりに必要な栄養、ウェイトトレーニングなどの知識を得るために、著名な整骨院に行き、第一線で活躍する先生にご指導いただく機会を作ったこともありました。

–スポーツ、部活動に打ち込む中で葛藤した場面はありましたか。

中学時代にサッカーの試合で大きな怪我を負い、スタメンを外されてしまったことがありました。怪我からは復帰したものの、そのタイミングで監督が代わり、レギュラーに起用されなくなってしまいました。プレースタイルに価値がない、と言われたこともありました。当時はとても悔しくて、挫折経験として心に強く残っています。

その後、ラクロス部時代にも「自分が周りを巻き込めていれば、もっと良い結果が得られたのに…」と後悔していることがあったり、カンリーではマネージャーとして「もっと早く権限移譲をしたり周りと協力したりすればよかった…」と反省した出来事があります。

いずれの時代もうまくいかないことや葛藤してきたことはありますが、その都度学び、改善しながら進んできましたし、その気持ちを経験しているからこそ今仕事を通して感じられている喜びがあるとも思っています。

 

ふと涙が溢れるほど、チームで力を尽くしたい

–就職先はどのように選びましたか。

「人」「事業内容」「将来の起業に繋げられるか」の3つを軸として就職先を検討し、カンリーへの入社を決断しました。

カンリーと出会ったのは、大学3年生の終わり頃。インターン先を探していた時に代表、辰巳のX投稿にあった募集を見て、応募しました。

当時、宴会の幹事代行サービスを提供していたところ、新型コロナウイルスの影響が直撃…。宴会自体がなくなり、幹事代行のニーズも消え、サービスはクローズしました。

当時の状況に関しては、こちらのnoteにも詳しく書いてあります。
https://note.com/canly/n/na4dd8c0b62c2

あと数ヶ月このままだったら、会社がなくなってしまうかもしれない…という状況の中でもがき続けていると、海外でユニコーンに成長した企業が日本に上陸してきて、その事業アイデアを土台として「カンリー」のサービス構想を立ち上げる流れになりました。

会社としては「ここに賭けるしかない」という状況で、自分自身もできることは全てやりました。余計なことを考えたり迷ったりする時間はなく、営業やIS、QAエンジニアなど幅広くとにかく日々やりきりました。絶対にうまくいくと信じて取り組みながら、成果が出た時や顧客に提案をご満足いただけた時にはやりがいを感じていました。

–社会人の早い段階で厳しい局面を経験されたんですね…。

まだ会社の知名度がない中で、外部から情報を取り入れながら目の前の課題を解決していく、どうやったら良くなるかを考えて突破していく、という日々の繰り返しでした。業界の先輩方が書いてくださっている本はとても参考になりましたし、トップランナーの方々からいただいたアドバイスも貴重で有益なものばかりでした。それらがあったおかげで正解がない中で模索をし続ける環境を生き抜くことができ、自分や会社の成長を実現できました。

–事業の立ち上げ時期に関わったことで得られたことはありましたか。

最初は不安を抱えながらも飛び込む勇気が必要でした。飛び込んでみるとさまざまな機会があり、当事者意識を強く持つことと先輩や先達の方々にアドバイスを頂くことで各局面を乗り越えてきました。その過程では、当事者意識、素直さ、コミットメントなどが多面的に強化されたと思っています。

また、挑戦し続ける道中で失敗したりチームがチグハグし始めたりすることもありますが、「これらの経験を通して次うまくいく方法を見つけられれば、後から振り返った時に通過点だったと言える」と捉えられるようになりました。

–会社と共にピンチを乗り越えてきたこれまでを踏まえ、今後の展望・目標として見据えていることはありますか。

カンリーに入る前は「起業したい」と思っていました。入社後、さまざまな経験を経て、現在は事業と会社を大きくして、より広く価値を提供したいと考えるようになりました。大好きな業界の店舗を支援し、より多くの人の幸せを実現し、その喜びをチームで分かち合いたいと思っています。

個人的には、チームとしてやり切った経験をさらに味わいたいと思っています。というのも、大学時代、試合が終わった直後にふと涙が溢れたことがあったんです。力を尽くした末に自然と出てきたものでした。その時のような感覚を、スタートアップ企業における仕事を通して、チームの皆とまた味わえたら嬉しいです。

 

取材・執筆=山崎 貴大