様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第908回目となる今回は、濱崎宰(はまさき つかさ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
中小企業のEC展開にチャンスとソリューションを提供することに使命を感じ2021年9月2日、株式会社HMitを創業した濱崎さん。現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
行動力をもつようになった原点から、起業までどのように行動してきたかお話していただきました。
やりたくても出来ない環境が生き方の原点
ーまずは、簡単に自己紹介をお願いします。
濱﨑宰(はまさきつかさ)と申します。出身は長崎県五島列島です。高校卒業後、就職を機に福岡に出てきました。
福岡へ乗り出したものの社会の厳しさを知り絶望。紆余曲折を経て、最終的にドラマ『会社は学校じゃねぇんだよ』を見て起業を決意しました。株式会社HMitを創業しています。
ー就職するまでの五島列島での暮らしはいかがでしたか?
小学6年生のときに、今でも付き合いのある友達と出会い、楽しく過ごしていました。ただ、自分のやりたいことが叶えにくい環境でもありました。例えば、ダンスしたいと思っても学校にダンスサークルがない、ダンス教室がないみたいな。
自分のやりたいことが1個も叶わない地域だったので、すぐに五島を出ていきたいと思っていました。
ー選択肢がない苦しさがあったんですね。
はい。「五島を出たいな」という気持ちもありつつ、友達が年々増えていって楽しい生活を送っていたことには変わりなくて。それに、島での生活が今に繋がっているとも思っています。
やりたいことがあってもできない環境に住んでいたことが、「まずは行動しよう」と思える源になっています。
社会の厳しさを知り絶望。そのときにとった行動とは
ー五島列島での暮らしが濱崎さんの「とにかくやってみる」生き方の原点だったんですね。高校卒業後、福岡に出てきたんですか?
「絶対に偉くなる」というモチベーションを持ち、単身で福岡へ乗り出しました。当時上場していた会社に営業マンとして就職しました。
高卒入社が私だけで、周りが大卒だからこそ「絶対負けたくない!」と思って、社内イチコスパのいい社員を目指していました(笑)。
ー周りに圧倒されるのではなく、自分しかできないことを目指すというのがかっこいいです!具体的な業務内容を教えてください。
雑貨の営業をしていました。一営業マンというよりも、ラウンド営業で同じお客さんと月1回あうような。1発営業が出来ない環境でした。
理想と現実の違いに苦しみました。社会人の常識も当時知らなかったのでボコボコにされてましたね(笑)。
だけど、苦しかった分学びも多くありました。社会人として基礎的なことや概念など今に繋がっていることを知れました。
ーこのときに、社会の厳しさを知り絶望したと聞きました。どのような行動を選択したのでしょうか?
保育士を目指し、専門学校に進学することを選びました。というのも「一般企業はもう無理だ」となってしまって。「資格をとり専門職を」という時代でもあったので、資格が欲しいなと思って専門学校進学を選びました。
ー資格が求められる名残が今でもありますよね。専門職の中でも、なぜ保育士だったのですか?
教育系というか教えることが好きで、保育士か小学校教諭で悩んでました。結果的には、保育士を選びました。
高校生のときの中学生に戻りたいっていう思いを叶えた
ー専門学校に対しどんな思いがありましたか?
仕事をしているとき、大学に行けばよかったとずっと思っていました。周りのキャンパスライフが羨ましかったんです。学生って人生の夏休みだと思いませんか?
そんな人生の夏休みを過ごしたいという思いが叶った環境です。学生である3年間でやりたいこと全部やろうってワクワクしていました。
ー学生だからできることってありますよね!どんなことをしていたんですか?
ずっとやりたかったダンスを習っていました。ある程度できるようになったときに、学校でダンスサークルを設立しました。それに、学校がスポーツに強く、学生にもスポーツの仕事がもらえました。
インストラクターの仕事を始めて3年次にレッスンをしながら学校にいくインストラクター兼学生に。
ー五島列島在住のときからやりたかったことを叶えたんですね!しかもインストラクター兼学生で仕事にも繋がっているなんて!専門学校時代にも「まずは行動」を体現していたんですね。
この時の将来象はどういったものだったんですか?
保育士になりたいと思い専門学校に進学したものの、保育士は業界的に難しいと思い保育業界に進むことを辞めました。そこで次にやりたいと思ったのがインストラクターを目指すことに。手取りで30万ある仕事で絶対やってやろうと思ってました(笑)。
ーなるほど、では専門学校卒業後はインストラクターの道に進んだんですか?
いえ、結局自分の未来が想像できなくて思い切ってやめました。30歳になったときに自分が動けるイメージが突然つかなくなったんです。インストラクターは動けないと出来ない仕事ですから。
ーインストラクターに未来はないって思ったとき、不安はありませんでしたか?
不安というよりも、絶望的状況でも、次どうするのかっていう思考が島での生活で身についているので次の行動を考えていました。
たまたま、1社目の先輩に相談しました。すると、その先輩は私のスキルを買ってくださって会社に誘ってくれたんです。
その会社は、インテリア家具をネットで販売する一般企業の会社です。専門職に就きたくて専門学校へ行ったものの、結局一般企業に戻ることに。なので、ECやりたいという意思ではありませんでした。