迷った時は楽しそうなほうを選ぶ!CityCampマネージャー・ひろとの人生の進み方

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第844回目となる今回は、CityCamp株式会社マネージャー・ひろとさんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

10年間取り組んできたサッカーでの挫折で感じた苦しさがきっかけで、海外での勉強や会社設立などさまざまなことに挑戦してきたひろとさん。これまでの人生での選択や現在のお仕事についてお話いただきました。

サッカーでの挫折経験がターニングポイントに

ー自己紹介をお願いします。

CityCamp株式会社でマネージャーを務めるひろとと申します。関西で生まれ育ち、高校時代までサッカーを続けていました。龍谷大学を卒業後は航空会社に就職し、転職や会社立ち上げを経験して現在に至ります。

ー高校時代はどのように過ごしていましたか?

サッカーを10年ほど続けていましたが、高校時代に引退しました。

身体的な怪我や気持ちが落ち込んだことが、引退の理由です。サッカーをしていて足などの怪我を繰り返していました。また失恋がきっかけで自信がなくなり、サッカーでのプレイにも影響してしまいました。

高校1年生から3年生まで苦しい時期が続き、サッカーを10年間続けていて良い成果を残せなかったことが心残りでした。

ー大学に進学されてからはどのように過ごしていましたか?

サッカーでの心残りから、大学時代はたくさんのことに挑戦しました。韓国に行って日本と韓国の文化問題の違いについて学んだり、フィリピンを放浪したりしていましたね。

私は文化問題の解決に興味がありました。日本が韓国を植民地化した歴史や、日本の初代総理大臣を韓国人が射殺した事件がありますが「日本と韓国の間で歴史の教育があまりにも違う」と疑問を持ったのです。日本にいて歴史を学ぶだけではわからなかったので、韓国で現地の名門大学の学生たちと交流したり、歴史の資料館に行ったりしました。

また東南アジアの所得や文化の発展が気になった時期があり、自分が体験してどう感じるか気になっていました。宿を決めずに飛行機だけを予約し、フィリピンに1ヶ月滞在しました。行くと決めた時には、心配のあまり親に怒られましたが(笑)。

航空会社から次のステップへ

ー社会人になってからはどのような仕事をされていましたか?

新卒で航空会社に入社し、パイロットやCAの運航監視をしていました。天気や今の空港状況など、管制塔から送られてくる情報に基づいてパイロットに情報を伝える業務をしていました。飛行機を運航する上で、人や物を管理する役割でした。

もともと日本や地域の魅力を発信したいと思い、起業したいと思っていました。航空会社ではキャリアを積むのに時間がかかるため、8ヶ月で退職しました。

ーその後はどのようなキャリアを歩まれたのですか。

グリー株式会社の社内ベンチャーの新規立ち上げ営業に転職し、上京しました。

転職先を選んだ理由は、地域の飲食店や宿泊施設を読者が気になるような見せ方で発信したり、特集を組んで地方のものをより広めたりできるからです。主に店舗や宿泊施設のメディア掲載やSNS運用のサポートをしていました。

ー地域の魅力を発信する上で、大変だったことはありますか。

発信するにあたって、紹介する店舗側が大事にしているものと客観的に見たニーズが違うこともあり、違いをいかに埋めるかを考えるのが大変でした。私たち発信側と店舗側の落としどころを見つけ、違いをすり合わせていました。

プライベートでお店を訪問したり近くで商談があった時に寄ってみたりと店舗の方と地道に関係を築いていったからこそ、すり合わせができたのだと思います。

ーその後は退職して独立されたとのことですが、どのように決断したのですか。

入社して半年経った頃に昇進のお話をいただきました。関西に戻ってプロジェクトの立ち上げをしないかと提案されたんです。

せっかく東京に来たので私は起業を目指していて、仕事をしながら経営を経験したいと思っていたので退職を決めました。

会社を立ち上げるも、やりたいことに迷う日々

ー個人で事業を始めたとのことですが、どのようなことを始めたのですか。

通販のコンサルティングをしていました。通販を導入したい業界の方たちに向けて無形商材を販売していました。

ー会社を辞めてから事業を始めたのでしょうか。

会社を退職する前から始めていて、1〜2ヶ月間は会社員と個人事業のダブルワークでしたが、会社員の仕事が忙しい日々でした。

当時は売り上げがそれほどなかったのですが「このままでは時間がなくて動けない」と感じ、思い切って会社を辞めました。思い立ったらすぐ動く自分の性格もあったと思います。

ーその後会社を立ち上げたと伺いましたが、どのような流れで立ち上げたのでしょうか。

通販関係の法人を作るタイミングで、関西で会社を経営している親戚からも話があり、ハウスクリーニングの会社も立ち上げました。

会社を経営している家族や親戚を見ていて、成功事例や仕事の取り方は知っていました。卸業者のように仕事を取ってきて、仕事は業者にお願いする形でした。会社とお客様の間に立ってサポートする面では、これまで行ってきたSNS発信に近いものがありました。

ー再び挫折を経験したと伺いましたが、どのようなことがあったのでしょうか。

売上としては順調でしたが、会社を立ち上げたとたんに、持っていた情熱が一度消えました。

「会社を作ること」と「日本の文化や地域の魅力の発信や場づくりをする」が私の人生の軸でした。会社を作る目標を叶えたことで、もう一つの軸である「地域の魅力を発信すること」に関してこの業態で良いのだろうか、と考え始めたんですよね。関西にいたら地域の魅力の発信をしたかったので、空き家での場所作りやお店のSNS運用のサポートを始めようと思っていたのです。

25歳から26歳にかけては、関東にいるか関西に帰るかを模索していた1年でした。そんな中で『CityCamp』のお話をいただき、関東に残ることに決めました。