様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第956回目となる今回は、農家民宿・ゲストハウスオーナーの唐崎翔太さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
パワハラによって退職を余儀なくされた唐崎さん。現在は、心が疲れた人を迎える民宿を香川で開いています。民宿開業までの道のりと現在の活動への考えについてお聞きしました。
旧ユーゴスラビアを訪問し、民兵と出会う
ー自己紹介をお願いします。
唐崎翔太と申します。大阪府出身で、現在は香川県丸亀市のさぬき広島という離島で農家民宿の経営と農業をしています。民宿では週末はファミリー層、平日は一人旅のお客さんの受け入れをしています。農業では「香川本鷹」という品種の唐辛子を生産していて、これから高菜やエゴマなども育てようとしています。
ー大学入学にあたり、進路はどのように決めたのですか?
センター試験でしくじり、どうにか入学できた大学が和歌山大学観光学部でした。観光学を学ぶことになったのはたまたまです。
第一志望の大学ではなかったので、入学当初はモチベーションが持てませんでした。大学入学して1〜2年間は、留学準備をすることで大学生活のモチベーションを保っていました。
ー留学に行っていたそうですが、どちらに行きましたか。
トルコに行っていました。僕は英語圏よりもイスラム教の国に興味があったので、留学提携しているトルコの大学に行くことにしたのです。
留学中は、観光学に関する授業を受けていましたね。シェアハウスで暮らしたり、1ヶ月の休みの間に旅行に行ったりもしました。
ー旅行ではどのような経験をしたのですか。
旧ユーゴスラビアの7カ国を訪れました。旧ユーゴスラビアはかつて紛争がありましたが、戦争経験者がまだ残っています。クロアチアのドブロブニクという街のバーで、民兵だった人と出会いました。僕が戦争のことに興味を持っていたので話を聞いたところ、「家族全員を殺された気持ちがお前にわかるのか」と言われました。平和な日本で暮らしていた僕は、衝撃を受けたのです。
ドブロブニクの街は世界遺産となっていて、現在は観光地になっています。バカンスを過ごすためのリゾート地になりつつあるのです。僕は、「戦争の記憶が観光によって隠されているのではないか」「紛争の記憶をどのように後世に伝えていくのか」と疑問に思いました。わからないなら勉強しようと思い、大学院に進むことにしたのです。
仮説を立て、とことん研究した大学院時代
ー大学院ではどのような研究をしたのですか。
「広島での原爆体験がいかにして語り継がれ、また同時に消失しているのか」について研究しました。戦争経験をした人はいずれ亡くなるので、戦争の記憶やそれに伴う語りをどのように継承するかという問題があります。
マスコミは戦後長らく原爆体験を継承しようと叫んできました。でも残念ながら空回りしている節も多々あります。まず「語り」が生まれ消えていくメカニズムを解明しなければ、そもそも原爆体験の継承という問題を解決できないのではないかと考えました。
それを紐解くための最前線は観光において「地元のガイドと観光客が会話する」という場面ではないかと思ったのです。この点で、観光客の入込みも多い広島では過去の資料や研究実績がたくさん残っているので、研究しがいがあると思いました。
ー研究していてどのような結論を得ましたか。
仮説が当たった・外れたに関係なく、仮説を立てて研究する面白さを知りました。検証した結果、何も当たらないこともありましたが。「こんなに考えたのに当たらない」ということは、とんでもない予想外に直面できているのだと感動したのを覚えています。これ以来、予想通りに行くことよりも予想外に遭遇することのほうが大事なのだと思うようになりました。