人との縁で文化を創る。本業複業に全力投球!パーソルキャリア人事 星野賢紘の人生観

就職活動の軸は「文化を創れる人になりたい」

ー大学時代について教えてください。

まず大学受験では、高校時代の受験の教訓を活かし、自分の興味関心から逆算して、自ら大学を選び合格することができました。プロ野球中継や、オリンピック、W杯などを観るのが好きだったこともあり、スポーツライターやスポーツ記者を目指せる上智大学の新聞学科に入学しました。

課外活動では野球部に入りました。自分の中で高校野球では完全燃焼できなかった気持ちが残っていたのですが、大学の野球部は本当に野球が好きな人の集まりで、これまで経験したことないくらいの野球に対する熱量が高い組織に感動したのです。

「この人たちとならROOKIES的な青春を過ごせるかもしれない!」と思い、高校時代やりきれなかった心残りもあったので、入部しました。

ーチームでは、主将をされていたと伺いました。

組織が内側から崩れてしまい、十数年振りに四部リーグヘ降格という屈辱を味わった翌シーズンに、監督からの推薦で主将になりました。

最速での三部リーグ復帰を目指し、組織内の「和」を重視してチームの立て直しを図りました。誰からも意見を出せる主体的でボトムアップな文化創りを行い、”やらされ部活”からの脱却を目指しました。その結果、チームの組織状態もよくなり、最速で三部リーグに復帰できました。

ー波乱万丈な大学時代でしたね。その後、就職活動でパーソルキャリアに入社した経緯を教えて下さい。

野球部で主将をしていた経験から、「人」「組織」に興味がありました。就職活動では「文化を創れる人になりたい」ということを掲げていて、パーソルキャリアはそれができそうな会社だと感じて、入社を決めました。

大学受験時に目指していた、記者も志望してマスコミ業界も見ていたのですが、OBOG訪問をした際に、業界の体質やカルチャーが自分とはマッチしないと感じました。

記者になったら「自分の価値観を自由に発信し、世の中をいい方向に変えたい」と思っていましたが、自分が想像しているような環境ではないなと気づいたのです。

パーソルキャリアでは「はたらいて、笑おう。」というビジョンを掲げていて、「はたらく」ことの概念を変えていこう、という文化創りに本気で取り組んでいる点に共感しました。

今の採用の仕事でも、キャリアに対して主体的な自己決定ができる人を増やすにはどうしたらいいか?という議論をたくさんします。会社全体でもミッションドリブン経営を志向しており、入社後の今も、会社の文化創りに対する本気度は感じられます。

「人のつながりの大切さ」を学んだ沖永良部島・浅草での生活

ー現在携わっている複業につながる「食」との出会いがあったと伺いました。どんな出会いでしたか?

社会人3年目のときに友人の紹介で、鹿児島県沖永良部島で農業をしている安田さんと出会い、1週間実家に泊めてもらい農業体験をさせてもらいました。朝起きて農業して、昼を食べて、終わったら飲んで寝て……。

東京の暮らしとはかなり異なるライフスタイルを経験し、いい意味でカルチャーショックを受けました。

またその時に、生産者の方との「つながりを感じる食」っていいなと感じました。安田さんから野菜が届いた時は、美味しくなるように工夫して調理したり、痛む前に食べ切れるように飲み会をキャンセルしたり…。いつもより社会にも自分にも豊かな食体験をできていることを感じました。

「生産者とのつながり」を感じる食っていいものだな、とこの時に強く感じ、「ともしょく」の活動を始めたきっかけになりました。

ー社会人4年目になると、一人暮らしも始めたそうですね。

下町で暮らしてみたいという思いから、浅草で一人暮らしを始めました。浅草では人生の転機となる出会いもありました。

地元でも人の縁を人一倍大事にする店主さんと出会ったことをきっかけに、浅草の地元のコミュニティとも交流させてもらうことになりました。そこで目の当たりにした浅草の人たちのコミュニケーションは、丸の内ビジネスパーソンのそれとは180度違いましたね。

「本物の義理人情はこのことか!」と感じる場面を、日々実感しています。

ー「本物の義理人情」を感じたエピソードはありますか?

1年半前に結婚したのですが、その入籍報告が軽かったことで「浅草の大アニキ」と慕っている人に怒られた話です。その方への入籍報告が遅れ、また、LINEで報告をしてしまいました。

かねてから「○月には結婚します」と直接話していたこともあり、自分の中ではそれをひとつの報告と認識していました。故に入籍日から遅れての連絡や、LINEで直接メッセージすることはそこまで“軽い”という認識はありませんでした。

しかし「お世話になっている人への大事な報告はすぐにすること」「お世話になっている人への大事な報告はできるだけ直接すること」ということを面と向かって叱っていただき、教えていただきました。言葉にすれば当たり前なのですが、お世話になっている人には、自分の中の最大限の誠意と気持ちをもって接することが大事だと痛感しました。

世の中のコミュニケーションはどんどんライトになっていて、挨拶のために直接会うとか、電話することはかなり減っています。「LINEで言う」ということの“軽さ“を感じない生活がしみついていました。

時代の流れもあるのでそれが悪ではないと思うものの、それが果たしてあるべきなのか?と考えると僕は「違うな」と思いました。

また、本件をここまで真っすぐ叱ってくれたことも本当にありがたいと思いました。怒ることはエネルギーを使うし、怒った側もいい気がするものではない。相手のことを本気で想っていないとできないことだと思います。

ー「真摯に向き合ってくれる人」の大切さを感じたのですね。

浅草で「人」とのつながりを大事にするようになってから、より一層お店選びは「人」を軸に選ぶようになりました。何を食べたいか?より誰がそこにいるか?で選ぶイメージです。例えば「お世話になっている人が営んでいる居酒屋に行こう」といったように考えます。

何を食べるかで選ぶのももちろんいいですけど、人のつながりから選ぶ「食」はもっといいな、と感じています。僕はこれを「ヒト消費」と呼んでいます。

この浅草の経験と沖永良部島での安田家との出会いが、複業で「ともしょく」事業を展開するきっかけとなりました。また複業に取り組む中で、更なる人との出会いから「人とつながるのって面白い」という気持ちにより一層拍車がかかりました。