珈琲で世界を笑顔にすることを目指す、山本紘彰が不登校を乗り越え見つけた夢とは?

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第777回目となる今回は、珈琲で世界を笑顔にする人!山本 紘彰(やまもと・ひろあき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

中学時代に不登校を経験し、現在は静岡で珈琲イベントを出店している山本紘彰さん。幼少期から珈琲に出会うまで、そして今後の夢についてお話を聞きました。

とにかく「お話」が大好きな幼少期!

ー簡単に自己紹介をお願いします!

静岡で「Coffee stand No name」を運営している山本紘彰です。

小学校3年生から珈琲を飲み始め、中学生でハンドドリップに出会ってから珈琲歴は長いです!高校1年生から立ち上げている珈琲店「Coffee stand No name」は今年で4年になりました。

ー山本さんの幼少期について教えてください。

お話するのが大好きな子どもでした。特に通っていた幼稚園は、文字などの「勉強」より「お話」を大切にする環境でした。ある子どもが「この野菜が嫌いだから、給食を食べない!」と言い出したら、それをテーマにずっと「お話」することも。ディベートの様な「お話」が日常的に行われていました。

それからお話好きになりすぎて(笑)小学校時代は「口から生まれた」なんて言われることも……。「自分の考えを話す」ということが好きな子どもでした。ただ「勉強」ができずに、先生とはうまく行きませんでした。

実は「ディスグラフィア」という障がいがあり、勉強をうまく進めることができませんでした。高校生の時に発覚したのですが、小学生の頃は「漢字」や「文字が書けない」ということで、先生から「なぜか覚えてくれない。もっと勉強をさせてください」ということで親宛に頻繁に電話がかかっていました。

ー「勉強」以外の過ごし方として、当時夢中になっていたものはありましたか?

本を読むことが大好きでした。小学4年生までに図書室の本を全部読破したほどです。「お話」することは好きだったので、友達とよく読書の感想を共有していました。

中学時代は不登校。母の一言が立ち直るきっかけになった。

ー中学時代はどのような過ごし方をしていましたか?

中学時代の三年間は不登校でした。いじめや大切な友人を馬鹿にされたことがありました。それらの経験がきっかけで、急に学校に行けなくなりました。はじめの2週間は布団から出られずに、天井を見つめていたら1日が過ぎる日々。あっという間に何日も立っていたんです。

ー立ち直るきっかけは何だったのでしょうか。

母から言われた言葉です。ある日いきなり部屋に入ってきて「不登校になっていてもいい。いじめっこがいるから、学校に行かなくてもいい。でも、家にはいないでしょ?」と言われました。その言葉に「確かに!家では怯える必要はないんだ」と思って、ようやく布団からでて家の中では行動できるようになりました。

外に出る事には抵抗があったのですが、二か月ほどたった時に父から「職場にきてみないか?」と誘われました。父は建築士で、その時進めていた現場に連れ出してくれたのです。

現場で出会った大工を含めた様々な人とお話しすることができ、少しずつ「中学校だけが自分の世界じゃない、もっと生き生きしていて良いんだ」と思えるようになっていきました。

立ち直るきっかけをくれた母と父には本当に感謝しています。

ハンドドリップとの出会いが、大きな転機に!

ー家にいるようになって半年後、転機があったと伺いました。具体的に教えてください。

転機はハンドドリップに出会ったことです。これまでインスタントでしか珈琲を飲んだことがありませんでした。初めて飲んだ珈琲は、フルーツの香りがするものだったのですが、インスタントとの違いがかなり衝撃的でした。「自分が知らない世界はまだまだある」ということを実感した瞬間でもあったのです。

また、同時期に初めてイタリアを旅行したことも大きなきっかけになりました。いじめの経験で「自分の人生は終わった」と思っていましたが、一気に自分の世界が広がったのです。帰国後に父と母から「留学に行ってみないか」と提案を受け、マルタに行くことにしました。自分が知らない世界をさらに知ったことで、「いじめを受けた中学時代があったけど、自分の人生はまだまだ終わりじゃない!知らないことがたくさんある」と思えるように。この時には中学校の事を忘れて「自分のやりたい事」をやってみようと思う様になりました。