様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第806回目となる今回は、スピードクライミング日本代表・赤羽 陸(あかばね・りく)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
23歳のときにふと聴いた音楽がきっかけで小学生の頃の「ハリウッドスターになって世界に羽ばたく!」という夢を思い出した赤羽さん。自分のなかにこみ上げてくる思いを抑えきれず、ボルダリングで世界を目指そうと決意して数年で日本代表に上り詰めた経緯をお伺いしてきました。
12年続けた合気道で学んだこと
ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。
スピードクライミング日本代表の赤羽陸です。本日はよろしくお願いいたします!
ーよろしくお願いいたします!まずはスピードクライミングとボルダリングの違いを教えてください。
スピードクライミングは、高さ15mの壁をいかに速く登るかを競うスポーツです。一方で、ボルダリングは高さ4〜5mの壁をいくつ登れるのかを競います。また、スピードクライミングの課題はすべて共通していますが、ボルダリングは大会ごとに違う課題の壁を登ります。
ー早速ですが、ここからは赤羽さんの過去を振り返ってお伺いします。どのような幼少期を過ごされましたか?
体を動かすのが好きで、とにかく、わんぱくな子どもでした(笑)。強くなりたいと思い始めたのが4歳頃。柔道をしたかったのですが近くに道場がなく、合気道の道場を見つけて合気道を始めました。小・中でも部活に入らず、16歳まで合気道を続けました。
ー合気道の魅力と12年も続けた理由を教えてください。
合気道は武道でありながらも、争わない・競わない部分に魅力を感じていました。
小学校に上がると周りの子たちのように野球やサッカーをやってみたいと思うようになりましたが、合気道の先生から「ひとつのことを極めるのも大切だよ」と教わって。小学生ながらに葛藤しましたが、合気道の道を極めていこうと決めました。
ー合気道で大事にされている部分を教えてください。
精神面では、争わない・競わない部分ですね。実際に合気道をするうえで大事なのは、脱力することです。競技としてはまったく違いますが、合気道で学んだことはスポーツクライミングにも生きています。
大会で緊張して体がこわばってしまい、普段のパフォーマンスが出せないときは、リラックスして筋肉をほぐす・脱力することでベストな状態に持っていくことができます。
中学校を卒業してすぐに就職する
ー差し支えなければ、中学を卒業して就職を選んだ理由を教えてください。
実は中学を卒業して高校に1ヵ月ほど通ったのですが、周りとうまくいかなくて。このままでは自分のなりたい姿になれないと感じ、高校を辞めて就職することにしました。両親がやりたいことをしなさいと背中を押してくれたのも、高校を辞める決断をした大きな要因でした。
ーどのような仕事をされたのでしょうか?
高校を辞めてすぐは、知り合いのカフェをお手伝いをしていました。その後、親の影響でバイクに興味を持ち、16歳頃にバイク整備の仕事に就きました。
20歳のときにバイクで事故をしてしまってバイクにはあまり乗らなくなりましたが、バイク整備の仕事は事故のあとも続けていました。
ー23歳のときに大きな転機があったそうですが、詳しく教えてください。
正社員として全力で仕事に取り組んでいた当時、特に不満はなかったのですが、ふと音楽を聴いて。その音楽をきっかけに、小学生の頃の「ハリウッドスターになって世界に羽ばたきたい」という夢を思い出しました。
ハリウッドスターになりたいという夢を思い出したとき、このまま人生が終わるのはもったいないと思ったのです。まだ23歳だからこれからだと。仕事帰りの車の中でどうやって世界に出るかを真剣に考えました。
やりたいことを考えているうちにボルダリングをやりたかったことを思い出して。ボルダリングで世界を目指そうと決めて、家に帰ってすぐに「オリンピック選手になるから!」と家族に宣言しました(笑)。
ーその後、仕事を辞めてボルダリングに挑戦したのでしょうか?
完全に仕事を辞めてしまうと生活できないため、正社員で働いていた会社でアルバイトとして働かせてもらうことに。知り合いから勧められたボルダリングジムでもアルバイトをしていました。
ただ、初めてのボルダリングは想像以上に難しくて(笑)。そこで諦めるのではなく、スタートしたからにはやるしかないと火がつきました。ボルダリングを始めた当初はスピードクライミングを知らなかったため、ボルダリング競技で世界を目指そうとがんばっていました。
ー大人になってからボルダリング選手を目指そうとする人は、ほかにもいるのでしょうか?
大人になってから選手を目指す人は少ないです。幼少期からボルダリングを始めた選手たちは本当に強くて、高校生や大学生で日本代表に選ばれる子もいます。相当な努力をしないと追いつけないなと。
私自身、ボルダリングで世界を目指すなかで、2024年のパリ五輪を目標に掲げてきました。しかし、現実的に考えてボルダリングだと難しいと悩んでいて。そんなときにスピードクライミングを知ったのです。ボルダリングより競技人口が少なく、年齢層の広いスピードクライミングに転向してパリ五輪を目指そうと決意しました。
ー様々な決断をするなかで不安を感じることはありませんでしたか?
正直不安を感じることもあります。特にスポーツクライミングの世界では、スピードクライミングは邪道だと思われる方もいて。それでも、自分はこれをやりたいんだという強い気持ちを持つことで、周りの声に振り回されずに取り組めています。
仕事を辞めてアルバイトになったときも、20代のすべての時間を競技に注いだとしても、そのあとにやりたいことはいくらでもできると不安はあまり感じていませんでした。