今回は、株式会社タレントキャリアで取締役を務める常塚晃汰さんをお招きしました。同社では、スポーツ関連や芸能関連、帰国子女、表彰歴のような一芸に秀でたタレント人財に特化した「就職」「副業」紹介サービス『タレントキャリア』を提供しています。
これまでのキャリアの歩みと経験について伺い、常塚さんの強みや価値観が磨かれた転機を明らかにします。
若手人材やクライアントの成長がやりがいに
–自己紹介をお願いします。
株式会社タレントキャリアの取締役を務めています。創業メンバーとして会社立ち上げに関わり、現在はCA・RA業務、採用業務をはじめとして全体を広くリードする役割を担っています。
当社は20代に特化した転職エージェント事業を行っています。個人のタレント性、一芸が活かせる職場への転職をサポートします。例えば、20代の人材の多くは情報収集力を持ち、発想力を持っています。その能力とマッチする環境を探し、紹介していきます。
この事業を通して、若者の力で日本を作っていこう、採用の力で日本の未来を変えていこうと考えています。
–やりがいを感じる場面はありますか。
人の成長を身近に感じられることは大きなやりがいです。
当社では、あえて挫折や離職を経験している方を採用したいと考えています。そういった方が再び自信をつけて、結果を出し、イキイキしていく様子を見ているとこちらもパワーをもらいます。
クライアント企業の採用課題と向き合い、一緒に取り組む中で解決に向かい、企業としてさらに成長していく過程を見ているときも心が動きます。
–挫折や離職を経験した際、そこから落ち込んでしまう人と成長の糧に変えていく人は何が違うのでしょうか。
挫折したときに立ち止まらないことが大事です。少しずつでもいいので、足や頭を動かす。そうすると、やがて景色が開く瞬間がくるものです。
「イップス」を患っても諦めずに打ち込んだ野球
–幼少期はどんな子どもでしたか。
出身は大阪です。6歳まで愛媛で暮らし、その後は京都で過ごしました。
子どもの頃はさまざまなスポーツに興味を持ちました。サッカー、柔道、水泳など。友人に誘われたことがきっかけで野球チームの見学に行き、直感で「野球をやりたい!」と感じました。初めて自分から何かをやりたい、と主張した場面だったと思います。
–学生時代に打ち込んだものはありますか。
小学3年で本格的に野球を始め、高校3年まで本気で打ち込みました。早朝に家を出て、山道上がって高校に着いたらすぐに朝練。授業が終わったら、21時半までまた練習。その後自主練にも取り組むような生活でした。
–印象に残っている出会いや経験はありますか。
高校で出会った当時の野球部の指導者との出会いは印象に残っています。
自分はエースとして活躍するために、日々練習に打ち込んでいました。その際、指導者の方が「感性を磨きなさい」とアドバイスしてくれたんです。それからは日常生活から周囲に注意を向けるように意識をし、ゴミを見つけたら拾い、周りに配慮した振る舞いもするようにしました。家に帰っても気を配るようにしていると親の小さな変化に気づけるようになり、言葉をかけると親も喜んでくれました。
–部活を続ける中で、失敗や挫折を経験したことはありますか。
イップスになり、ボールを投げられなくなってしまったことがありました。エース投手を目指していた自分としては致命的です…。それでも「このまま俯いていてはだめだ」と思い、自分にできることを必死に考えました。
感性を磨いたこと、イップスという現実を受け止めながらも諦めなかったこと…それぞれの経験から得たものは社会人になった今でも活きていると感じます。
–どのように進路を考えましたか。
もともとは高校卒業後も野球に打ち込むつもりでしたが、イップスを経験したこともあり、野球を続けることは諦めました。恩師からの言葉を受け、自分自身もサポートを受けてきたスポーツトレーナーになろうと思い、進学先を決めました。当時はその選択がベストかどうかはわからないままでしたが、「まずは一歩踏み出さなければ何も変わらない」という決意でした。
1年間勉強したのですが、自分に合わないと感じ、スポーツトレーナーを目指す道から離れました。その後は飲食店でアルバイトをしながら、気の合う友人と過ごす時間が増えました。当時は「好きな人と好きなことのために稼ぎたい」という気持ちでした。
飲食店で働いていて営業職の方と知りあうようになったことがきっかけで、自分も営業職に興味を持ちました。知り合いの先輩から給与やボーナスの話を聞くことがあり、頑張った分の報酬があるということも魅力的でした。
自分とは異なるタイプの先輩と起業。決断の背景とは
–1社目に就職した職場はいかがでしたか。
大手ハウスメーカーに就職しました。厳しい環境で野球に打ち込んできたことを思い出すと、それ以上にしんどいことはないと思っていました。実際に働いてみると、入社当初の職場は部活よりもしんどい環境でした。
「頑張らなくていい。やってくれればいいんだ」
今でも先輩にかけられた言葉を覚えています。「頑張っても成果に繋がっていなくてはいけない」という意味です。その言葉を胸に打ち込んだ結果、成果や結果から逃げない姿勢、やり切る力が鍛えられました。
–転職先の職場ではいかがでしたか。
営業職としての幅を広げるために転職し、初めて法人営業に挑戦しました。結果が出てきて調子が良い時期だったのですが、将来のことを真剣に考え、自分自身の実力と向き合うための決断でした。
いざ大手企業の看板が外れた自分で法人営業に取り組んでみると、はじめは苦戦しました。相手が求めていることを意識し、常にベストな選択を提案し続けた結果、18カ月連続新規受注という会社記録を達成することができました。
–起業の経緯を教えてください。
当社の代表は前職時代の先輩でした。会社の中では2、3回しか話したことはなかったのですが、仕事への向き合い方や熱量が合うと感じていました。
代表が会社を立ち上げる際に声をかけてもらった時、自分で起業することも考えていました。先輩と起業するのがいいか、自分1人で起業するのがいいか考えた結果、前者を選択しました。「自分とは性格や雰囲気が全然違うこの先輩と起業したら、想像以上のところまでいけるんじゃないか」と思ったことが決め手でした。
–現在では、創業約6ヵ月で250〜300人の求職者様から応募が来るほどと伺いました。事業の成長要因はどこにあると感じますか。
「スピード」がポイントだと考えています。時流に合わせるスピード、求職者やクライアントへの対応のスピードなど…それらを追及してきた結果、成果や信頼関係が生まれてきました。
–ご自身の強みが活かされていると感じる場面はありますか。
野球部時代の指導者からの一言で磨かれた「感性」は、社会人生活でも活かされていると感じます。例えば、求職者との面談をしていると、表情や雰囲気からさまざまなことに気づき、柔軟に対応が出来ています。
主役が100人集まった会社を作りたい
–今後の目標、展望をお聞かせください。
社員数100人の会社を作りたいと考えています。ただの100人ではなく、作ろうとしているのは100人の主役が集まった会社です。
社員には「自分が主役だ」と胸を張って言えるような日々を過ごしてほしいという願い、主役として生きているモチベーションの人材が日本を支え、変えていくんだという考え方が土台にあります。
当社の事業を通してより多くの20代の資質を引き出し、企業の活性化や若手人材の成長を実現していくことで、どんな環境でも生きていく力を身につけた20代の人材が日本に増えていくことを願っています。
取材・執筆=山崎 貴大