社会貢献を応援する存在に。フードリボン事務局長・加藤紘章が追いかける夢とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第693回目となる今回はフードリボン(旧:夢食堂)プロジェクトの事務局長・加藤紘章さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

子どもたちに食事を提供する「フードリボンプロジェクト」創業メンバーとして、社会貢献にやりがいを感じてきた加藤さん。フードリボンプロジェクトでの取り組みや現在の活動に至るまでの歩みをお話いただきました。

子どもたちに食事の機会を届けるフードリボンプロジェクト

ー自己紹介をお願いします。

加藤紘章と申します。現在は、フードリボン(旧:夢食堂)プロジェクトの事務局長を仰せつかっています。

高校卒業までは野球に打ち込んでおり、大学時代は海外でのインターンシップや研究活動などを通じてさまざまな文化や価値観に触れていました。2021年2月から創業メンバーとして、夢食堂プロジェクト、現在のフードリボンプロジェクトに携わっています。

ーフードリボンプロジェクトとはどのようなプロジェクトですか。

飲食店に「夢チケット」という仕組みを導入することで、子どもたちがいつでも安心して食事ができる社会を作る取り組みです。

日本には、貧困や虐待問題で普段の食事に困っている子どもたちがたくさんいると言われています。経済的な課題によって、日本で暮らすには必要と思われる生活水準を満たしていない家庭も実は多くて、成長に必要な機会や権利、資源が不足している子も多いと言われています。フードリボンプロジェクトでは、子どもたちが困ったときにはいつでも駆け込める食事の場や居場所を増やしていきたい思いで、さまざまな飲食店の力を借りながら運営しています。

夢チケットを導入している飲食店では、ご厚意のあるお客様から飲食代プラス200円をお支払いいただき、夢チケットが発行されます。子どもたちが飲食店に行き、ホワイトボードに貼られている夢チケットを1枚使うと、1食分と交換できる仕組みです。

ちなみに今は夢チケットを使っていますが、今後は「フードリボン」というリボンに変えていく予定です。

ーフードリボンプロジェクトの活動をしていて、感じていることはありますか。

子どもたちは本当にかわいいです。子どもたちには、大人からありったけの愛情や温かみをたくさん受けて育ってほしいと思っています。僕たちが食事を届けたときに感謝してほしいとか、こうあるべきだとかではなくて、子どもは子どもらしく、ご飯を食べたら元気になってくれればそれでいいと思っています。

いずれ大人になったときに、夢チケットで食事を提供してくれた飲食店や大人たちのことを思い出して、次は自分たちも社会のために何かしようと思うきっかけになったら嬉しいですね。

挑戦した先に見えた、夢との向き合い方

ーでは加藤さんについて振り返りたいと思います。幼少期はどのような性格でしたか。

幼少期は「頑固だった」と言われていました。保育園のとき、僕の妹にちょっかいを出している子がいれば、自分より年上でも体格が大きくても後先考えずに立ち向かっていたそうです。

当時は警察官やヒーローに関心がありました。考えると、頑固さや正義感を持っていたのだと思います。

ー高校までは野球一筋だと伺いましたが、野球から学んだことや感じたことはありましたか。

印象に残っているのは高校野球の思い出です。部員が100人以上いる野球部でしたが、ありがたいことに入学して間もなく上級生に混じって練習させてもらうこともありました。しかし、その後は怪我もあってなかなか思い通りに成長できずに過ごしました。

高校3年生のとき、甲子園に向けての大会にあたって、背番号発表があった日は忘れられない思い出です。ベンチ入りできるメンバーの中に、僕の名前はありませんでした。でもそのときに、「これまで野球をやってきて幸せだったな」と思えたのです。

夜中の12時を越えてもバットを振り続けたこともあったし、早朝の5時からトレーニングをしていたこともありました。自分なりに限界を超えて毎日練習をしていたように思います。それでも結局は成果につながりませんでした。怪我もしたし、後悔ばっかりで、ずっと自分はダメだと思いながら野球をしていたのですが、その最後の背番号発表の時にはじめて、自分なりに全力は尽くしてきたのかなって、自分を認めることができました。

結果を出すことはすごく大事だと思っています。ただこの時の経験からは、本当に一生懸命頑張った先には、結果を超えたところで見えてくる景色があるんだっていうことを学ぶことができました。今でもここで学んだことは、自分にとって大きな原動力の一つになっています。

ーその後大学では海外インターンに行ったと伺いました。どのようなことに挑戦されましたか

大学2年生の夏に、インドで約1週間インターンシップ研修を受けました。参加した理由は、高校野球をしていた頃のように夢や目標を追いかけたいと思ったからです。

行ってみると衝撃の数々。特にインドの学生の意識の高さに驚きました。研修ではミッションを与えられました。ミッションの内容は「現地の学生の将来に対する考え方、キャリアに対する価値観を調べる」でした。僕たちはインドの学生たちに街頭インタビューを行い、「大学で学んでいる理由」「将来何がしたいか」を質問しました。

するとインドの学生たちは、目を輝かせて話してくれるのです。「家庭が貧しく、周りが苦労する中で育ててもらった。起業してお金を稼げるようになり、家族やお世話になった村の人たちを豊かにしたい」「女性差別がある世の中だが、私がビジネスを学ぶことで女性としてのキャリアを確立できる存在になりたい」など。

「これほど意識が高く、目を輝かせながら夢を語るインドの学生たちが大人になったとき、この国の10年後や20年後はどうなっていくのだろう」と感じました。

夢を一生懸命追いかけていると、周りから斜に構えて見られるのが怖かったこともあります。しかしインドの学生を見て、本当にやりたいことは突き進んでいいと勇気をもらえました。

ー他にも夢に関するイベントに参加して大きな気づきがあったそうですね。どのような経験でしたか。

「ドリームプラン・プレゼンテーション」という、20人が登壇し、登壇者が社会に有意義で希望にあふれた夢をプレゼンするイベントがありました。

イベントで教わったことがあります。「夢を叶える最も難しい方法は、自分1人で夢を叶えることだ」「夢を叶える最も簡単な方法は、そこにいる全員の夢を同時に叶えることだ」というものだったのですが、それまでそんなふうに考えたことははありませんでした。

そこに関わっている人たちは、すでに社会で実績を残している方々ばかりでしたが、そのイベントの登壇者の夢をみんなが真剣に応援していました。その後自分の人生においても、他の人の夢を全力で応援することが、社会・世界を変える大きな力になるんだと実感することができています。