「準備よりもまず飛び込んでみる」熊野古道マーケター・大﨑庸平さんの成長サイクル

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第950回目となる今回は、和歌山県熊野古道のマーケター・大﨑 庸平(おおさき・ようへい)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

小さいころからマイペースで、いわゆる“普通”のことが苦手だったという大﨑さん。英語が話せない状態での1年間の海外インターンシップや、優秀な人材に囲まれたテーマパークマーケティングでの経験から学んだ、環境へこだわることの大切さを語っていただきました。

日本を代表するマーケター・森岡毅との出会い

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

現在28歳で、和歌山県の熊野古道で宿泊施設のマーケティング・PRの仕事をしています。これまでは海外でインターンシップをしてきたり、テーマパークのマーケティングに携わってきたりしました。

ー多彩なキャリアをお持ちということで、大﨑さんの幼少期から振り返ってお話を伺えればと思います。大﨑さんは小さいころはどのようなお子さんだったのでしょうか?

友達と遊びを考えるのが好きな活発な子どもでした。ADHDの特性を持っているため、授業をじっと黙って受けるといったいわゆる“普通”のことが苦手でしたね。

優等生タイプではなく人と異なっていることを大切にする価値観を持っていました。

ーなるほど。そこから高校・大学と進学してどのように成長していきましたか?

高校は大学の雰囲気に近いような、かなり自由な高校だったんですね。たとえば、髪を染めてもOKだったり、高校2年生からは授業が3限から始まったり。すごくマイペースに過ごせる環境でADHDの自分に合った高校生活を送れました。

大学は慶応義塾大学の商学部に進学しました。高校以上に自由で、いい意味でも悪い意味でもすべて自分次第なのが大学生活ですよね。

勉強以外にサークルやアルバイトなど楽しいことをたくさん見つけて授業に出なくなり、1年生の前期は3単位しかとれず……(笑)。結果、入学早々に1年留年することが決まりました。

ー勉強以外の楽しみを見つけることも大切ですよね(笑)。留年したことは大﨑さんのキャリアに何か影響を与えましたか?

元々の同期が1年先輩になったことで、彼らの就活をよく観察できたのがよかったところです。インターンシップにも積極的に参加しました。

ー留年をプラスに取った就活ができたのですね。印象的なインターンシップはありましたか?

ユニバーサルスタジオジャパンのインターンシップです。

ユニバーサルスタジオジャパンなどのテーマパークをV字回復させたことで有名なマーケター・森岡毅さんの講演会を聞く機会があったのですが、日本を代表するマーケターになるには「リーダーシップ」「論理的思考」「数字」の3つの軸が大切だとおっしゃっていて。

この3つの軸を伸ばせる要素は自分にもあるかもしれないと思い、マーケターを目指すきっかけとなりました。

“待たない姿勢で挑戦”難しい環境に飛び込めば自分に足りないものが見えてくる

ー森岡さんのマーケティングのお話が大﨑さんの心に刺さったんですね。海外インターンシップも経験されたと伺いました。

外資系コンサル会社に内定が決まって就職活動が終わった後に、英語とマーケティングを学ぶためにシンガポールで1年間インターンシップをしました。英語はまったく話せなかったので、今考えると結構無謀な挑戦だったのですが……(笑)。

ーシンガポールでのインターンシップで大変だったことはありましたか?

本当に大変なことばかりでした(笑)。まず語学の壁で泣いていましたね。会議や営業は当然すべて英語ですが私はまったく話せない。毎日必死に単語や文章を準備していました。

お金の問題もあって、フルタイムで働いてもインターンシップは月給8万円だったんです。当時のルームシェアの家賃は月5万5000円だったので、金銭的に余裕がない暮らしを送っていました。

日本に帰りたいと何度も思うほど大変だったのですが、現地の友人には恵まれていたと感じます。みんなとにかく「いい奴」で、語学の面でも生活面でもたくさん助けてもらいました。難しい環境に飛び込みさえすれば、なんとか乗り越えようと模索するようになるのだと気づいた経験でしたね。

ー大変なことも多い中、海外で長期インターンシップをやってみようと考えた理由はあるのですか?

自分は迫られないと行動しないタイプだと感じたことが理由です。シンガポールで生活するなら英語を話さないとやっていけないじゃないですか。日本でTOEICのために勉強するのとは緊急度が違います。

マーケティングも同じで、レベルの高いことをいきなり要求される環境だったので「ヤバい!」と必死になって調べる。大変だからこそ行動して力がついてくるのだと思います。

「一生マーケティングをしたい」つらい状況でもフラットに学ぶ姿勢が大切

ー厳しい環境の中で前向きに行動できる姿勢が素敵です。インターンシップを終えて、外資系コンサル会社に入社してみてどのようなお気持ちでしたか?

驚くほど優秀な同期ばかりで、率直に楽しかったですね。経営と会計とマーケティングの基礎を学ばせてもらいました。

一方で、シンガポールでのインターンシップを経て自分はサービスをつくることがやはり好きということを再認識していたので、時間が経つにつれてこのままコンサルティングを続けていていいのだろうかと悩みましたね。結果、マーケターへ転職しました。

ー転職後はマーケターとしてどのようなお仕事をされていましたか?

マーケティングの中でも花形と呼ばれるテーマパークマーケティングを担当させてもらいました。

自分が打った施策でお客さんが来園して、喜んでくれることが本当にうれしくて……。学びの連続で、一生テーマパークマーケティングの仕事をしたいと思えるほど楽しい毎日でした。

PRやデジタル施策などの専門スキルを持った個人が集まって、チームとして同じ目標に向かって進む働き方も自分に合っていたと感じます。

ーお仕事内容も働き方も充実されていたのですね。一方でコロナ禍のテーマパークといえば休園を余儀なくされるなど苦労も多かったのではないでしょうか。

自分たちの仕事は集客することですが、派手に集客はできないジレンマがありましたね。緊急事態宣言でパークが休園となって、膨大な人数の返金対応に追われたこともありました。

つらいときに支えとなってくれたのは、やはり一緒に働くチームメンバーの存在です。みんなモチベーションが高くて、どのような立場・状況でもフラットに学ぶ姿勢の大切さを教えてもらいました。

新しい施策を打ってみたいけど必要なスキルを持つ人がいないとき、当然自分が調べてやらないと進まないじゃないですか。情熱と学ぶ姿勢さえあれば、つらい状況でもできることはたくさんある。成長できる環境に身を置くことの重要性をあらためて実感しました。