様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第946回目となる今回は、宮田 美卯(ミヤタ ミウ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
料亭の孫として生まれ、現在は慶應義塾大学大学院で花街料亭の研究を行っている宮田さん。学生時代のエピソードや料亭への思い、今後の目標などについてお話していただきました。
海外留学の機会から、日本文化の魅力を知る
ー簡単に自己紹介をお願いいたします。
宮田 美卯と申します。実家が料亭を営んでいて、私自身も料亭の手伝いをしながら、慶應義塾大学大学院で料亭文化や女将さんの役割を研究しています。
将来自分が実家の料亭の女将さんになる可能性もあることも考えて、この分野の研究に興味を持ちました。女将さんの研究は、旅館の方の研究は複数あるのですが、料亭の方の研究はほとんどないんですよね。
旅館と料亭は似ているようで実は違っていて、芸者さんが料亭には入れたり、旅館には泊まれたりと、やや異なっています。
こうした違いから、旅館と料亭では女将の毛色も違っているのではと考え、どんな違いがあるのだろうと研究している段階です。現在、フィールドワークで両者の違いをみています。
ー幼いころから料亭で働きたかったのでしょうか?
物心ついたころには母が働いていたのもあり、料亭は私にとって身近な存在でしたね。
料亭できれいな着物を着て、真っ赤なリップを付けてきびきび働く母の姿が、今も昔も憧れです。今思うと、幼いころは外見への憧れが大きかったんですね(笑)。今、私も同じように着物を着て、赤いリップを付けて働けてすごく幸せです。
ただ、料亭ならではのおもてなしは、まだ母や現在女将をしている叔母のようにはできないなと感じています。早く私も、お客様のことをひたすら考えて、先回りしておもてなしできるようになりたいですね。
ー子どもの頃のエピソードを教えてください。
小学5年生のころから中学生、高校生になるまで、毎年海外留学へ行かせてもらっていました。異文化に触れることで、日本文化の大切さを感じましたね。私は海外でどんな文化を伝えられるかを考えたところ、6歳のころに叔母から習っていた茶道や博多芸者から習った日本舞踊、剣道などが思いつきました。
茶道と料亭のおもてなしは似ていると考えていますね。茶道はひとつテーマを決めて、掛け軸などの室内のしつらえを整えていきます。同じく料亭も、お客様や用途に合わせて室内のしつらえを変えていくので、日本文化の中でも通ずるものはあると思っています。
ー海外経験が豊富ですね!
自分にとって転機になった留学は、2011年に訪れたアイルランドです。英語が話せるようになったタイミングで、嬉しさのあまりいろいろな人に話しかけていました。
当時はちょうど東日本大震災が起きた年で、津波や地震について外国人に質問されることが多くて。でも私は何も話せなかったんです。英語が話せても、日本について話せるトピックがなかったら意味がないことに気付き、ショックを受けました。
ただ英語を話すためではなく、英語で日本のことを伝えるのが大切なんだと、自分にとっての留学の意義を再認識しました。貴重な経験をさせてもらえて、親には感謝しています。
私は何者なんだろう?劣等感にさいなまれた大学時代
ー大学生活はどうでしたか。
念願の慶応義塾大学SFCに入りました。大学では、自己紹介時に「自分は○○をしている」と語る人が多かったですね。私も「日本伝統文化の継承がしたい」と入学したものの、実際は何もできていなくて、引け目に感じることが多かったです。
そんな中でも4年間没頭できたのは、Student Build Campus(SBC)という大学作りのプログラムです。教職員、学生、卒業生とともに大学を作っていくプログラムで、当時は滞在型教育を進めていました。
私はこのプログラムよりもむしろ、学生が主体的に大学を作るにはどうすればいいかの方に興味があり、イベント運営に力を入れていました。地域のお祭りに複数の研究室を呼んで、子どもや地域と関わるプロジェクトの企画と運営を1人で担ったこともあります。SBCは当初人が多かったものの、どんどん辞めていって、最終的に同期2人になった時期もありました(笑)。
ー1人で運営されるなんて、活動的ですね。起業に興味はなかったのでしょうか?
当時は特に考えていなかったのですが、周りには起業希望者がたくさんいました。履修していた社会起業論の授業でも、周囲は「〇〇で起業する!」と言う人が多かったですね。
一方で、自分にはできることが何もないと感じて、劣等感と焦燥感にさいなまれていました。自分は何者でもないとひしひしと感じて、「自分には何ができるんだろう?」「自分の何がすごいんだろう?」と悩んでいましたね。
この頃はまだ特に料亭の手伝いはしていなかったです。ただ、所属ゼミの中のプロジェクトで、特定の一族が経営を担う「ファミリービジネス」のプログラムに参加してはいました。
私の実家の料亭も家族経営だったので、自分ごとと捉えて参加できましたね。その後、このプログラムを束ねる立場にもなりました。
ーなぜ大学院進学を決めたのでしょうか?
大学卒業後は航空関係を目指していたのですが、コロナ禍で採用がクローズになってしまったんです。ちょうどこの頃、家族や料亭が身近な立場になったため、花街や料亭の研究をしようと決めました。
コロナ禍で、5人家族が再集結したような感覚になったんですよね。子どもの頃のように家族全員でテレビ番組を観るのも楽しかったですし、ゲームで大騒ぎして、親に怒られる時間までもが幸せでした。
この生活で家族の大切さを実感して、「家族は自分にとって大切だな。家族の力になれるのなら、料亭で働くのもいいな」と考えたんです。今考えても、家族のために動くのは幸せだと思いますし、この道を選んでよかったですね。
ー現在、大学院ではどんなことを研究されているのでしょうか。
来年3月に卒業なので、これからは論文を書いていく段階です。
他には、料亭の事業に関するビジネスコンテストへの出場にも力を入れていますね。これまでは3つのコンテストに出場し、料亭で行う人材教育プログラムを企画しています。
やっと形になってきていて、最近は株式会社MIXI取締役の村瀬龍馬様より審査員賞を受賞する機会もいただけました。
料亭で行う人材教育プログラムは、大人の遊び場というイメージの大きい料亭を、もっと子どもや女性、外国人にも門戸を開きたいと考えたものです。
料亭では、しつらえや季節を大切にする日本人らしさを大切にしていて、私は「生きた和の美術館」と考えています。この料亭の良さを生かしたアートの教育パッケージを作ってみたいんです。
大学の頃からイベント運営が好きなので、まずは料亭でのアートイベントをなにかやってみて、実績を作っていきたいです。