若いからこそ挑戦できる!木下裕介が挑むゴルフ業界の革新とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第655回目となる今回のゲストは、木下裕介(きのしたゆうすけ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

セブンハンドレッドクラブをはじめとしたグループ3社のCOOとしてゴルフ業界に携わる木下さん。これまで行ってきた仕事の取り組み、そして木下さんが辿り着いた「社会貢献の形」についてご自身の経験も踏まえ語っていただきました。

ゴルフをはじめとする複数のビジネス展開

ーまずは自己紹介をお願いします。

はい。栃木県のさくら市にあるゴルフ場のセブンハンドレッドクラブ と日本三大美肌の湯の喜連川温泉を堪能できるお丸山ホテル、そして創業52年で業界最大手としてゴルフ会員権の売買をおこなう住地ゴルフの3社のCOOを務めています。

ー3社も携わっていると大変な部分もありそうですね。

そうですね。ゴルフ場と、ホテルは栃木県で場所が決まっており、その中でお客様に良い体験を提供するサービス業ですが、ゴルフの会員権の売買はオンラインも掛け合わせてお客様の会員権売買をサポートするサービス業です。

IT業界で生きてきた僕にとってはリアルビジネスは右も左も分からなかったですし、リアルで行うビジネスと、オンラインで展開するビジネス。ビジネス形態の違いによる難しさはあると思います。

ーゴルフは現地へ行く必要がありますが、コロナの影響はありましたか?

ゴルフ場とホテルはこの2年、来場者数が減少しましたが、他のスポーツと比べるとゴルフは、少人数で大自然の中で楽しむことができ、密にならないスポーツなので影響は少ないです。

ー木下さんご自身はゴルフはどのくらい行きますか?

平日の仕事終わりに近所の打ちっぱなしに行きます。前職時にコロナが流行し、フルリモートワークになりました。仕事が終わった後にゴルフに行く生活が定常化し、週末には友人とゴルフコースに足を運ぶようになり、ゴルフがライフスタイルの一部となり、今の仕事をするきっかけになりました。

ー学生時代はサッカーをされていたのですね。

そうですね。小学生の時に少年野球をしていたんですけど、肩を壊して野球ができなくなってしまって。

どの部活にするか悩んでいたとき、たまたまクラスで後ろの席だった友達が「サッカー楽しいからやってみなよ!」と誘ってくれたんです。やってみると結構おもしろくて、いつの間にかサッカーに夢中になっていました。

チームは都大会、全国大会出場を目標に掲げていました。練習は週3回でしたが、ほかの空いている日も走りこんでサッカーに打ち込む日々でした。

体育会系で走り込みや追い込み練習は辛く、一人では決して継続することができなかったと思いますが、みんなが同じ目標に対して同じ方向を向いて切磋琢磨してきたことは楽しかったですし、充実した日々でしたね。

人生の糧となる言葉に出会う

ー授業中、先生に言われたことで印象に残っている言葉があったそうですね。

「せっかく日本人として生まれたのだから、日本のためになるように生きなさい」

この一言だけ鮮明に覚えていますね。

自分が何のために生きているのか、考えているときにこの言葉がすごく思い浮かびます。自分の人生の中で大きなウエイトを占めていますね。

「自分は何のために生きているのか」「君たちは何のために生きているのか」、これらを漢文の教材や先生自身の経験を通して語ってくださいました。授業だけでなく、人としての生き方を教えてくれたことは大きかったです。

今を生きることに必死で、今まで深く考えたことはなかったですが、先生の言葉で未来に向かう視点が変わったと思います。

―大学では理系の専攻でしたが、大学院には進学せず就職されていますよね。当時の心境や考えていたことを教えてください。

当時の僕の学部の9割は大学院進学でしたが、このまま大学院に進んでも友達とモラトリウムを謳歌し、2年が過ぎ去ってしまうのではないかという不安があったのです。

それなら皆よりも2年早く社会に出て、いろいろ経験したほうが社会のため、強いては日本のためにもなると感じ就職を選びました。

周りの友人は国内や海外など様々な場所へ旅行に行ったり、遊びに行ったりしていたので羨ましいなと思いつつも、文系の友達や理系のなかで就職を選んだ人と情報交換をして、できるだけ一人で考え込まないようにしました。あまり孤独感は感じなかったですね。

ーその頃は働きたい場所や、やりたい仕事はあったのでしょうか。

就職活動をはじめたときは、どんな職業があるのか全く分からず、かたっぱしから企業のHPを見てエントリーシートを書き、面接を受けていました。そこで政策立案を通して国のために仕事をする官僚として働くことは良いのではないかと考えました。

官僚の試験を突破し、面接を受けようと思っていたのですが、面接直前のOB訪問で官僚は若いうちから新しいことに積極的に挑戦することが難しいという話しを聞き、受けることを辞めました。

大学在学中に訪れた発展途上国でもスマホの普及率が高かったことなどを思い出し、インターネットだと国内外含めて色々な人にサービスや価値を提供できますし、若いかたも多く活躍していたので、IT業界で就活をすることにしました。

裁量の大きい環境が良いと考えていたので、ITベンチャーに行こうと決めたのですが、半年ほど前は官僚になると言っていたこともあり、親からは猛反対を受けていましたね。そのなかで大手のリクルートから内定をいただき折り合いがつきました。

入社前はプランナーとしてサービスを創る仕事に関わりたいと思っていましたが、そもそもWEBサービスがどのように創られており、どのように動いているのかをほとんど知りませんでした。

そのため、まずは自分自身でサービスを創ってみないことには何も始まらないなと思いましたね。そこで上司に相談して、配属先をプランナーからエンジニアに変えてもらいました。

優秀なエンジニアの方々に囲まれ、とても刺激のある環境でエンジニアとしてコードを書く日々を過ごしました。しかし、仕事として作業を黙々とこなすだけで、コードを書いたり、技術についてインプットをする時間は、とても楽しいと感じることができませんでした。

コーディングは得意ではあったので、エンジニアとしてキャリアを積むこともできたと思いますが、この経験を活かしてエンジニアの皆さんと共にサービスを創る仕事をする方が楽しく働いていけると思い、マーケティングの部署へ異動しました。

大学時代インターンでWEBマーケティングを2年ほど経験しており、多くの人たちに良いサービスを届けるためにも、マーケターになろうと決めました。

ーリクルートは3年ほど勤めたんですね。

リクルートでは住宅領域の新規事業開発を担当していましたが、生まれてからずっと実家に住んでいて、一度も賃貸物件に住んだことがなかったんです。

サービスに対して圧倒的な当事者意識が持てておらず、自分が業界を変えていくことにモチベーションが低いことがわかりました。

自分も同じように課題に共感し、自分が使いたいと思えるサービスであったほうが気持ちも入りますし、モチベーションも上がるタイプの人間なんだなと感じましたね。

働くなかで、課題に対する共感がなくても、どのように課題を解決するかなどの手段に興味を持ち、モチベーションを保って仕事をする人もいましたが、僕はそのタイプではないのだなと感じました。そこで思いを持って働ける環境に転職をしようと決意しました。