様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第952回目となる今回は、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部3年の大武優斗さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
コロナで中止となった甲子園大会を再び開催したい、という思いから始まった「あの夏を取り戻せプロジェクト」の代表として奮闘中の大武さん。野球を始めたきっかけや、プロジェクト始動の経緯などをお伺いしました。
3年前の夏がきっかけで始まったプロジェクト
ーまずは簡単な自己紹介をお願いします。
武蔵野大学アントレプレナーシップ学部3年の大武優斗です。現在、あの夏を取り戻せプロジェクトという元球児が集まって、甲子園で野球をする全国大会の企画運営を行っています。
ーあの夏を取り戻せプロジェクトについてもう少し詳しく教えてください。
3年前、コロナの影響で戦後初めて甲子園大会が中止となりました。あの夏を取り戻せプロジェクトは自分を始めとする当時高校3年生で、甲子園に出場予定だった全国の元高校球児が、3年越しに甲子園に集まり、野球をするという非営利プロジェクトです。
2022年6月に始動したプロジェクトで、各県の独自大会*で勝ち残った46校の当時のチームメンバーを収集。今年の3月に無事、11月の甲子園使用権利を抽選で獲得し、11月29日に大会開催が決定しました。
*独自大会:甲子園中止決定後に各都道府県で行われた大会のこと。
ー甲子園の使用権利は抽選なんですね。
甲子園は基本的にはプロ野球の試合が行われており、オフシーズンはメンテナンスなどの作業もあり、一般の利用は11月の1ヶ月のみとなっています。そのため使用希望者が多く、非常に倍率が高くなっています。
コロナ禍で一般利用も長らく中止となっていましたが、今年から再開が決定しました。今回のプロジェクトはどうしても甲子園でやる必要があったため、抽選の日はドキドキでしたが、無事使用できることが決まり、ホッとしています。
高校球児だった父の「甲子園出場」の夢を受け継ぐ
ー現在に至るまでのお話を聞かせていただければと思います。幼少期の記憶に残っている出来事などはありますか。
幼少期で記憶に残っていることはお父さんからよく「甲子園に行くために頑張れ」と言われていたことです。高校時代に甲子園を目指していたものの叶わなかった父の影響を受け、物心つく前から野球を始めていました。
小学校の時は野球チームに所属し、人生で初めての大会優勝を経験して嬉しかったのも記憶に残っています。
ーその後、中学でも野球を続けられたようですが、その中で印象的だったことなどはありますか。
中学最後の大会で、東東京大会で優勝。関東大会でも上位成績を収めることができ、全国大会に出場したものの、ベスト16で敗退したことです。
全国大会優勝を目指して練習を続けていたので負けたことがショックだったのもありますが、全国大会で自分より野球ができる人がたくさんいるというのを知った衝撃もありました。
もっと上手くなりたい、もっと活躍できる選手になりたいと強く思ったと共に、全国大会で優秀な選手をたくさん見たことで、プロ野球選手になるのは厳しいというのを実感したのも事実です。
一方で、チームでなら勝てる可能性があるということも感じたことから、甲子園出場がそこから夢になりました。高校の進学先も野球を基準に選びましたね。
ーが、甲子園出場の夢がコロナで消え去ってしまったんですね。
甲子園のためだけに野球を続けていたのに、目標としていた甲子園の中止が決まった時は、頑張ってきたことを否定された気持ちになりました。共感してもらうのは難しいかと思いますが、誰のせいにもできないのが辛く、やり残した感を大学入学まで引きずりましたね。