何度挫けても自分を信じる。スタートアップ伝道師・稲荷田和也が大切にしていること

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第923回目となる今回は、株式会社あるやうむ CCO・稲荷田 和也(いなりだ・かずや)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

スタートアップを中心に事業開発や広報PR支援、営業、組織開発など幅広い活動を行う稲荷田和也さん。起業を目指すも体調を崩し、一度は挫折した経験があるとのこと。そんな稲荷田さんが挫折を乗り越え、現在に至るまでのお話をお伺いしました。

スタートアップ伝道師として課題を解決する

ーまずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

スタートアップ伝道師を名乗り、事業開発や広報PR支援、営業、組織開発など幅広い業務をやっている稲荷田です。Twitterでは「おいなりさん」として活動中です。

ふるさとNFTを掛け合わせた札幌発の地方創生NFTスタートアップ「株式会社あるやうむ」で「CCO(チームコミュニケーションオフィサー)」として働いています。

他にもスタートアップのエバンジェリストとして、広報PR支援や事業開発、マーケティング戦略をやっています。また、自身でもコーチング事業をやっており、最近ではインサイドセールスの方からの相談が増えている状況です。

ーCCOの具体的なお仕事について教えてください。

CCOはコミュニケーションの責任者として何でもやっています。社外向けではアライアンスや投資家へのピッチ、イベントへの登壇を行っていました。

社内向けには組織人事として、オンボーディングの設計や実証をしたり、ビジネスサイドのメンバー全員と1on1をして現場の課題を抽出しながら、経営にフィードバックして一緒に解決したりしています。

ー現在に至るまでのお話も聞かせてください。小学校や中学校時代はどのような子供でしたか。

優等生タイプだったと思います。勉強が好きで成績もよかったですし、学級委員もやっていました。クラスのみんなと分け隔てなく仲良くし、いいクラスでありたいなと思って気配りするタイプでした。

ー高校時代はどのように過ごしていたのでしょうか。

高校は背伸びをして入学してしまったので、成績は落ちこぼれでした。早いうちから危機感を持ったので、高校2年生の夏前から予備校に行きました。

予備校で先生と出会って夢の深掘りをしていただき将来やりたいことが見え、教育をはじめとする対人支援領域に興味を持ちました。

人生の岐路に立ちあって可能性を最大化させたり、選択肢を増やしたりするのに興味を持つようになったんです。自分に軸を持ち、誇りをもって生きる人を増やしたい思いは今にも繋がっていますね。

圧倒的成果を出しつつも、体調を崩してしまった1社目

ー大学を卒業し、社会人になってからのお話を伺えますでしょうか。

1社目ではクラウド名刺管理サービスを扱う「Sansan」に入社し、インサイドセールスとフィールドセールスをやっていました。新卒1年目は苦しい時期でしたね。

入社して2ヶ月で大学時代からお付き合いしていた方と結婚し第一子を授かりましたが、第一子が生まれて2ヶ月のときにコロナウイルスの第一波がやってきたんです。

子育てをしながら仕事をせざるを得ない環境で、慣れないテレワークで仕事が思うようにできず、理想と現実とのギャップに苦しんでいました。

一方で、「若くして仕事と子育てを両立できる人がいたらかっこいいな」とも思っていました。子供や家庭を言い訳に仕事しない人間になりたくない思いを持ちながら頑張っていましたね。

ー苦しい日々を過ごしながらも、24歳のときに成果が出たと伺いました。

省庁や自治体の新規開拓などの新規領域の開拓で成果を出せました。インサイドセールスはマーケティング部が獲得してきたリードにアプローチしていくのが王道の手法です。

しかし、官公庁領域の見込み顧客情報は極端に少なかったので、「どうやったら開拓できるのか」「そもそも官公庁に名刺管理サービスは必要なのだろうか」と考えながら取り組みました。

毎日のように新聞の地方紙面を読んで各自治体の動向を探って、Sansanが入り込める余地を探したり、官公庁の働き方について調べてみたりしました。

ニーズがありそうな部署に電話したり自治体の東京事務所に飛び込み営業をしたりと、戦略構築するだけではなく実行まで責任持ってやった結果が成功体験になったと思います。

人と違うことをするのが好きだったんです。インサイドセールスで枠に当てはめて数字を出すことよりも、自分の色を出しながら成果を出すことに興味がありました。誰も正解がわからない新しい領域でチャレンジできていたので、いきいきと働けていました。

自分がアサインされたからには、成果を出して「この領域いけるね」「可能性あるね」って上司や会社に思わせたかったんです。自分が納得して営業できていたので、大変でしたが頑張れました。ただ頑張りすぎてしまい、キャパオーバーになってしまいました。

ーキャパオーバーになってしまったときはどのような状況だったのでしょうか。

圧倒的成果を出すためにストイックに働いていましたし、組織の期待も背負い始めていました。同時期に社内の有志プロジェクトを立ち上げてリーダーをやったり、業務委託で別の会社の営業戦略の立案をしていたので、キャパオーバーになってしまったんです。

キャパオーバーになったタイミングでインサイドセールスの方針もガラッと変わりました。今までプロセスや質を重視しながら開拓していましたが、全体の方針として数字を追い求めるようになったんです。

受注に繋がる良質なリードがないのに毎日何通も架電しなければならない環境や、今までとのギャップに苦しさを感じ、休職手前になりました。

ー休職手前からどのように回復されたのでしょうか。

たまたま「フィールドセールスにいかないか?」とお声がけがありました。元々フィールドセールスに行きたいと声には出していたので、タイミングよく異動できたんです。環境を変えたことで気持ちを入れ替えて復活し、なんとか乗り越えられました。

キャパオーバーしてエネルギーが枯渇してしんどくなってしまったので、頑張れるだけ頑張る生き方は持続可能じゃないと学びましたね。