応援者を増やすことが、自分のやりたいことを続けるための近道。アオイエ代表、巴山雄太

カーニバルを興したい

ー大学にも進学されて、その後は就職されたのですよね?

はい。昔の僕のようにトラウマや閉塞感がある人、自信のない人が内面的に変わっていく瞬間って、ボトムアップで自分から行動を起こしていくときなんじゃないかなと思っています。

僕は何かを見て変わったのではなく、自分で行動を起こし、自信のない自分に打ち勝った体験が自信になっています。

そのため、自分で行動を起こす疑似体験ができるようなコンテンツを作ることで、昔の自分みたいな人を救えるんじゃないかなと思い、それを「カーニバル」と呼んでいました。

大学生時代は、「カーニバルを興すんだ」と思いながら、様々な活動や進路決定をしました。

世の中のコンテンツには、フェスティバルとカーニバルの2種類があると思っています。フェスティバルは、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』とか『SUMMER SONIC』とか。発信者と受け手がいるトップダウンのものかなと思っています。

カーニバルは、全員が発信者になれる場所みたいなイメージです。

例えば『SHOWROOM』とか『ニコニコ超会議』とか。全員が発信者になれる場所を、できるだけ熱量のあるオフライン形式にできたら、もしかしたら昔の自分も、自発的に発信する機会が生まれて、変われたんじゃないかなと思って。

理想のカーニバルを追求して、イベント作りをしていたのですが、僕の22年間の経験から作れるコンテンツに限界を感じたので、一度就職をすることにしました。

インプットとアウトプットは個人でできる時代なので、社内にできるだけ多くの知見がたまっていて、新規営業からディレクションまでが全てできるクリエイティブな会社に行こうと探していました。

そんなときに、企業のブランディングを手がける『トゥモローゲート株式会社』に出会いました。

ー実際に会社に入ってみていかがでしたか?

新卒で入って、経営者に新規の提案営業を行う部署に配属され、テレコールを行っていました。

入社して半年がたったある日、「巴山」と語感の似ている「トゥモローゲート株式会社です」が言えなくなってしまい、社交不安障害と診断され、休職することになりました。

たくさんの知見がたまっている会社で、企業のブランディングに伴走するなかで、学びになることが多かったのですが、営業としてはなかなか理想の成果を出せませんでした。

サッカークラブは故郷を運んでくれる存在

ー24歳のタイミングで、大きなターニングポイントがあったそうですね?

大阪で休職しているころに、ガンバ大阪対FC東京の試合を見に行きました。僕は昔から、地元のFC東京を応援していましたが、故郷から離れた場所で、初めてFC東京の応援をする機会がありました。

平日の夜の試合を、東京にルーツのあるサラリーマンたちが、仕事終わりのスーツで応援して、FC東京の応援ソングを歌っている。その光景を見たときに、「これだ」と思いました。

故郷は変わらずに、そのままの場所に在り続けると思っています。ただ、生まれ育った環境から離れた人たちにとってのサッカークラブは「故郷を運んでくれる存在」だったんです。

僕が作ろうとしていたオフラインのイベントは、すでに自信のある人が参加する、表現できる人しか集まらないものになってしまっているんじゃないかと考えました。表現したいと思える人を増やせる可能性のある、サッカークラブをやろうと決断しました。

1年ほど働いたトゥモローゲートを退社して、東京に帰ってきました。

日本って中高で文系と理系を分けるので、専門領域から方向転換がしにくい部分があると思っていて。日本人は24歳で、夢を諦めていってしまうというデータがあるらしいです。

夢を諦めてしまう要因は、4つあるんじゃないかなと考えています。

例えばBARを開きたいと思ったときに、仲間が足りない・場所が足りない・知見が足りない・お金が足りない。この4つの外的要因が満たされていたら、皆んなが夢を諦めずに、自分らしく生きられる社会になるんじゃないかなと思っています。

これらの外的要因を支援する、ハブを作りたい思いがあったなかで、自治体・選手・スタッフ・地域企業・地域住民、いろいろな方々が関わり、彼らをつなげる役割をしているのがサッカークラブだなと確信しています。

そのため、『江の島FC』を通して、仲間・空間・知見・資金を、挑戦したい若者に対して支援できるような場所が作れるんじゃないかなと思って。サッカークラブがもっている、メディア性に、何よりも注目しています。

ー初めて起業して、苦労されたのではないですか?

たくさん苦労しましたね。サッカーは幼少期から身近にありましたけれど、サッカーで起業するなんて全く思っていませんでした。

決断はしたものの、「どうやって人を集めよう」「売り上げをどう作ろうか」、本当にゼロからのスタートで、業界の方々に話を聞きに行きながら進めていました。

選手やスタッフは紹介でつなげていただき、初期メンバーにアオイエの友だちが2人入ってくれたことも大きかったなと思っています。

我々は大きなビジョンを掲げています。「藤沢市初のプロサッカークラブ」として、2024年のなでしこリーグ挑戦と、2030年のJリーグ加盟が目標です。初年度は特に苦労をしましたが、妥協せずにビジョンを語り続けたことは、今にもつながっていると思っています。

ー江の島FCの他にも、力を入れていることがあるそうですね?

当時の『アオイエ』代表とは、江の島FCで毎日顔を合わせていました。彼の転職するタイミングで、今後のアオイエの在り方についての相談を重ねるなかで、僕がアオイエを引き継いで経営することになりました。

これまでの人生を振り返ってみると、情報があふれている現在は、プログラミングやマーケティングなど、特別なスキルが1つあるからといって、うまくいくような時代ではないと思っています。

夢をもっている人たちにとって、応援してくれる人を増やすことこそが成功要因になりやすいと思います。

コミュニティ型のシェアハウスであるアオイエで、打算や損得勘定なく、近い距離感で一緒に生活をするので、雑談から「なぜそれをやっているのか」を深掘り、対話できる環境になっています。僕はこれが理想的だなと思っているんですよね。

コミュニティを通じて、名前や肩書きだけてはなく、ビーイングでつながれた人は、僕が何をしていても応援してくれる兄弟であり、家族のような存在です。

大学生時代にアオイエに実際に住み、応援してくれる人が増えたことにより、孤独感の解消や後押しされる感覚がありました。アオイエに価値を感じていたので、アオイエが描く未来を信じ、迷いなく経営ができています。

ーアオイエにはどんな人が集まっていらっしゃるんですか? 

アオイエは、OB・OGを含めると500人以上の方々が住んできて、現在は約100人が住んでいます。アオイエでは、「みんな表現者」というテーマを掲げています。

テーマの通り、属性や職種や自己表現の方法を定めずに、自由に夢を描く若者が集まって生活しています。当時僕が住んでいた十三には、不動産会社の2代目やコーチングの事業を個人で営んでいる人などが住んでいました。

起業家・営業マン・人事・女優・アスリート・アーティスト・クリエイター・ニート・学生など、様々な人が全国からアオイエに集まり、暮らしています。

属性はバラバラだけれど、共通のテーマや葛藤をもって住んでいるから、応援し合える関係も作りやすいんですよね。

ーそれでコミュニティ型のシェアハウスなんですね。アオイエの魅力やアオイエでしかできない事は何だと思いますか?

一番大きな役割は、大都市圏に出てきて1〜3年目の若者の社会的孤立解消につながると思っています。地方から都市圏に出てきたときは、3年間が大事です。

上京したあとに精神を病んでしまう若者が、4割を超えるといわれており、社会的な問題だと感じています。

地域のコミュニティーから一度離れることになるので、アオイエが都市圏の新たな家族という役割を果たしながら、移住後の葛藤期をサポートしたいと考えています。

様々なシェアハウスがあるなかで、アオイエの特色は『アオイエゼミ』があることです。第一線で活躍している方々に、毎月アオイエに直接来ていただいて、講演をしていただいています。

例えば、DeNAの南場さんやGOの三浦さん、作家の乙武さんや元防衛大臣の石破さん、先日はAV男優のしみけんさんにも来ていただきました。

一般的な講演会やセミナーとは違い、普段生活している場所に来てもらうことで、日常と接続でき、近い距離感で会話ができる公式イベントです。

年に2回、60〜70名が参加する『アオイエ合宿』もあり、文化祭のような熱量で、対話型の宿泊イベントを実施しているところもアオイエの特色です。