クラファン139%達成を実現した都築 誠慈。挑戦のハードルを下げてくれる海外経験のすゝめ

ユニークなキャリアを歩むU-29世代をお呼びし、これまでの人生の転機についてお話を伺うユニークキャリアラウンジ。

今回は、「人も地球もマッチョにする」をミッションに掲げ、 沖縄県産フルーツをまるごと配合したクリアホエイプロテイン『Body&Co』の 製造販売に取り組むプロジェクトの立ち上げメンバー、都築 誠慈さんをお招きしました。これまでのキャリアの変遷と139%達成を果たしたクラウドファンディングの裏側について伺います。

クラウドファンディングページ
https://for-good.net/project/1000319

 

学生時代はサッカーに打ち込むも、進路に悩んだ受験期

–出身はどちらですか。

愛知県出身で、中華料理屋を営む両親のもとで育ちました。夜までお店を開けていて、ご飯の際に少し話せる以外は両親ともに忙しそうに過ごしていました。

子供ながらにいわゆる「普通(会社員の親を持つ家庭)」とは違う家庭だと感じていて、少し寂しい気持ちもありました。頑張っている背中を見ていて、家庭のために働いてくれているんだということは理解できたので、反抗期はありませんでした。

–学生時代はどんなことをして過ごしていましたか。

小学生の頃は運動が好きでした。自分に向いてるものを探しながら、さまざまな習い事や運動に挑戦しました。サッカー、野球、水泳をやってみて、小学4年生の頃からサッカーに集中するようになります。それからサッカーに打ち込み、中学生の頃には県大会で優勝することができました。高校生の頃もチームは強くなかったですが、朝練、午後練、週末は試合と運動部の学生らしく忙しかった覚えがあります。

–サッカーのどのような部分に熱中していたのですか。

チームとしてスポーツに打ち込めることが楽しいと感じました。サッカーには11人で構成するフォーメーションがあり、互いに守り方・攻め方があり、数的有利なシーンを作り出すための戦術 があるんです。監督やコーチが戦術を説明しているのを聞いていて興味深かったのと、実際にプレーしてみて相手の陣形 を崩していける瞬間が好きでした。

個人的にはプロサッカー選手のプレー動画を見ながら練習をしてみて、 練習や試合の中で取り入れてみることを繰り返していました。

–高校卒業後の進路はどのように考えていましたか。

サッカーに夢中だったので、正直進路についてはそこまで真剣に考えられていませんでした。高校2年生の頃から文系・英語コースを選択していたこともあり、 グローバルな仕事はいつかしたいな〜くらいになんとなく思いながら、当初は外国語大学への進学を検討していました。

いざ部活を引退しても、受験勉強に集中ができず…。第一志望から少し下げて、当初目指していたところとは異なる大学、学科へ行こうとしたのですが、自分より内申点の良い友達も同じ大学に入ってきてしまい、迷いました。最終的には、なんでも楽な選択肢を選びがちだったこともあり、「自分の学力や成績で確実に受かるところに行こう」と決め、メディアプロデュース学部へ進学しました。

その学部は、広告、本、新聞、WEB、動画、建築などのメディアについて学ぶ場所です。元々の第一志望ではありませんでしたが、 普段からチラシやCMなど広告の裏側にどんな意図があるのか興味があったので、志望しました。単純に映画みて単位が取れる授業もあったのでそれも大きいかもしれません。笑

 

大学時代に経験した「海外一人旅」「祖母の死」が転機

–大学時代はどのように過ごしていましたか。

海外プロサッカーリーグの試合を生で観戦したいと思い、1人でドイツに行きました。当時現地プロリーグで活躍していた元サッカー日本代表の香川 真司選手を見に行くことが目的でした。

海外一人旅をしてみて、日本では感じられない異国の雰囲気を肌で感じました。すごく刺激を受けたのを覚えています。周りを見回してみると日本とは異なる習慣や風景が広がっていて、日本の当たり前が海外では当たり前ではないことを知りました。

旅を通して得られる感動や刺激は今でも覚えているほど印象的でした。

–大学生時代に経験したことの中で印象に残っているものは他にもありますか。

忙しい両親の代わりに幼い頃からそばにいてくれた祖母が亡くなったことも印象的な出来事でした。

当時は90歳くらいだったと思います。亡くなる数年前には入院していて、家族が交代でお見舞いに通っていました。次第に体が弱っていくのを見守りつつ、祖母がいつか亡くなってしまうのだという覚悟を心の中で固めていきました。ただ、実際に命を引き取る瞬間になるとさまざまな感情がめぐりました。

それまでは学業よりも旅と旅費を稼ぐためのバイトに夢中だったのですが、時間を無駄にしてはいけないなと考えさせられるきっかけになりました。

–大学卒業後の進路はどのように考えていましたか。

祖母の死に立ち会った経験もあり、「これから先の将来、自分は何に時間を使うべきなのか」と真剣に考えすぎて、混乱してしまいました。就活をすべきかも悩みましたが、周りもやっているから…と思い、就活に臨みました。最終的には決断することが怖くなり、就活期間のうちに(自分が仕事にすべきものは)これだ!と思えることを見つけることができない期間が続きました。

–その後、どのように卒業後の進路を決めて、どのような会社での勤務を経験されましたか。

愛知県内の会社でウェディングプランナーの仕事に就きましたが、半年程度で退職。その後、学生時代に学んだことを活かして働けるところを探して東京の印刷/出版関連 の会社に転職し、3年間勤めました。

2社目では、愛知県にいた頃には会う機会の少なかった東京の会社や大手の会社と働くことが増えました。出会う人との間に感じた視座の違いから刺激を受けることが増え、やりがいを感じました。(この頃の仕事を通して)新しい知識や気づきは自身の視野の外側の広い世界にあるんだという気づきは、バックパックを背負って海外を旅していた頃に得た感覚に似ているものだったと思います。

海外で住みながら働いてみたいと思うようになり、東南アジアを中心に仕事を探していたところ、新型コロナウイルスの感染拡大が勃発。内定が出ていた会社からビザが取れないなどの連絡が届き、なんとか台湾だけが就労ビザを発行できるということで台湾に拠点を置くマーケティング支援会社へ転職しました。

その会社では化粧品、ヘアケア、アパレル、サプリ等の商品を扱う日本の会社の海外進出支援に携わりました。台湾は日本企業が海外進出する際のテストマーケティングに利用されることが多い地域でした。

 

クラファンは見事139%達成。成功要因は?

–その後、台湾で勤めていた会社を退職し、日本に帰国されたと伺いました。

クライアントワークを通して得られる経験ややりがいに限界を感じたと同時に、「自身が事業を持ち、その事業のマーケティングを自ら行ったらどこまでできるのかを突き詰めてみたい」と思うようになり、独立を決意しました。

帰国して半年後には、フリーランスとしてマーケティング支援の仕事をいくつか請け負うようになりました。その頃、現在携わっているクリアホエイプロテイン『Body&Co』のプロジェクトの代表に再会する機会がありました。彼の出身地である沖縄が抱える課題を聞くと、かなり解像度高く捉え、考えてきたことがよくわかりました。その上、アイデアにも可能性を感じ、自分も手伝うことを決めました。

–当時、メンバーとしてジョインするにあたり、決め手は何でしたか。

プロダクトはまだ存在していませんでした。構想もまだまだ未完成な状況。必要なパートナー企業についても社内で数社の名前が上がっている程度の状況でした。

それでも前職で共に働いていたこともあった代表がいたことや彼が持っていた課題の解像度が高かったこと、解決手段が本質的だったことに対して、関心や意欲が湧きました。作ろうとしていたプロテインが品質にこだわったもので、自分自身も愛用したいと思って提供できるものだったことも大きかったと思います。

これを必要とするまだ出会ってない方の手元までどうやって届けていこうか…と話し始めると、どんどんストーリーが浮かんできて、次第に打ち込んでいくようになりました。​​

–なぜ、クラウドファンディングに挑戦したのですか。

一言で言えば、資金調達のためです。加えて、先を見据えたひとつのテストでもありました。クラファンを通して共感を得て、巻き込むことができなければその先も無いな、と考えていたんです。

機能性以外にもプロジェクトの背景や関わる登場人物など、かなり多面的に情報を盛り込み、ストーリーを作り上げました。

–クラウドファンディングの結果は、195人からの支援を受け、139%達成。成功要因は何でしたか。

とにかく人に会い、話し、支援を募りました。その行動量が最も大きな成功要因だったと思います。

1ヶ月半の間、絶えず行動し続けることは簡単ではありませんでした。それでもなんとか走り切ることができ、ホッとしています。

今は無事商品も完成し、ご支援いただいた方々へ商品をお届けすることができました。今後はEC販売や、全国のジムなどパートナー企業様との連携も順次開始していきます。

 

「挑戦ハードルを下げてくれる」海外経験のすゝめ

–これまでのお話を伺っていると、絶えず行動し続けている姿勢が印象的です。

20代前半の頃は、仕事をしていてピンチやリスクと感じるシーンでも、都築誠慈という人間の人生には大きな影響はないだろうとかって思っていました。今思えば、この人ごとな環境を選ぶようなマインド自体が「自分が本気になれなかった要因」だったと思います。他の選択肢や退路を考えられる余力がありますからね。

今は、プロジェクトメンバーとMUSCLE FOOD PROJECTという会社を共同創業し役員として取り組んでおり、あらゆるリソースが限られた中で、とにかく日々選択と集中という状況です。そうした環境になってみると、その方がストレスを感じず、「自分ごと」を感じられるような気がします。

とはいえ、これまでに悩むことはたくさんありましたし、今でも常に試行錯誤の連続です…。

–就活時代の都築さんのエピソードのように、悩みすぎて行動できないという10代、20代の方は多いですよね。

悩んでもいいと思います。迷ってもいいと思います。大事なのは、その後じゃないでしょうか。

何かひとつ行動すると決めて、やってみる。その行動を正解にする決意で挑戦する。挑戦してみた結果を受けて修正し、また挑戦する。やがて、適切な選択を選び取れる確率が上がり、物事がスムーズに進むようになる。

僕の場合は、そのような手順でやってきました。

もしも過去に一歩を踏み出せずに後悔したことがある人や今行動できずに悩んでいる人がいれば、僕の話とケースをひとつの参考として受け取っていただけたら嬉しいです。

–10代、20代の読者に向けてメッセージをお願いします。

僕自身が経験してこられたことはまだわずかしかありませんが、その中でも海外に出向いた経験は大きな意味があったと感じています。

海外に降り立つと圧倒的なアウェイ感に包まれますよね。 飲食店で食べたいものをひとつ注文するにも、大きな挑戦じゃないですか。そういう経験を繰り返すうちに、挑戦のハードルが下がってくるんです。勝手に自らハードルを作り出して困惑していただけじゃないか、と気づくことも少なくありません。

海外で過ごす経験を通して得られるメンタリティや精神力は、日本国内にいてはなかなか得られるものではないと思います。それが、現在の自分の土台にもなっていると感じています。

無責任に全ての方へ勧めるつもりはありませんが、興味のある方がいれば是非10代、20代のうちに海外へ出向いてみてください。

取材・執筆=山崎 貴大