会社の成長のため、どれほどの逆境でも自分の芯を曲げず挑み続ける。 ROSCA 村田旭光

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第881回目となる今回は、『ROSCA株式会社』の4人めのメンバーとして、会社の立ち上げを担う村田 旭光(むらた・あきみつ)さんをゲストにお迎えし、これまでの人生についてや今後の展望について伺いました。

学生時代・社会人時代と数々の困難を経験してきた村田さん。苦しい状況でも自分の信念を曲げず、周囲の助けを得ながら努力して乗り越えてきたこれまでの経緯について語ってくださいました。

順風満帆だった学生時代が一変。不幸なできごとが重なる

ーまずは自己紹介をお願いします。

村田旭光と申します。1995年生まれの27歳です。生まれてから大学院中退までの24年間を北海道で過ごしました。就職で東京に拠点を移し、現在はROSCA株式会社の4人めのメンバーとして会社の立ち上げをしています。会社は4期めを迎えて事業規模拡大中で、私も日々奮闘中です。よろしくお願いします。

―仕事内容について教えてください。

エンジニア向けのキャリアエージェントをしています。キャリア支援事業では、フリーランスへの仕事紹介や転職のお手伝いをしています。

―15歳のときに起きた転機について教えてください。

中学3年時の塾通いがきっかけで勉強の成績が伸び、学年トップになりました。また協調性の高さを評価され、テニス部の部長に就任。当時は親や部活の監督が厳しく、勉強や部活の練習は大変でした。しかし、よい結果が出せて自信が湧いたのを覚えています。

それからは自信を維持するため、自主的に努力するようになりました。そのまま順風満帆な高校生活を送り、志望の大学にも合格できました。

―大学時代に起きた転機について教えてください。

所属していたテニスサークルの先輩と意見の違いで対立しました。また他県から大学に入学したテニス経験者のレベルに驚き、実力のなさを痛感。当時は練習に精を出していましたが、なかなか成果が出ず、もどかしさも感じていました

さらに追い打ちをかけたのが父の失業です。家の収入が0になり、家ではピリピリとした空気がながれて自分の精神状態もよくなかったのを覚えています

仲間の助けと、芽生えた信念によって困難な状況を打開

ーこのような状況を乗り越えるきっかけは何だったのですか?

1つは仲のよかった大学の同期との絆です。友人と楽しく過ごす時間があったからこそ、人間関係のトラブルにも耐えられたのだと思います。2つめはサークル内で1、2を争う実力のある先輩からダブルスのパートナーとして誘われたことです。

朝の自主練習や日々の練習に注力し、熱心にテニスの勉強をしていたのを先輩が見ていて、誘ってくれたのだと考えています。

そして先輩とのダブルスで臨んだ大会で優勝でき、その後の大会から立て続けに優勝するようになりました。最初の大会での成功体験で自信を取り戻し、その後の練習も集中して取り組めるようになったのが要因だと思います。

3つめは両親がコンビニのフランチャイズを始め、生活に必要な収入を稼げるようになったからです。当時はほぼ学校に行かず1年ほど仕事を手伝い、売上が伸びるよう経営にも携わった成果が出たのだと思います。

家業とテニスを同時並行でがんばり続ける日々を通して「努力すれば必ず成果が出る」という確信が芽生えました。

―家業とテニス、どちらもがんばれたのはなぜですか?

人間は本当に危機を感じると底なしの努力ができるのだと思います。私の下には2人兄弟がいるのですが、当時は高校生と大学生1年生だったので受験や学費でお金がかかるのです。兄弟が進学できないかもしれない危機を迎え、長男として家族を守る使命感が芽生えました

また家を売るかどうかのギリギリな状態で、厳しかった父親が自分だけに現状を打ち明け、相談をしてきました。初めて父親から頼られ、事態の重大さを痛感したからこそがんばることができたと思っています