公務員志望から学生フリーランスに!島内未来が描く数奇なミライ

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第230回目となる今回のゲストは、ライター・グラフィックレコーダー・イラストレーターなど学生フリーランスとして幅広く活躍する島内未来(しまうちみく)さんです。

秋田県出身、現在は山形大学に通う島内さん。元々は公務員志望だったところ、静岡県下田市での偶然の出会いをきっかけに、学生フリーランスとしての道を歩むことに。そんな「数奇なミライ」を描く今の島内さんがあるのは、紛れもなく「出会い」を大切にしているからでした。

人の「在り方」の違いを知った幼少期

ーまずは簡単に自己紹介をお願いします。

山形大学3年(取材当時)の島内未来です。学業の傍ら、学生フリーランスとしてライター・グラフィックレコーダー・イラストレーターなどの仕事をしています。

ー幅広く活動されているんですね!新型コロナウイルス感染拡大の影響はありましたか?

ありましたね。授業もオンラインで、居酒屋のバイトもしばらくお休みになっていました。私は誰かと話すことで気分が乗る人なので、会話が少ない日々は辛かったですね。

ー「話すこと」が島内さんのキーワードなのかもしれませんね。では過去に遡って伺いますが、幼少期に印象に残った出来事などあれば教えてください。

幼稚園の頃、いつも女の子3人で過ごしていて、すごく仲が良かったんです。でもある日、私以外の2人が仲良くなりすぎて、私だけがハブられるようになりました。でも不思議と、そのことに対して何とも思わなかったんですよね。

ーどうしてですか?

「新しい友達を探せばいい」と思ったからです。人とは関わっていたいと思う一方で、気を遣いながら付き合うくらいなら離れた方がいい。だったら、”今”一人になることを恐れず、”次の”友達を探した方がいいと考えたわけです。今思うと、自由を好むのは昔からだったのかもしれません。

ー幼稚園の頃から、人間関係に対して自分の考えを持っていたのはすごいですね。そんな島内さんが、「人間関係」を強く意識するようになったのはいつですか?

小学生のときですね。当時の友達と未だに関係性が続いており、仲良くなった経緯がとても印象的でした。

ー詳しく教えてください。

陸上部に所属していて、キャプテンも務めていました。そうなると、自分にもチームメイトにも結果を求めてしまうわけですよ。幸い私は100m×4リレーのメンバーに選ばれ、一方で選出されなかったメンバーも当然いるわけです。「なんで皆頑張らないんだろう?」と思ってしまったのですが、ある時「陸上部に入っている動機はそれぞれ違う」と気付かされたんです。私みたいに結果を求める人もいれば、運動への苦手意識を克服するために入った人もいる。それ以降、目の前の人の気持ちや想いに気を配れるようになり、陸上の実力は抜きにしてチームメイトと仲良くなっていきました。

ー「人それぞれ」ということを、その時実感されたのですね。

はい。それをきっかけに、いい意味で人を見る目が変わったような気がします。

周囲との差を痛感し、種目を変えて地区優勝

ーそれだけ人間関係を大事にされていたなら、他にも色んなことを任されていたんじゃないですか?

ちょうど同じ時期に学級委員も務めていましたが、その役割を果たしきれず、自分自身が情けなくなってしました。仲良しとはいえ陸上部のキャプテンも大変でしたし、キャプテンと学級委員両方の重圧で、大泣きしてしまったこともありましたね。

ー必要以上のものを背負ってしまっていたのですね。

はい。友達には相談することができず、一人で抱え込んでいたのですが、思い切って先生に相談してみると一気に気持ちが晴れていきました。

ー先生はどんなことを言ってくれたのですか?

「思ったことを口にする前に、一度文章として紙に書いてみなさい」と言ってくれました。そうすることで、私自身も気持ちの整理ができたし、先生にも本当の気持ちを伝えることができた気がします。また、先生も私の心情を理解してくれたようで、「コップ(自分の器)から水(やるべきことや責任)が溢れてしまってるんだね」と、私が無理をしていることに気付かせてくれました。それを機に、自分のペース配分やリソース配分を考えるようになり、今にもつながっている気がしますね。

ー先生は島内さんにとって大きな存在だったのですね。

本当にそう思います。

さらに、先生が私と同学年の子を紹介してくれたんですね。それも、私と性格が正反対な子を。最初は乗り気じゃなかったのですが、「信頼している先生が紹介してくれるなら」と話してみることにしたんです。すると、正反対だったからか、お互いの悩みを察することができたり、気兼ねなく相談しあえたりと、一気に距離が縮まりました。その子とは、今でも帰省するたびに連絡を取っています。

ー先生の目は本当にすごいですね。陸上はその後も続けられたのですか?

中学まで続けましたが、小学校のときとは状況が一変しました。

ーと言いますと?

正直、中学でも陸上をやろうとは思っていなかったのですが、入りたい部活が他になく、「体力づくりにもなるしまたやってもいいかな」くらいの気持ちで入部しました。また、私の中学校が陸上の強豪で、リレーメンバーには私よりもずば抜けて早い人が揃っていたので、いわゆる控えメンバーという立ち位置だったんです。この状況、小学校の時と真逆なんですよね。

ー確かに…。

結果を自分にも他人にも求めるメンバーと、別のモチベーションがある自分と。最初はあまり気にしないようにしていたのですが、次第に上位メンバーとの溝が大きくなり、ついには陰口を言われるようになってしまいました。

ー小学校時代に島内さんが作ったチームとは逆の雰囲気ですね…。その状況をどのように乗り越えたのですか?

自分が活躍できる種目を探そうとしていた時に、試しに走り幅跳びをやってみたら面白かったんですよ。ある程度飛べるのがわかったし、選手も少なかったので走り幅跳びに種目を変えることにしました。同じタイミングで、スポーツジムのオーナーを務める父の友人が指導してくれることになって、そこから一年間は休みなくトレーニングに励みました。その結果、地区大会で優勝できるまでになりました。

ー種目変更の決断も、たゆまぬ努力も素晴らしいです!

リレーで活躍できていない時は、正直陸上を辞めることも考えていましたが、諦めずに挑戦して良かったですね。余談ですが、地区優勝した後に「枠が空いてるぞ」とリレーメンバーの一人が走り幅跳びに参入してきて、結局同じ種目で競うことになりました(笑)。

偶然の出会いを経て気付いた「幸福の尺度」

ー地元秋田を離れ、山形大学に進学。これは志望通りの選択だったのですか?

いえ、大学も専攻も元々の志望とは違っていました。受験勉強にあまり熱が入らず、結果的にランクを落としての進学だったので、最初は正直コンプレックスはありましたね。

ー3年生が終わりに近づく今、その気持ちに変化はありますか?

今は「これはこれでアリだな」と感じています。かつ、自分が色んなことにトライできているので、「大学の知名度などは特に気にしなくてもよかったな」とも思いますね。

ーでは、その「トライ」のきっかけとなった出来事について聞かせてください。2019~2020年の年末年始に、静岡県下田市に行かれたんですよね。

はい、大学に下田出身の友達がいて、その縁で下田の旅館でリゾートバイトをすることになったんです。初めての下田であり、初めて家族と離れて過ごすお正月でした。

ー初めて尽くしの年末年始ですね。

そうですね。バイトが休みの日に、観光がてら色んなお店に入ったり街歩きをしていたのですが、途中で疲れちゃったんですね。そこで、座れる場所を探していたら、たまたまLivingAnywhere Commons伊豆下田(以下、LAC伊豆下田)という施設が目に入り、「ご自由にどうぞ」と書かれていたので中に入ってみることに。そこに座っていたのが、U-29メンバーでもある角田尭史(すみだたかし)さんでした。

ーなんという出会い方!

角田さんは機材をガチャガチャいじっていて、その時は「この人YouTuberなのかな?」と思っていました(笑)。私も、遠慮なく話しかけてたり、たまたま持っていたどら焼きをあげたりしたので、お互いに「なんだコイツ?」と思っていたでしょうね(笑)。

ー想像するだけで面白いですね(笑)。

そこから、私の専攻や下田に来た理由、今後やりたいことなどを聞いてくれて、次の日にLAC伊豆下田のコミュニティマネージャーを務める梅田直樹さんに会わせてもらうことになりました。

ー急展開!そこではどんな話をしたんですか?

その時すでに一週間くらい滞在して、下田のことを少しだけ理解し始めていた頃でした。そこで、「こんな課題がある気がします」「下田でこんなことをやれたらいいな」ということを話してみると、「じゃあやってみようよ」と言ってくれたんです。とんとん拍子で進みすぎて最初は理解が追い付きませんでしたが、そこで「また来たい」と思わせてくれました。

ー初めて会ったにもかかわらず、挑戦を後押ししてくれたんですね!

はい。まず、大学の春休みのうち2週間を使って、梅田さんが勤めるVILLAGE INC.という会社でインターンをすることに。社員さんや地域の方から話を聞き、インタビュー記事を作成するという、いわゆる発信活動をさせてもらいました。

2週間のインターンシップを実施したVILAGGE INC.のメンバー

ーその2週間を経て、下田のどのようなところに魅力を感じましたか?

「人」ですね。飲食店に一人で行ったりもしたのですが、店主さんが積極的に話しかけてくれるんです。街の歴史や魅力、その人自身のプライベートなことなど、本当にたくさん話してくれて。また、隣にいるお客さんのことも紹介してくれたりして、アットホームな雰囲気に魅了されました。

ー素敵な出会いに恵まれていますね。

ありがたい限りです。そうやって、人と交流することで「共有」できることがたくさん生まれ、それを近くの人に話すことで自分も温かい気持ちになれる。下田で過ごした中での大きな発見でしたね。

 

発信活動で全国各地に「出会い」をもたらす

ー下田で2週間過ごした後は、山形に戻られたんですよね。

戻りはしたのですが、下田からお土産を持って帰ることになりました。

ーお土産?

はい。角田さんが当時務めていたFromToという会社で、オンラインでインターンをやることになったんです。移住支援サービスを運営する会社で、「地域で活動したい」という私のやりたいことともマッチしたので、角田さんから誘ってもらって実現しました。

ーインターン中に次のインターンが決まったんですね!

そういうことです!後から聞いた話ですが、先にインターンをしたVILLAGE INC.の社員さんが、「みくちゃんのやりたいことは、FromToさんの方が実現しやすい」と角田さんに進言してくださったそうです。

ー裏で先輩たちが動いてくださったのですね。ライターから始まり、今ではグラフィックレコーダー、イラストレーターと幅広く活動されていますが、学生フリーランスとして印象に残っている出来事があれば教えてください。

再び下田を訪れた2020年9月末のこと。それはたまたまU-29メンバー数名が同じタイミングで下田に居て、かつ下田で知り合った人とまた会いたいと思ったためで、最初はほぼ遊び目的でした。でも、せっかく下田に行くにしても、何か理由が欲しいと思い、「下田でイラストワークショップをやろう」と決めたんです。

イラストワークショップの写真

ー思い切った行動ですね!どうしてそういう発想に至ったのですか?

まずワークショップを選んだ理由から。私自身、「LivingAnywhere Commonsなどのワーケーション施設を回りながら仕事をする」という目標があるのですが、そのためには人を巻き込んでいく必要があると考えました。かつ、人をつなげてもらって今の私がいるので、今度は「つながりを求めている人に機会提供する立場になりたい」と思ったんです。その練習として「下田でワークショップを開催する」という選択に至りました。

ーつながりを作る側に回りたい、ということですね。

そうですね。また、イラストを選択したのも、参加者の共通言語になりえると思ったからです。「はじめまして」だけだとなかなか打ち解けられないけど、イラストがあれば「そんな風に書くんだ」「面白い感性をしているね」など会話が膨らむじゃないですか。人をつなげるという目的があったため、その会話の入口になるようにと選びましたね。

ー確かに、イラストは人の内面が表れるし、会話も盛り上がりそうですね。開催してみてどうでしたか?

私自身がすごく楽しめました。皆さんが楽しそうに描いていたので安心しましたし、会話も弾んで仲良くなっていたので、「イラストをやっててよかったな」と思わせてもらいました。

ーイラストを通じて「人をつなげる」という目的が達成されたのですね。最後に、今後の目標などを教えてください。

全国のワーケーション施設を回りながら、「人」の魅力を発信するような活動をしたいと考えています。地域の魅力を知るには、まずは「人」の魅力を知ることからだとわかったので、そこを私が担えたらいいなと思います。その手段として文章やイラストなどがありますが、様々な方法で発信活動にトライしたいですね。

島内さんのSNSはこちら
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https://twitter.com/mm_shimachan
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取材者:吉永里美(Twitter/note
執筆者:角田尭史(Twitter/note/Instagram
デザイナー:五十嵐有沙 (Twitter