人との関わりが生きがい。御茶人・桐原共輝がメンタルダウンを乗り越えたきっかけとは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第827回目となる今回は、御茶人の桐原 共輝(きりはら・ともき)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

人と関わることが生きがいだと語る桐原さん。新型コロナウイルスの流行で孤独を感じ、病んでしまった心を回復できたのは日本茶のおかげでした。御茶人として熊本を中心に活動する桐原さんが大事にしている「人との関わり」について深掘りします。

教師を目指していた時期に、サイハテ村に辿り着いた「人との出会い」

ーまずは、簡単に自己紹介をお願いします。

桐原 共輝(きりはら・ともき)と申します。お茶の国・静岡市出身で、現在は熊本に移住し、御茶人として日本茶を淹れる活動をしています。コーヒーを淹れるバリスタの日本茶ver.ですね。お茶会というと抹茶のイメージが強いですが、僕は急須を使って日本茶を淹れています。

ー静岡はお茶の名産地ですよね。昔からお茶に興味があったのですか?

子どもの頃から静岡茶には馴染みがありましたが、特別興味があったというわけではなくて。どちらかというと、野球一筋の野球少年でした。

静岡では、給食にも静岡茶が出てくるんです。僕は幼少期、牛乳や卵などのアレルギーがひどかったので、静岡茶ばかり飲んでいました。それに実家の周りには、静岡茶を製造する問屋さんが非常に多くて。茶葉の香りに包まれながら通学していましたね。

大学で関東に出てからは接する機会も少なく、静岡茶とは疎遠になりました。

ー大学時代に休学していたとのことですが、何かやりたいことがあったのでしょうか?

デンマーク留学のために休学を考えていました。当時、両親や高校時代の担任の影響から教師になりたかったのですが、デンマークにフォルケホイスコーレという成人教育機関があることを知ったんです。

フォルケホイスコーレとは、18歳以上であれば試験なしで誰でも入学できる学校です。ヨーロッパの人たちは、進学前や就職前に自分を見つめ直すブレイク期間をつくり、その学校に行くらしいんですね。教育的な視点から、フォルケホイスコーレに興味を持ちました。

結果的に2年間休学しましたが、実はデンマークに行っていないんです。

ーでは、休学中はどのように過ごしていたのでしょうか?

休学前から旅行好きのイベントに参加することが増え、旅人と知り合うようになりました。ある東京のイベントで、隣の席の人が偶然にも劇団四季の団員の方だったんです。その人がイベント翌日に、福井県南越前町の地方創生ボランティアに参加すると話してくれて。誘っていただいたので、僕も即決で参加することにしました。

地域の運動会に参加するボランティアのあと、いろんな場所から集まったボランティアメンバーと話す機会がありました。そこで、熊本県のサイハテ村という自給自足をしている村の話になって。旅人のようなユニークな人たちが集まるから、機会があれば行ってみたらどうかと教えてくれたんです。

数日後、サイハテ村でみかん農家の収穫アルバイトがあると知り、その村に興味があったので行くことを決めました。それに参加するとゲストハウスに格安で住めて、日中は農家で働きながらその村の体験もできます。福井のボランティアに参加してから一週間後には、熊本に飛んでいましたね(笑)。

多様な価値観に触れていた時期に毎日実践したこと

ーすぐに動けるところが素晴らしいですね。サイハテ村での生活はいかがでしたか?

様々な考えを持った人が訪れる場所だったので、いろんな人たちに出会い、多様な価値観に触れた4ヵ月間でした。そのおかげで、自分の考えや価値観がリセットされたような感覚で、当たり前なんてないんだなと思いました。

ー新しい価値観に触れたとき、桐原さんはどのように対処していくのでしょうか?

僕の性格上、一つひとつ丁寧に自分の気持ちを整理したいタイプです。様々な人と毎晩のように話し、翌日の空き時間には一人で自分の考えを整理していきました。その上で、それぞれの価値観を受け入れるかどうかを取捨選択します。サイハテ村に滞在中は、毎日欠かさず行っていました。

ー4ヵ月も繰り返していくと、そういう環境を受け入れられるようになってくるということでしょうか?

次第に受け入れられるようになりましたね。とにかく否定するのではなく、こんな価値観もあるのかと一旦受け入れて咀嚼してみることが大事です。自分に合った価値観であれば、積極的に取り入れていきました。

ー休学中に多様な経験をしたあと、ゲストハウスのスタッフとして就職したそうですね。

人生初めて泊まったゲストハウスがその村だったんです。熊本の村を離れたあとも、福岡・広島・大阪など各地のゲストハウスをまわりました。

当時は、ゲストハウスで出会う人たちのきっかけで自分の人生が変わったと思っていたので、今度は作り手の側にまわりたいと思ったんですよね。教師からゲストハウスを作る夢に変わり、熊本市内の別のゲストハウスで働くことになりました。

ー泊まる側から働く側に移ってからは、どういう日々を過ごしていましたか?

働いている側としても、毎日が刺激的でした。いろんな人に出会えましたし、経営や集客も勉強できたのでありがたい環境でしたね。

ー桐原さんの行動力で、価値観が大きく変化したのが伝わってきました。

今の自分があるのは、積極的に行動したからだと思っていますし、その中で出会ってくれた人のおかげでもあります。