UXデザイナー・畠山友華の「誰もが自分らしく輝ける体験づくり」と原点

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第502回目となる今回は、UXデザイナー・畠山友華さんをゲストにお迎えし、現在に至るまでの経緯を伺いました。

両親の離婚や、中学の閉鎖的な環境から、自分という存在や普通とは何かについて悩むことが多かったという畠山さん。そんな中、高校2年の時に訪れたUVERWorldのライブから、それまで感じたことのなかった大きな感動を覚えます。ライブで感じた感動を体現するべく、UXデザイナーという職種にとどまらず、様々な領域で活動の幅を広げられています。

「誰もが自分らしく輝ける体験づくり」というミッションを掲げる畠山さんの、日々の挑戦や思いについてお伺いしました。

ー自己紹介をお願いします!

株式会社マネーフォワードでUXデザイナーをしている畠山友華です。マネーフォワードでは、Money Forward X本部で金融機関のお客様と一緒に新しいサービスを生み出すクライアントワークをしています。

新卒ではソフトバンクでシステムエンジニアとして働き、2021年7月から現職に就いています。

ーUXデザイナーとは、どのような職業なのでしょうか?

まず、UXとはユーザーエクスペリエンスの略で、UXデザイナーとはサービスを利用する際のユーザーの体験価値を追求する仕事です。デザインといっても視覚的な制作物を作るのではなく、ユーザーがどんな課題を感じていて、どうなればもっといい体験ができるのかを分析・設計します。

ーユーザーの体験を作る仕事なのですね。具体的にはどのようなやりとりを通して進めていくんでしょうか?

UXデザイナーと言っても、新規事業と既存サービス改善とで役割が異なります。まず、既存サービスの改善では、マーケティング施策やデザイン・機能改善を行います。具体的には、顧客へのインタビューを通して現状を分析し、特定のKPI達成を目指します。

対して新規事業の場合は、ビジネスサイドの方が窓口として、クライアントの調整や企画設計をします。それを受けて、私たちUXデザイナーが、クライアントの課題やターゲットへのインタビューを通じて現状を分析します。それを、理想的な体験のサービスコンセプトに落とし込んだり、プロトタイプとして作成したりします。アプリを作る際は実際に設計をして、UIデザイナーに表面のデザインを依頼します。

今は新規事業を主にやっているので、ビジネスサイドの方とのやりとりが多いですね。ユーザー目線だけでなく、ビジネス的な観点も必要な仕事です。

ーコンセプトを形にする橋渡しをする一方で、UXデザインとして体験における価値を付与する役割を担われている、ということですね。ここからは、畠山さんのこれまでの人生についてお伺いしていきます!

自分とは?普通とは?悩み抜いた青春時代

ー幼い頃はどんなお子さんでしたか?

あまり自信がなく、自己肯定感も低い子供でした。9歳の時に、両親が離婚したのが大きかったです。まだ小さい頃から、大人が争っている場面をよく目にしていたので、他の家庭との違いにも敏感になっていました。親に振り向いてほしいという思いも強かったですね。

ー9歳の畠山さんにとっては大きな出来事でしたね……。

自分って何なんだろう、これからどんな風に生きていけば良いんだろう、ということをよく考えていました。当時、色々な習い事をしていたので、家庭から逃げるように自分のやりたいことをやったり友達と遊んだりしていました。

ー習い事をされていたんですね!どんなことをされていたんですか?

多くの子と比べても珍しい習い事ばかりしていました。絵や日本舞踊、卓球などをやっていました。高校まで続けていた卓球は、当時から週2,3くらいで通っており、友達と過ごす時間が多かったです。

ー本当に色々されていたんですね!

面白そうだと感じたら、どんどん興味が湧いてくるんですよね。友達やテレビで楽しそうにやっている人を見ると、憧れの気持ちも相まって、自分もやってみたくなって。そうするうちに、色んな習い事をするようになっていました。

ー当時から、やってみたいと思ったことはどんどん挑戦される方だったんですね!
中学に上がってからはどんな子でしたか?

私は、広島の山の方の出身なのですが、良くも悪くも小さなコミュニティで育ちました。中学の同級生も人数が少なく、小さい頃からお互い知っているような環境でした。少しでも皆と違う行動をとると、無視されたり軽いいじめのようなことが起こるような雰囲気があって……。

そんなことが起こる度に、皆が皆同じように合わせていたら、個性がなくなっちゃうんじゃないか、と感じていました。あまり目立たないように、できるだけ自分を表に出さないようにしていました。

人生の原点となったUVERWorldのライブ

ー窮屈な中学時代だったんですね。高校に上がってからは、何か印象的な出来事はありましたか?

高校2年の頃に初めて行ったUVERWorldのライブが、その後の人生を左右する思い出になりました。

ドラマやアニメで何となく聞いたことがあるくらいで、当時から好きではあったものの、熱心なファンではありませんでした。そんな時に、Twitterで仲良くなった友達から「行けなくなったから」とチケットを譲ってもらったんです。

地元で開かれるフェスに何度か参加したことはあったのですが、UVERWorldのライブは全く違っていました。アーティストとファンの一体感や映像、照明など、様々な要素によって作り上げられた空間に、心から魅了されました。この時の感動は、今の私の原点にもなっています。

ー原点にもなるほど素晴らしいライブだったんですね!それまで行ったことのあったフェスとは、何が違ったんでしょうか?

UVERWorldはライブにすごくこだわりを持っているバンドなんです。
MVのように作り込まれた映像が流れていたり、ファンとの掛け合いだったり、それまでのフェスとは空気感が全く異なりました。

現在、彼らは40代なんですが、変わらず自分たちの音楽を貫いていて、その姿勢にも影響を受けています。歌詞もすごく心に刺さるものばかりで、いつも苦しくなったときはUVERworldを聴くと励まされ、ライブを思い出します。よかったら聴いてみてください。

ライブに行ったことがきっかけに、自分なりにかっこいい生き方をしようと思うようになりました。自分の拠り所や、ロールモデルのような存在ですね。

ーライブ観戦が、ご自身のターニングポイントになったんですね。高校ではどんなふうに過ごされていたんですか?

高校は、女子卓球部のない学校に進学しました。出身の中学は卓球が強く、団体で全国大会に行ったこともありました。同じ部の同級生たちは、高校も卓球が強い学校に進む子ばかりでした。ですが、周りが強い子ばかりだと埋もれてしまうんじゃないかと思ったんです。それで、男子の部しかない学校を選びました。

入学後は、同級生を集めて4人で女子卓球部を創設し、地区大会で3位まで進出することができました。

ー部活を新設されたんですね…!メンバーはどうやって集めたんですか?

最初のメンバーは4人でした。オープンスクールで仲良くなった子が、中学で卓球をやっていたとのことだったので、まず私から誘いました。その後、その友達が中学の同級生を呼んできたり、卓球をやっていたらしい子を見つけて誘いに行ったりして、集めていきました。

ー自分で部を作るなんて、なかなか大変ですよね。卓球をやめるという選択肢はなかったんでしょうか?

卓球を辞めたいとは思わなかったですね。むしろ、自分だけにできる道に挑戦してみたい、という気持ちの方が強かったです。友達と一緒に新しく始めることに、魅力を感じていました。

支える側になり、人との繋がりに価値を見出す

ー大学はどのように選んだのでしょうか?

UVERWorldのライブでの経験から、人を感動させられる技術に関心を持ち、そんな技術を作る側になりたいと感じるようになりました。

それまでは、自分の好きなものや得意科目から進学を考えようと思っていたんです。ですが、ライブをきっかけに、人間工学や感性工学など、人間の感覚を技術に応用する分野を志すようになりました。最終的には、高知工科大学情報学群への進学を決めました。

ーライブでの感動をきっかけに、技術や人間工学に着目したのが面白いですね。どんな部分に惹かれたんでしょうか?

技術が人に感動を与えている、という点にとても魅力を感じました。どのタイミングでどの照明を当てれば、どんな映像を見せれば、これほどまでに強い感動を生み出せるんだろうか、とそんな問いが頭を離れませんでした。

親を含め、周囲に大学を出た人が少なく、「女の子だから文系へ進みなさい」だとか、「安泰だから公務員になりなさい」といったことを言われました。当時の私には、先が見える進路を歩むよりも、自分で道を作っていくことの方が楽しそうだと感じたので、周囲を説得しての進学になりました。

ー周囲に反対されても、ご自身が本当にやりたいと思う分野を選ばれたんですね。
進学後は、どんなことをして過ごしていましたか?

大学ではバスケ部のマネージャーになりました。それまではプレイヤーとして活動してきましたが、人を支えられるという点に魅力を感じて始めました。

アルバイトもいくつか経験しましたが、一番大きかったのはライブ会場での物販スタッフです。ライブに感動した経験から、いつか裏方の仕事をやってみたいという思いがあったため、担当はグッズ販売だったのですが、アルバイトをまとめるチーフを任されたこともありました。

ープレイヤーから一転して、誰かを支える役割をこなされていたんですね。

部活やアルバイトを通して、楽しそうに輝いている人をたくさん見るうちに、将来は自分らしく輝ける場所で働きたい!と思うようになりました。

就活は、大きな説明会に足を運んだりという一般的な就活ではなく、自分を売り出す逆求人のスタイルを取っていました。人との繋がりを大切にしてきたので、就活でもできるだけ会社の人と話す機会を設けられるよう、インターンや会社訪問をメインに行いました。

ーなかなか珍しい就活スタイルですね!就職先のソフトバンクは、どのような思いで選ばれたんですか?

色んな考えを持った人と関わりながら、多くのことを吸収できそうだと感じ、入社しました。入社後は、システムエンジニアとしてプラットフォームのインフラ監視部分を担当したり、その後はヘルスケア新規事業のiOSアプリ開発にも携わったりしました。

UXデザインを通して「自分らしく輝ける体験」を作る

ーそこから現在のUXデザイナーという職種に移られたんですよね。キャリアチェンジをしようと思った経緯について教えてください!

人を感動させられる技術に携わりたい、という思いでエンジニアになったものの、今後どうしていきたいのかが分からず、悩んだ時期がありました。

その中でより強く感じたのは、ユーザーが感動するものを届けたい、ということでした。そこで、2年目はもっとユーザーに近い領域に携わるため、部署異動をしました。

異動先は、企画に関する部署で、UXデザインを使いながら開発していく仕事になりました。そこで初めてUXデザインに出会い、ユーザーにとって「自分らしくいられる」体験を作るUXデザイナーを志すようになりました。サービスも空間も、自分の日常に溶け込んでいるものだと利用したくなりますよね。

ー今の会社に入社するまでは、どのようなことをされていましたか?

UXデザイナーへの憧れを抱き始めてから、まずTwitterを始めました。
勉強会に参加したり、有名な人の発信に目を通すことで、知識を蓄えていきました。Twitterで繋がった人に、直接話を聞きに行くこともしましたね。人との繋がりを大切にしたく、色んな人の考え方を知るようにしました。

また、自己理解をして、自分の得意なものを洗い出すことをしました。ゆっくり時間をとって向き合ったことで、自己理解が深まり、現在の活動の軸である「自分らしく輝ける体験を作る」という目標も見つけられました。

ー最後に、これからの畠山さんの展望をお聞かせください!

UXデザインの知識を活かして、色んな体験を作っていきたいです。

人はどのように感じるのか、どんな時に嬉しいと思うのか、どういう人のどういう課題を解決できそうか、ということを日々考えています。そのような体験を設計する知見やスキルは、UXデザインが浸透していない領域にも転用できると思っています。

それこそ、ライブ体験の設計にも興味がありますし、色んなことに挑戦してみたいです。

そのために、今はUXデザインのスキルを磨いていきたいと考えています。マーケティングやブランディング、マネジメントなど、様々な領域に関心があるので、自分のできる範囲を広げていきたいです。そうすることで、職種やアウトプットの形式にとらわれず、自分らしく輝ける体験を作る人になりたいと思います。

ー畠山さん、お話ありがとうございました!

取材:山崎貴大 (Twitter
執筆:にまめ
デザイン:高橋りえ(Twitter