旅するボードゲームクリエイター・スイタ氏の居心地の良い場所や時間を大切にする生き方とは

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第817回目となる今回は、旅するボードゲームクリエイターのスイタ氏さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

全国を旅しながら、ゲームブランド『アヴィニョンゲームズ』の代表をしているスイタ氏さん。スイタ氏さんの居心地の良い場所や時間に身を置く生き方や、ボードゲームを介して目指す理想の社会についてもお話いただきました。

周りに恵まれて、自己肯定感や楽観さが身につく

ーはじめに自己紹介をお願いいたします。

改めまして、スイタ氏と申します。変わった名前ですが、太陽の塔で有名な大阪府吹田市出身なのでスイタ氏と名乗っています。

全国を旅しながら、ボードゲームを作ったり、ボードゲームを使って交流する場を作ったりしています。

秋葉原にあるヒューマンキャンパス高等学校で、アナログゲーム制作講師もしています。

ースイタ氏さんは、どんな幼少期を過ごされたんですか?

今まで関わってきた人たちに、愛されて育ってきているなと感じています。

幼稚園に通っていたときは、僕のお迎えが1番最後でした。両親が働いていたので、遅くまで預けられていたのですが、幼稚園の先生が僕の登場するオリジナル絵本を作って、読み聞かせてくれました。

小学校低学年のときは、母のいる待ち合わせ場所に1人で電車に乗って向かっていたんですが、迷ってしまいました。そのときは駅長さんに保護されて、駅長室で美味しいお菓子とジュースとテレビを提供してもらっていました。

地元に住んでいたときも、鍵を忘れたので外に座っていたら、近所の人が家で待たせてくれましたね。周りの人に助けられて、愛されながらすくすく育っていました。

昔から、実験やいろいろなことをするのが好きでした。気になるものに対して突き進んでいっていました。

ダメって止められたことはないですね。止められるのは、「夜ふかしして睡眠不足で、登校中に事故しないでね」ぐらいのことです。

周りが優しく見守ってくださっていたからこそ、今の好奇心旺盛さや楽観さ、自己肯定感に繋がってるのかなと思っています。本当に感謝しかありません。

ー5歳のときに最初の転機があったそうですね?

5歳のときに両親が離婚し、母と2人暮らしになりました。母は夜遅く帰ってくることが多くなり、ひとりで絵を描いたり、ドラマやアニメ、映画を見たりして過ごすようになりました。

家にずっとひとりでいると、心の深いところに寂しさや孤独への恐怖みたいなものが生まれる感じがしました。

そんな状況の中でも、絵を描く時間が多かったですね。当時から仲が良かった友達が、漫画家になると言っていたので、僕も漫画家になろうと思っていました。小学2年生から大学3年生まで漫画を描いていました。

おもしろい大人たちとの出会い

ースイタ氏さんは、どんな学生時代を過ごされたんですか?

基本的に不真面目な生徒でした(笑)。授業を聞かずに、ずっと絵ばかり描いているので、文化祭のパンフレットやクラスの出し物、体育大会のTシャツデザインなど、絵の仕事が僕に回ってくることが多かったです。

成績は下のほうで、内申も低い。そんな生徒です。

でも今思うと、そのころから小運動場を使って、人がコマとして動く『人間すごろく』といったドデカイすごろくを作っていました。

それから、トランプの持ち込みが禁止だったので、ここで作ればいいんだと思い、写真のようなオリジナルのトランプを作りました。それもダメなんですけど(笑)。

僕も描きましたが、絵が上手そうな人に白紙の紙を配って絵を委託し、皆で作ったトランプを使って、休み時間に大富豪をしていました。

それから中学生のころは、YouTubeの再生回数に応じてお金がもらえる機能が日本で導入された時期だったんです。そこでグループを作ってYouTubeに動画を投稿していました。

学校で勉強はしていないけれど、活動的でしたね。

ーその後は漫画家を目指されていたのですか?

大学3年生までは漫画家を目指して、プロの漫画家さんのアシスタントに行ったり、出版社さんに持ち込みに行っていました。その途中で、漫画よりも別のことに興味が向き、就職活動をしていたのですが、社会のことが全然わからないながらも、漫画家さんと比べると社会人の方々に対して楽しそうなイメージがありませんでした。

どうしようと悩んでいたときに、本田圭佑選手と、株式会社delyの堀江さんの対談を見つけました。

堀江さんが、「大人になっていくにつれてできることが増えていくのに、なんで夢は小さくなっていくんだろう。僕は夢を大きくしていけるような大人になりたい」と話されているのを見て、おもしろい大人がいると思って。

もしかしたらおもしろい大人が世の中にはいるのかもしれない、大人も悪くないかもと思えた瞬間でした。

そこからイベントを調べたり、OB訪問のアプリを片っ端から入れて、いろいろな社会人の方に話を伺ったり行動を始めました。新しい場所や人に出会いたくてスナックに行ったり、ヒッチハイクをしたりもしましたね。

ーそこから今につながるきっかけを教えてください。

楽しそうな大人の存在は知っていても、就職か起業か、未来に不安を抱えていました。

「将来は何をしたいですか」と聞かれたときに、全部やらないと何がやりたいかやりたくないかはわからない。やるといってもどれぐらいやるか、どれぐらい深くやるかによって違うと思うんです。

そのため、どういうふうに生きていきたいかという問いから、自分の中で答えを絞っていきました。

そんなときに出会ったのが、個性的な大学の先生でした。「20代のときに自分の名前を捨てて、好きな名前をつけた」と話していておもしろいなって。名前を捨てたり選択したりして良いんだとびっくりしました。

それから「海外でエコビレッジという通貨が存在しない村を転々としていた」という話も聞きました。通貨が存在しない、物々交換で生活が営まれているところがあるんだと聞いたときに、お金もいらないなと思って。

死にそうになったら、エコビレッジに行けばいいと思ったんです。チャレンジするハードルが下がり、固定概念も崩れていきました。だからお金がなくてもいいなと思えたのは、そういう選択肢や生き方を知ったのがきっかけです。

その後は、世界の仕事を調べました。犬にサーフィンを教える仕事や、飲み屋さんでビリビリ体験を売る仕事。そういうエンタメを提供して食べていける人がいるんだと思いました。むしろ職業って作れるんじゃないかとも考えました。

同時期にレンタルなにもしない人とかプロ奢られやーさんなどの存在も知り、結構いろいろな生き方があるんだなと思いましたね。

おもしろい大人たちとの出会いから、何をしているかわからない人になりたいと思いました。それを言語化してもらうと、ひとつではなく複数の仕事や活動をしたい。そこからシフトして、子供のようにいつまでもわくわくできる、楽しい大人でありたいなと思っています。