自分のやりたいことを心の片隅に置き続ける|臨床工学技士・上野拓実

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第880回目となる今回は、臨床工学技士・上野 拓実(うえの・たくみ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。

東京で臨床工学技士をしている上野さん。いじめに遭ったり、人間関係に悩んだりしながらも夢を叶えるために歩み続けました。安心して暮らせる環境を創るために上京した現在、考えていることや、将来の展望について伺いました。

 

安心して暮らせる環境を地元に創りたい

ー自己紹介をお願いします。

上野拓実と申します。長野県上田市出身で、人生をかけた夢を叶えるために2022年2月に上京してきました。

ー現在はどんなお仕事をされていますか。

医療従事者である臨床工学技士をしています。患者さんが使う人工呼吸器やECMO(エクモ)など院内の機器を専門的に扱っています。

ー夢を叶えるために東京に出てきたとおっしゃっていました。具体的に伺ってもいいですか。

臨床工学技士になってから長野県内の病院で働いてきました。働くうちに、地域の医療体制が充実していないことに気がつきました。患者さんが気を遣ったり、忙しいがゆえに医師や看護師の対応に冷たく感じてしまったり。

地域の人は病院に行きたくないけど体の調子が悪いから行くといった現状を変えたいと思いました。

安心して楽しく暮らせる環境を地元に創るために東京に出てきました。

ー素敵な目標を掲げて東京に出てきて、2023年秋にイベントを開催するそうですね。

僕は人口約4500人の青木村で育ちました。食や人のよさに触れ、楽しく暮らすには食事が1つのテーマになると考えています。

長寿県・長野の食文化や食の魅力を知ってほしいと思い、2023年秋に長野県の食を題材にしたフェスを関東で開催する予定です。

母親の病気を治すために医療従事者を目指す

ーどんな幼少期を過ごしましたか。

仲間と一緒に何かをするのが好きで、よく人を集めて遊んでいました。いま考えると、自分が楽しそうなことを周りに押し付けていたのかも。その不満が溜まって中学2年生のときにいじめられたのかもしれません。

ーいじめに遭ったそうですが、どのようなことがあったのですか。

中学2年生のときに小学校から仲が良かった友達が僕をいじめてきたのです。次第に学校に行くのが怖くなり、不登校になりました。当時は大事な青春を棒に振った気分でしたが、自分を見つめる期間になりました。

ーいじめに遭った経験が今に生きていることはありますか。

感受性が豊かになり、患者さんや同僚などの気持ちを汲み取りながら話せるようになりました。また、弱い立場の人の力になりたいと考えています。

ー臨床工学技士は幼い頃から希望していた仕事ですか。

幼少期は医師を目指していました。臨床工学技士になろうと決めたのは高校生のときです。

母親に心臓の病気があり、母親の心臓を治そうと医者を目指していました。しかし、医師になって手術で体を治すより、体の状態をサポートするほうが楽しいことに気づき、自分が母親の心臓になるつもりでこの職を目指しました

人間関係の難しさに直面するが、夢を叶えるために行動し続ける

ー夢だった臨床工学技士になって働いてみてどうですか。

入職当時はやる気に満ちていました。しかし、先輩が僕のミスを誇張して周りに伝えたため、小さなミスを1つするごとに、だんだんとできない人だと思われるようになりました。僕に対する印象を変えようと試みましたが、部署全員の意識を変えるのは難しかったです。

ー25歳のときに転機があったとお伺いしました。どのようなことがあったのですか。

心臓に関わる部署にいくために転職をしました。転職した病院で希望した部署に入ることができたのですが、上司の求める状態がわからず、右往左往を繰り返していました。このときに人間関係の難しさを感じましたね。

ー人間関係に難しさを感じながらも夢を叶えたいという想いの強さを感じました。

「想いがなくなるのではないか」「何がしたいのだろう」と思った瞬間は何度もあります。その度に小さいことでも、自分のやりたいことを心の片隅に置き続けたことで夢が叶ったと思います。

ー夢が叶ったとおっしゃいましたが、母親の手術に立ち会えたのでしょうか。

手術に立ち会うのは難しかったのですが、僕が勤める病院で母親の手術をしました。幼稚園のときから抱き続けた夢が叶った瞬間で、味わったことのない喜びがありました。

ー夢を叶えるために努力し続けられたのはなぜだと思いますか。

僕を育て、手に職をつけてくれたことへの感謝です。また、夢を抱くきっかけとなった母親が近くにいたことが諦めずにいれた一番の理由かもしれません。

地元の地域医療をよくするために上京を決意。2023年秋にフェスを開催する

ー夢を叶えた後はどのようなことをしたのですか。

最初は実家の畑を管理しようと考え、無農薬栽培のトマトを作っていました。地域医療と農業に触れているうちに環境をよくして下の世代に繋ぎたいと考えるようになり、東京に来ました。

ー東京にきて良かったと感じることはありますか。

様々なビジネスやサークルがあることを知り、自分が安心できる場所を作るために友達を集めた飲み会を企画しました。飲み会を開催する中で様々な人と出会い、夢への構想を固め、仲間を集めました。

自分の夢や想いを言葉にすることが大事だと思います。言葉にすることで発言に重みが増し、話の中身もブラッシュアップしていきました。

ー過去の経験から人を集めるうえで意識していることはありますか。

昔はやりたいことを周りに押し付けていました。今は感受性が豊かになったことで、周りにフォーカスを当てて物事を進めるようになりました。仲間には「これからもずっとやっていきたい仲間だからみんなで0→1にしよう」と言っています。

ー上野さんは笑顔が印象的です。人と話す際に意識していることはありますか。

僕は聞く力と思いやりを意識しています。自分が周りに最高の価値を提供することにフォーカスを当てています。

ー秋にフェスを開催した後の展望を教えてください。

フェスに来場したお客さんに長野県の魅力を知ってもらえるイベントを計画しています。また、フェスは年1回開催していく予定です。長野県や青木村を身近に感じてもらえるような機会を作っていきたいです。

ーありがとうございました!上野さんの今後のご活躍を応援しております!

取材:黒澤朝海(Twitter
執筆:Kumi(Twitter
編集:松村彪吾(Twitter
デザイン:安田遥(Twitter