様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第815回目となる今回は、株式会社SPIRITS代表取締役・三澤 知史(みさわ・ともふみ)さんをゲストにお迎えし、現在のキャリアに至るまでの経緯を伺いました。
代表取締役に就任し、自身の理想の働き方を実現している三澤さん。これまでの経験や失敗から痛感した、人とつながることの大切さを語っていただきました。
仲間に恵まれ、空手に熱中した高校時代
ー簡単に自己紹介をお願いします。
三澤知史(みさわ・ともふみ)です。同志社大学のスポーツ健康科学部を卒業後、レバテック株式会社に入社し大阪支店の立ち上げを経験しました。その後、株式会社揚羽で大手IT企業を中心にブランディングの企画・提案に携わりました。
2021年5月に株式会社SPIRITSを創業し、現在は業務委託でITベンチャーの企業様に複数社参画させていただくなかで法人営業の責任者を務め、中途採用者の支援も行っています。
ー幼少期はどのように過ごしていたのでしょうか。
姉が2人いて僕は末っ子です。姉たちの喧嘩している姿を客観的に見ながら間を取り持っていました。
もともと引っ込み思案でしたが小学1年から始めた空手に熱中し、高校3年まで続けることとなります。性格も積極的になり、人と関わるのが好きになりました。
ー空手を始めたきっかけを教えてください。
僕はいじられキャラで、小学校では仲の良い友達によくちょっかいを出されていました。その友達が空手をやっていて「いつか空手で彼に勝ちたい」という思いが、空手を始めたきっかけです。
その友達は県でも上位3位に入るほど強かったのですが、4年生の時、地区予選決勝で対戦して勝つことができました。試合後、負けたショックから彼は空手を辞めてしまうのですが、空手に夢中にさせてくれたことに今でも感謝しています。
その後、中学でも空手部に所属し、文武両道を掲げていてかつ空手も強い私立の男子校に進学しました。
ー高校時代は青春だったと伺っています。思い出を教えてください。
「特待生になって勉強もがんばるから」と両親の了承を得て進学をしました。2年生の時が特に充実しており、勉強もがんばり、空手では東北総体で優勝、インターハイにも出場することができました。
結果を出せたことはうれしかったですが、友達に恵まれたこともがんばれた要因だと思います。
ー順調な中で、次の進路はどう決められたのでしょうか。
空手でもっと上に行きたいと思う一方で、スポーツドクターになりたいという夢も抱いていました。
スポーツドクターになるためには医学部に入り、日本体育連盟の資格を取得する必要があります。しかし医学部に合格することはできず、浪人生活を送ることになりました。
目標点に届かず、苦しみ続けた浪人時代
ー浪人時代も引き続きスポーツドクターを目指していたのですね。
上京して姉と2人暮らしで予備校に通っていました。朝自炊して弁当を作り、予備校に一日中こもって勉強漬けの日々でした。しかし、勉強時間の長さとは裏腹に成績は下降線を辿ってしまいます。
「空手をしたいな」と思い時折雑誌を見ると、対戦したことのある選手が掲載されていました。それを見た時に「空手をやっておけばよかったな」と感じ、同時に自分の不甲斐なさに挫折感を味わいます。
努力をしても成果が出ないストレスから、食生活が乱れ、肌も荒れ、自暴自棄に陥った浪人生活でした。
ーなぜ思うように成果が出なかったのでしょうか。
2つ原因があると考えていて、1つめは「本当にスポーツドクターになりたかったのか」と自分に問うたときに、実はなりたいと思っていなかったことです。白衣を着て仕事をしている姿を想像できませんでした。
2つめは勉強のやり方が非効率で、スポーツで例えると練習のための練習を繰り返していたことです。浪人して時間がある一方で、自分に合う努力の仕方で勉強をしていませんでした。
結局、合格点に到達できずスポーツドクターになることは諦める決断をします。それでもスポーツ関連の仕事に何らかの形で携わりたいという思いがあったので、同志社大学のスポーツ健康科学部へ進学しました。
ー大学での活動を教えていただけますか。
楽しい大学生活でしたが、部活以外で得られるものは何だろうと探して、社会経験に時間とお金を投資してとにかく人に会いに行きました。
2年生の途中から将来は就職したいのか自営で何かしたいのか、真剣に考えはじめました。目標とする大人が周りにいなかったこともあり、「SNSを使って人に会うしかない」と目標となる大人に出会えるまで連絡を繰り返していましたね。