フリーランス加藤千奈の「人生の軸」を決め、最適な仕事を見つけるまでの挑戦方法

様々なキャリアの人たちが集まって、これまでのステップや将来への展望などを語り合うユニークキャリアラウンジ。第895回目となる今回は、WEBライターでフリーランスとして活躍中の加藤 千奈(かとう・ちな)さんをゲストにお迎えし、現在にいたるまでの経緯を伺いました。

幼少期から海外に渡航経験のある加藤さんは、学生時代に経験したワーキングホリデーの影響から将来は海外に住んでみたいという夢を持ち始めました。目指したのは、「パソコン一つあれば海外のどんなところにいても仕事ができる」働き方。
軸を持って夢を実現するために、加藤さんにはどんな大変さがあったのか。コロナウィルスが蔓延し、思うような行動がとれなくなった社会で、どう考え、一歩踏み出していったのかを伺いました。

海外へ行くきっかけは、ディズニー

加藤千奈と申します。現在はフリーランスのWEBライターとして記事を執筆しています。ニックネームはちゃいです。よろしくお願いします。

ーちゃいさん、早速ですが、パソコン一つで世界を自由に旅することが目標だと伺いました。こちらについて詳しく聞かせてください!

はい。私は海外が好きで、将来はパソコン一つで世界を旅したいと思っています。今はコロナ過になり、渡航はできない状態ではありますが、いずれは海外に行きたいです。

ーなぜ海外が好きになったのでしょうか。

中学2年生の出来事がきっかけですね。出身が愛媛県松山市なのですが、そこは姉妹都市の国へ毎年数人派遣しており、私も派遣生に選ばれました。

母は当時、英語に関して教育熱心だったのと、「海外に行ける補助金があるから行ってみないか」と誘われ、私はディズニーが好きだったので、当時は海外=ディズニーがあるという勝手なイメージと好奇心から、行きたくて応募したのが経緯です(笑)

姉妹校はドイツのフライブルク市で、 英語が母国語ではなかったので訛りのある英語を話すところでした。ホームステイ当時はとても大変でしたね。お互い英語を理解できない場面が沢山あり、ジェスチャーとボディランゲージで一生懸命伝えました。改めて英語を話せないと会話ができないのだと実感した記憶があります。

ー初の海外旅行は、ちゃいさんにはどんな思い出になりましたか?

とても貴重な経験をさせてもらえたと思います。空港の匂いや空気が日本とはまったく異なり、石や街づくり、植物等、本の中の世界が本当にあるのかと。とても感慨深かったです。海外が好きな人がよく口にする感想と一緒かもしれないですけど(笑)

海外へ行く為にビザの準備を自分で行い、母に「海外にいってくるね」

ー幼少期に海外の文化に触れたちゃいさんですが、学生時代に大きな決断をしたのですよね?

大学3年生のときに、休学してカナダでワーキングホリデーをしました。ワーキングホリデーとは、就労ビザを取得し海外で勉強しながら働ける制度です。私は1年間滞在した中で、語学学校での勉強や現地でのアルバイトを経験しながら言葉や文化を学びました

ーすごい行動力ですね!ワーキングホリデーのきっかけはあったのですか?

実は大学へ入学する時から決めていたのです。大学は高知の大学に進学しましたが、当初は私立の大学に行く予定でした。

私立大学はお金がかかりますよね。元々海外留学や旅行をしたいと願望があった為、費用があまりかからない、公立の大学を選択し「留学制度でたくさん海外へ行き、思う存分遊ぼう!」そう考えたのです。

お金は自分で工面した為、母に「私の学生生活には口出ししないでください」と伝えました!絶対に1年間留学すると決め、入学してすぐにアルバイトをして、お金を貯めていきました。

また、あくまでも自分が現地で働きながら、英語でコミュニケーションをとりたいという願望がありました。大学の留学制度はあえて選択せずに、自分でワーキングホリデーを活用して渡航を決意したのです。

渡航する国も自分で吟味し、最終的にはカナダに決めました。ビザの準備もすべて手続きを行い、私が既にパスポートとビザを持っている状態で母親に「カナダへ1年間勉強しにいってくるね」と言いました。

母は啞然としていましたが、すべて自分で決断したことなので応援してくれました。

ー自分でビザの準備を行う程、行きたい願望がとても強かったのですね。海外生活の感想はどうでしたか?

とても楽しく、いい経験ができたと感じます。特に外国の方は、私を日本人としてではなく、一人の人間として見てくれたことから、満足感を持てました。

具体的にいうと、カナダの方は話す時、WHATやWHYなど「なぜ?どうして?」と核心をついて話をします。イエス、ノーなどの簡単な返答ではなく、より具体的に回答しなければならない為、話す前によく考える習慣が身に付きました。

周囲から「あなたのその考えすこし変だよ。考え方が違う。でも海外に行くとそんなの当たり前だよ」と肯定的に言われたり、自分の価値観を認められたのがとても嬉しく、海外に行ってよかったなと思いました。

コロナ蔓延で閉ざされた海外渡航

ー現在はフリーランスのWEBライターとしてお仕事されているちゃいさんですが、大学卒業後すぐに就職されたのですか?

卒業後、地元愛媛の大きな会社に就職しました。当初はお金を貯めて海外へいこうと思い、福利厚生がしっかりとした企業に就職しましたが、東京に支社があった為、急遽東京へ研修にいくことになりました。

最初は「あれ?東京に行かないといけなくなった。でも成田空港が近いのでいつでも旅行にいけるからいいやん!」との思いで東京へ上京したのです。

しかし、上京した瞬間にコロナが蔓延しステイホームが始まり、合宿所から外に出られなくなってしまいました。

またもともと電車に乗るのが苦手なためコロナの影響でさらに怖くなってしまいました。

「東京に来たらいろいろな街にいけるぞ!」と思っていたはずが、会社と家だけの往復。さらに目標としていた海外の駐在員は、ステイホームやリモートの影響で会社の方針により、配置人員を減少する方向へ。

「あれ?海外へ行きたいなと思っていたはずが、海外にいくことが出来なくなってしまった。そしてなぜか自分は東京にいる。すべてが狂い始めたぞ…と腑に落ちない」そんなことを考えた時期でした。

しかし「これではダメだ!何か変わって行動しないと!」という危機感から、副業を始めたりコミュニティに入ったりと、できることを始めていきました。次第に「自分は違う仕事をした方がいいかもしれない」と思い始めたのです。

ーコロナで思うような行動がとれなかった時は、どんな心境だったのでしょうか。

「これなら愛媛にいたほうがよかったよね?」と思いましたね。思ってた東京生活ではないので、コロナの影響で満員電車に乗らなくなったのはよかったです。

しかし、コロナの影響で人との距離感がわからなくなってしまいました。ウイルス扱いをされて、地元にも帰りづらくなっていったのは間違いないです(笑)

また社会人として働きはじめ、電車に乗るのが苦手だと気づき、通勤しながら働くスタイルが向いていないと感じました。

コロナの影響で満員電車に乗ることは減りましたが、「回復した後にも満員電車には乗れないな」と思い、自分はこれから「フリーランス」という働き方が向いているから、頑張ってみようと、気づくきっかけになったのです。

ー仕事に対しての危機感から、フリーランスになろうと、副業やコミュニティに入る決断をされた行動力が凄まじいです。コロナが蔓延した当初は壮絶な数年間だったと思います。このまま仕事を続けようと考えていましたか?

正直当時は仕事を辞め、転職する気持ちでいましたね。

転職をしても生活できる水準の収入を得たいという思いや、もともとの海外生活への憧れから「海外でパソコン一つ持っていれば生活できる仕事はなんだろうか?」と考えた結果、まずはWEB制作を頑張ってみようと思いました。

本業はコロナで全く仕事がなかったこともあり、独学で始めたりスクールで勉強してみたりと、副業をすごく頑張っていたと思います。

定時で帰社し、副業に関する本をたくさん読んで勉強しました。でも実は内心、物事をネガティブな方向に考える癖がある為、考えないように他のことに集中していた部分もありました。